ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

秋の夜に思うこと。

2007年09月16日 | ファミリーイベント
 残暑厳しい今日だったが、私たち4人兄弟の母が、70年近く住み慣れた大阪の家から同区内の有料老人ホームへと引っ越したのである。

 数年前から少し認知症的傾向が出だした今年91歳になる母だが、みんなで数ヶ月間話し合って母にも了解を得たとは言え、なんとも忸怩たる思いを残しての「引越し」となった。

 暑い夏を乗り越えた母は、若い頃からの耳の不自由さを除けば、いたって元気な90歳なのだが、物忘れやお金の管理など、いろいろと大変になってきたのである。

 我々の父、すなわち夫を亡くして今年で38年目の母は、長年の独居にもめげず元気に暮らしてきたが、ここ数年は「さびしさ」と認知症のお陰で、いろんな小さな事件を起こしていた。

 他人様には気にならないことでも、身内にとっては何とも情けないと言おうか、どう表現すべきか、笑うしかない様なことも数々生じた。

 私は母の住まう実家から車で約一時間ほどの地方都市に住んでいるが、最近の母は私が心配の種になる瞬間があるらしく、よく突然電話がかかってきて、「あんた生活に困ってないか」「仕事はあるのか」「家はどうなっているのか」などと矢次早やに一方的に尋ね、「私の家は広いから一緒に住んでもいいよ」と、同居しようと、私を誘うのである。

 私もマジで、「お母さん大丈夫やで。僕には奥さんもいるし、家もあるし、仕事もしてるから」と答えているのだが。

 電話から二日が経って、直接実家で顔を合わせると全く電話で話したことは忘れていて、「みんなが元気で幸せだったら、それが一番!」と口癖の様に言うだけなのである。

 そんな母の日常生活と今後の介護や年齢のことを考えて、兄弟で「有料老人ホーム」への入居を決めた次第なのである。

 身の回りの荷物や日頃使っていた茶器セット、テレビ、丸テーブルなどを新しい母の居住する部屋に運んだ後、日頃何かとお世話になっていた実家の隣家に、母と兄弟4人揃って挨拶に行った。

 永久の別れではないのだが、お隣の老いたご主人も、母の姿に感極まるものを感じられた雰囲気で、私たちもお礼を言いながら言葉にならない感動を覚えた。

 夕刻、新しい部屋で、補聴器をつけた母と話をしながら、これからの母の生活を思い、「元気に仲良く暮らしてね」とメモにしたためてきた。

 夕食を嬉しそうに食しながら、「いろいろとありがとう」と言いつつ、僕を目で見送ってくれた母の姿に、後ろ髪を引かれながら秋の夜を複雑な心境で家路についた。

 卒寿を迎えた母の人生に、幸多かれと祈ると共に、私たち兄弟が母にできることと、自分達の人生を再びしっかりと考えたいと思った。

 坂本龍馬は、「世の人は我を何とも言わば言え、我が成すことは我のみぞ知る」と語ったそうだ。



 
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100歳以上が3万人!

2007年09月15日 | 日本の課題
 日本が世界に名だたる長寿国となって数年が経つが、何と「百歳」を超えた長寿の方が3万人に達したニュースには、改めて驚かされる。

 数年前に百歳が1万人を超えたという報道から、早くも三万人である。

 「団塊の世代」と呼ばれる戦後のベビーブームに、この世に生を受けた我々の世代が、所謂長寿の領域に達するまで、あと20年前後かかるが、平均寿命と称される、よく分からない基準によると、日本の女性が85歳を超え、男性も80歳に迫っていて、世界一長寿の国になっている。

 世界一の長寿国となったニッポンだが、「長寿」が全て、健康で幸せであるとは限らないのではないだろうか。

 今日は1966年に制定された元もとの「敬老の日」だったが、テレビニュースでも、日本一の長寿の113歳の女性に、地元の市長が「お祝い品」を届けて、「おめでとう!」と声をかけている映像があり、本人はベッドに横たわったままで頷いておられるだけであった。

 こういった姿を見ていると、3万人もの「百歳」以上の方や80歳以上の700万人の中には、病院のベッドでの闘病生活や福祉施設や家庭での「寝たきり状態」の方も多いだろうと思う。

 果たして、「長寿」そのものが「オメデタイ」ことなのか、当人にとっても、ご家族や関係者にとっても自問自答せざるを得ないケースも、今後益々増えるだろうと思うのである。

