1月11日、今朝は私たちの地域では「どんど焼き」と称する、お正月の飾りなどを火にくべながら、おぜんざいや甘酒をいただく行事が行われた。
近くの公園に老人会の人たちや民生委員さんたちが準備をして下さって、住宅街のあちこちから、しめ縄飾りやお正月の鏡餅などを持った人たちがやってきて、公園中央で「とんと」に火をつけて、何でも燃してしまうという別名、「左義長」と呼ばれる季節イベントである。
私も正月に玄関先に飾っていた「しめ縄飾り」から橙とビニール袋を除いて持ちミニ自転車で参加し、すでに半分以上が黒く炭になったり煙を上げている「とんと」の中に放り投げて燃やした。
昨日からの冷え込みの寒さを口々に語りながら、正月新年初めてお会いした近くの方々と新年の挨拶を交わして、早速「甘酒」と「お善哉」をいただいた。
市内の多くの小学校区単位で、各々の地域の方々が伝統行事の伝承とともに、地域コミュニケーションのためにと数十年前から毎年行われているらしいが、昨今は「お善哉」ではなく「豚汁」を振舞う地域もあり、「鏡開き」と称される神仏などに飾っていた「鏡餅」などを水餅にしたりして小豆善哉に入れて食する伝統の風習も廃れつつあるのかもしれない。
現代の子供たちは、いつも甘くて美味しいお菓子やおやつがふんだんにあり、何不自由ない食生活のためか、この「鏡開き」や「左義長」だからと言って、あえて「善哉」を食べるという形に捉われない人たち、若者たちも多いようである。
しかし、「左義長」とは、小正月に行われる小さな火祭り行事であり、全国に見られる習俗であり、地域によっては「とんど焼き」、「あわとり」、「墨塗り」、「さいと焼き」、「おんづろこんづろ」などと呼ぶらしいが、正月飾りを焼いて、一年の無病息災を願い、この火で焼いた鏡餅などを入れた善哉、お汁粉を食すると病魔除けになるという言い伝えはほぼ共通しているみたいである。
私は「どんど焼き」を済ませ京都市内へと足を向け、友人たちの新春の工芸展や書道展を鑑賞した後、老いた母の住まう大阪、天王寺へと向かい、母に気持ちだけでも「鏡開き」の餅を食べてもらいたいと訪ねた。
大晦日に母の部屋に小さな鏡餅をプレゼントしたら、この御餅はいつ食べられるのかと聞いていた母だったので、老人たちの多い施設の食事では、餅を喉に詰めたら大変ということで、お正月も餅は食せなかったらしく、家族としてせめて少しでもと「力うどん」で、餅を食べてもらおうと思ったのである。
母の部屋は煮炊きができないので、お湯をポットで沸かしてのインスタントうどんだが、小さくカットした「御餅」を箸でつまみながら、「美味しい」とうれしそうに食する母の笑顔に安堵したひと時であった。
さて、我が家の古くなった「鏡餅」は、どうして食そうかとイメージしながら、「御餅好き」の私はお雑煮、キナコ餅、醤油餅、納豆餅、おろし餅、のり餅、餅フライなどを頭に浮かべながら帰ってきた。
お正月明けの「七草粥」に続いて、「左義長」、「鏡開き」も大切な季節イベントとして長く続けてほしいものである。
近くの公園に老人会の人たちや民生委員さんたちが準備をして下さって、住宅街のあちこちから、しめ縄飾りやお正月の鏡餅などを持った人たちがやってきて、公園中央で「とんと」に火をつけて、何でも燃してしまうという別名、「左義長」と呼ばれる季節イベントである。
私も正月に玄関先に飾っていた「しめ縄飾り」から橙とビニール袋を除いて持ちミニ自転車で参加し、すでに半分以上が黒く炭になったり煙を上げている「とんと」の中に放り投げて燃やした。
昨日からの冷え込みの寒さを口々に語りながら、正月新年初めてお会いした近くの方々と新年の挨拶を交わして、早速「甘酒」と「お善哉」をいただいた。
市内の多くの小学校区単位で、各々の地域の方々が伝統行事の伝承とともに、地域コミュニケーションのためにと数十年前から毎年行われているらしいが、昨今は「お善哉」ではなく「豚汁」を振舞う地域もあり、「鏡開き」と称される神仏などに飾っていた「鏡餅」などを水餅にしたりして小豆善哉に入れて食する伝統の風習も廃れつつあるのかもしれない。
現代の子供たちは、いつも甘くて美味しいお菓子やおやつがふんだんにあり、何不自由ない食生活のためか、この「鏡開き」や「左義長」だからと言って、あえて「善哉」を食べるという形に捉われない人たち、若者たちも多いようである。
しかし、「左義長」とは、小正月に行われる小さな火祭り行事であり、全国に見られる習俗であり、地域によっては「とんど焼き」、「あわとり」、「墨塗り」、「さいと焼き」、「おんづろこんづろ」などと呼ぶらしいが、正月飾りを焼いて、一年の無病息災を願い、この火で焼いた鏡餅などを入れた善哉、お汁粉を食すると病魔除けになるという言い伝えはほぼ共通しているみたいである。
私は「どんど焼き」を済ませ京都市内へと足を向け、友人たちの新春の工芸展や書道展を鑑賞した後、老いた母の住まう大阪、天王寺へと向かい、母に気持ちだけでも「鏡開き」の餅を食べてもらいたいと訪ねた。
大晦日に母の部屋に小さな鏡餅をプレゼントしたら、この御餅はいつ食べられるのかと聞いていた母だったので、老人たちの多い施設の食事では、餅を喉に詰めたら大変ということで、お正月も餅は食せなかったらしく、家族としてせめて少しでもと「力うどん」で、餅を食べてもらおうと思ったのである。
母の部屋は煮炊きができないので、お湯をポットで沸かしてのインスタントうどんだが、小さくカットした「御餅」を箸でつまみながら、「美味しい」とうれしそうに食する母の笑顔に安堵したひと時であった。
さて、我が家の古くなった「鏡餅」は、どうして食そうかとイメージしながら、「御餅好き」の私はお雑煮、キナコ餅、醤油餅、納豆餅、おろし餅、のり餅、餅フライなどを頭に浮かべながら帰ってきた。
お正月明けの「七草粥」に続いて、「左義長」、「鏡開き」も大切な季節イベントとして長く続けてほしいものである。