ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「三丁目の夕日’64」

2012年01月25日 | ファミリーイベント
 ALWAYS・三丁目の夕日’64が公開されて、西岸良平がビックコックに連載し出した頃からのファンとしても、また吉岡秀隆君との個人的出会いの縁もあって、たぶん10年前に公開された最初の「三丁目の夕日」と前作も観ているものだから、やはり今回の第三弾も観られずにはおれない心境で、近くのシネコンで奥さんと共に鑑賞したのである。

 基本的にはキャスティングは変わっておらず、自動車修理の町工場である鈴木オート一家、堤真一と薬師丸ひろ子夫婦と息子に加えて、東北の田舎から集団就職でやってきた堀北真希演ずる「星野六子」と向かいに住む駄菓子屋をしながら小説家としての生活を貧しくとも突き進む「茶川竜之介」を演ずる吉岡秀隆とそこへやってきて「おじちゃん」を慕い共に住む少年「古行淳之介」が主に活躍する物語として展開するのである。

 この「茶川竜之介」と「古行淳之介」は実の親子ではないのだが、元踊り子だった小雪が演ずる「ヒロミ」と家族として暮らしていて、今回の作品では大変尊敬もしお世話になった恩義を大切にしようとする淳之介だったが、小説家としては先輩であるおじちゃんが連載を続ける少年雑誌に、自ら別のペンネームで書き続け、ついにおじちゃんの連載が淳之介の作品の人気が勝ったためにストップするという出来事に発展し、本人はおじちゃんの言う「小説家」は不安定な仕事で常に脚光を浴びる様な商売ではないから、頭がいい淳之介は「東大受験」を目指して全うな社会人になった方が良いとすすめたのにも関わらず、結局自分の親父から勘当同然に出てきた自分と同様に、彼は小説家としての道を歩むこととなるのである。

 また一方の鈴木オートに就職し、事務職ではなく整備士としての汗まみれの生活に日々を送る「星野六子」が若き医者に恋こがれてしまい周りを心配させるのだが、結局は彼の本当の医者としての姿や、無償の医療活動をしている実態などがわかり、若くして鈴木家から嫁に行くこととなり、家族と町の人々に祝福されて「美しい花嫁姿」になって、ハネムーンに出発するのだが、新婦となっても鈴木オートでまだ働けばと言われているのである。

 茶川竜之介とヒロミの間には女の赤ちゃんが誕生し、若くして評価を受けた古行淳之介は、形の上では茶川が実家を勘当同然で東京へ出て小説家を目指したと同様に、竜之介は思いっきりの演技で淳之介を家から追い出すのであったが、それは全く自分の父が勘当したと思っていた自分の如く、愛するが故の「かわいい子には旅をさせよ」という心境での演技だったのである。

 そうしたドラマとしての背景に、東京オリンピックと共に戦後の経済復興から高度成長経済へ突き進もうとしている日本の戦後の1960年代半ばの世相があって、東京タワーの完成と共に自動車、カラーテレビ、クーラーの3Cが一気に家庭に入ってくる憧れの豊かな消費時代への幕開けといった観が強いご時勢だったのである。

 東京オリンピックの開会式が行われた1964年10月10日がその後「体育の日」という祝日になり、その年のたぶん11月23日だつたと記憶しているのだが、衛星放送で直接アメリカからの生放送がされるということだったのだが、その日最初に電波に乗って伝えられたのは何と「ケネディ大統領が暗殺された」というダラスからのテレビ中継生放送だつたことは、とても強い印象に残る大事件となったのであった。

 ただ単に昔を懐かしむというのではなくて、この日本の戦後の激動期に、私も多感な中学、高校時代を送っていたのだが、あの茶川と古行が交わした葛藤とも言うべき、「やりたい小説家を目指すのか、勉強して東大に行くべきか」という大きな課題をぶつけ合って語り、結局は自分が本当にやりたいことをやれというメッセージを投げかけている作品となっているところは、現代においても反面教師的側面も含めて、大変面白い脚本となっていると感じた。

 何故に、「三丁目の夕日」が好きかと心に問えば、やはり素朴で素直な感情をむき出しにして、出会った人々との交流を送る、決して豊かで金持ちではない庶民の生活があり、その家族の一員として迎えられた、鈴木オートの「六子」と、茶川さんと共に暮らす「淳之介」に象徴される子どもたちの成長を守る大人たちの価値観が、いろんな側面に描かれていて、その価値観がとても現代では失われつつある、あの時代の良さとして強く心引かれるからなのだろう。

 また私個人としては、茶川竜之介の様な生き方や生活はできないと思うのだが、その茶川竜之介を演ずる俳優「吉岡秀隆」が、幼いたぶん6歳の頃に音楽制作の仕事を東京でやっていたので、彼を劇団若草の紹介で招聘して、みなみらんぼう作詞、作曲によるファミリーアルバム、「山口さんちのツトム君」を制作したことがあるので、それ以来、「北の国から」や「コトー診療所」なども含め、個人的に吉岡秀隆を影ながら応援してきたので、また違った意味で「我が子」の如く愛おしく感じる面があるのである。

 最後に、原作の西岸良平氏の漫画「三丁目の夕日」には、「むつこ」ではなく、「六」という青年が勤めているし、近所に「サクラ」という女の子はいて、鈴木オートの奥さんが面倒を見ることもあるのだが、登場人物としては映画の脚本として作られた部分も多くて、もともとの夕日町三丁目の懐かしい思い出の町とは、そうとう違っているが映画としての三作目ともなれば、原作以上に「六子」や「淳之介」が気になってしまっていて、果たして実現するかどうか知らぬが、やっぱりその後の「続編」が観たくなるのだろうと思ったのである。

 日本人の古き良き時代の「古の感傷」として捨て去ってしまうのではなく、時代が変っても変らぬ「大切な日本人の心」を描き続けてほしいものである。
コメント (1)
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