 私たち「団塊の世代」と呼ばれる戦後育ちの多くが、所謂平均寿命と言われる年齢に差し掛かる頃には、たぶん「百歳」を越すお年寄りは10万人を超す時代となるだろうが、人口10万人に1000人もの百歳がいると想像しただけでも、とんでもない高齢者社会であり、医療、福祉だけでなく、大変な公的支援が必要となるだろう。

 人間社会は、誕生した時から何故か「平均値」を、何かにつけてのバロメータとする傾向が強いのだが、赤ちゃんの体重が4キロだと「大きく」て、2キロだと「小さい」に始まり、生きる年月も常に「平均値」との競争の感がある。

 私なんぞは、生まれた時の体重なんぞは、二卵性の双子で早産だったこともあって、たった1800グラムの今で言えば「未熟児」での誕生だったのだが、現在は182センチ、75キロの大きな男に成長した。

 中身の成長に関しては「平均値」が見当たらないので定かなことはいえないが、健康で「還暦」を迎え、元気に病気知らずで暮らしている。

 とにかく、「平均値」を目標にするのではなく、自分らしく明るく元気に、他人に支えられ、また他人を支えながら、有意義に暮らせたらと「敬老の日」に思った。

 「百歳バンザイ!」に出られる年寄りになれたら、最高だね。
 

 
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「ラジオ」に耳を傾ける!

2007年09月13日 | プロスポーツ
 皆さん、漸く「秋の気配」を感じられる日々になってきましたが、熱い夏の思い出は如何だったでしょうか。

 今年の我が阪神タイガースの夏から秋にかけての追い上げは素晴らしく、先週の伝統の「阪神、巨人3連戦」のドラマチックな三連勝で、何と10連勝を達成し、ついに一時は12ゲーム差あった首位に追いつき、巨人、中日を追い越して首位に躍り出ました。

 この東京ドームでの巨人、阪神三連戦は、いずれも凄い戦いとなり、テレビ中継が9時前に終わってしまうので、電波状態の決して良くない「ラジオ中継」に切り替えて、何とか聴こうと我が家では躍起になりました。

 「ラジオを聴く」という場面が、最近の日常生活では自動車の車中くらいしかないために、常に映像の伴ったスポーツ中継に慣らされてしまっていて、想像力やイメージの中でスポーツ観戦する心地を忘れてしまっていたことに気づきました。

 集中して聞こえにくいラジオを聴いていると、テレビ中継では感じられない微妙な試合の展開をも想像したり予測したりしていて、なんとも十分ではないのに却って「面白さ」を強く感じる場合もありました。

 日本テレビ系列が、巨人の試合で視聴率を稼げなくなり、プロ野球のテレビ中継の時間延長を今年から中止したために、せっかくの盛り上がった試合の一番観たいところや、終盤戦の攻防を観る事が出来なくなったのです。

 そこでやむを得ず、「ラジオ」のスイッチを入れて、周波数を野球中継をしているラジオ局に合わせて何とか耳を傾けるのですが、よく聞こえないために、どちらの攻撃か、そして何が試合で起きているのか分からないケースが多くありました。

 そういえばテレビのない幼い頃は、野球も相撲も当たり前の様に「ラジオにかじりついて聴いていた」ことを思い出しました。

 先日の巨人、阪神戦は、いずれの試合も9-8,2-1,9-8の一点差勝負の接戦で、最後まで勝負がどう展開するのか先が読めない戦いぶりで、11時前後まで試合はもつれ、聞き取れ難い「ラジオ」にしがみついて、久しぶりに時を忘れて、とっても疲れました。

 しかし、久しぶりにプロ野球の「ラジオ中継」に耳を傾けながら、集中力と想像力を発揮して、却って面白い試合を「耳で観戦」することとなりました。

 皆さんも、プロ野球や相撲に限らず、サッカー、ゴルフ、その他のスポーツ中継を、テレビやインターネットではなくラジオで聴く体験をしてみては如何ですか。

 映像のない中継でも結構楽しめることが判りますし、幼い頃の「三角ペース」の草野球や、自分達で遊んだ相撲やサッカーを思い出すこともできますよ。



 
 

 
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突然、「やーめたぁ!」無責任首相。

2007年09月12日 | とんでもない!
 参議院選挙惨敗でも辞めなかった安倍首相が、APECの開催地シドニーでの記者会見でテロ特措法に関連して、「職を賭けて頑張る」と言い放ち、臨時国会での所信表明演説に対する代表質問に答えるはずの今日、突然全く不可解な辞任劇となった。

 どう考えても子供じみた無責任な決断と思わざるを得ないのだが、ちっとも国民の方を向いていない政治家のひとりだったことが明らかになったのではないだろうか。

 辞任の理由が何とテロ特措法を巡って、民主党の小沢代表との党首会談を断られたことと、インド洋上での給油、給水活動のみを自衛隊がするという新法の提案で生まれる「中断」は避けたいとの思いで、是が非でもテロ特措法の延長を可決したかったのに、自民党内では支持が得られなかったからと言うのである。

 まさに、「井戸の中の蛙」と言った感じであり、今一番国民が望んでいる政策の実行や決断は後回しで、自分の我が儘ととも言うべき手法が認められなかったから、「やーめたぁ!」と言った感じなのである。

 今から思えば、昨年の秋に首班指名された自信と笑顔は何だったんだろうか。、

 外遊も夫人同伴でニコニコと手を繋いでご機嫌だった安倍晋三首相だったのだが、殆ど何もしないで11ケ月の首相在位で辞職するわけで、年金、拉致、政治と金、格差是正、抜本的税制改革など投げ出してしまったのである。

 早くも次の首班候補としての鍵は小泉前首相だという評論家の憶測が語られていて、益々国民不在の自民党内でのシナリオが着々と準備されていることに、再び驚いている。

 何と、自民党執行部の「後継麻生太郎」路線では、決して「選挙」が戦えないとの推測が底辺にはあって、も一度、あの劇場型政治パフォーマンスのお得意な、小泉純一郎氏の再登壇を願う声があると言うのである。

 「政治の世界の一寸先は闇である」と昔から言われていることは確かだが、「政治」とは、国民、市民のための「業」であって、自分達政治家のための「党利党略」や「利害誘導」であってはならないはずである。

しかし、安倍晋三首相の辞任表明記者会見も、自民党内での小泉元首相の再登壇へのシナリオも、決して国民の方を向いていないことが明らかである。

 現在の衆議院の現状からすれば、自民党の総裁選挙で選ばれた代議士が総理大臣、すなわち首相になるのだが、こんな形での辞任は、先の参議院選挙で国民が下した民意に副えば、やはり可笑しなことなのだから、一挙に総辞職、総選挙で、改め国民の民意を問うべきである。

 いずれにせよ、自民党内の権力闘争や「麻生」「小泉」「福田」「小池」などとふざけたゲームでお茶を濁さず、正々堂々と自民党は下野する覚悟で「総選挙」に打ってでるべきではないか。
 

 
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異教徒をテロと結びつける国

2007年09月12日 | 世界の問題
 今朝はさほど気にならなかった9月11日だったが、仕事の途中に「9.11」が気になりだした。

 2001年9月11日。日本時間の10時近くだったが、その当時のテレビの「ニュースステーション」の途中に飛び込んできた「ビッグニュース」が、後に言う「9.11」と総称される、米国同時多発テロであった。

 ニューヨークのビジネス街マンハッタン島にある、世界貿易センターの高層のツインタワービルに、突然旅客機がぶつかって炎上した衝撃的な映像であった。

 もうひとつのツインタワービルにも、続けて見事に操縦された大型旅客機が突入し炎上し、大パニックとなったのである。

 他にもアメリカ国防省ペンタゴンにも旅客機が突入し、もう一機もテロリストに略奪された上、操縦を誤ったらしく墜落炎上し、多くの旅客機の乗員、乗客が瞬時に亡くなった。

 合計4機の民間旅客機が簡単に?、アルカイダ系のテロリストに乗っ取られて、初期の計画通りの目的地へ誘導、墜落させられたことに驚いたものである。

 失敗したと思われる一機はホワイトハウス、大統領官邸を目指していた憶測も交え、見事な計画の遂行を成し遂げた、アフガラスタンに隠遁していると言われる、アルカイダの総指導者、ビン・ラディン氏の消息と、その指導力が注目を集めた。

 あの忌まわしい「9.11」から満6年が経過した現在、日本では「テロ特措法」の延長問題が、衆参での与野党逆転現象の背景で大騒ぎとなっている。

 本拠本元のアメリカ合衆国では、何と現在はビン・ラディン率いるアルカイダ系のテロリスト探しよりも、国内に多数いる「イスラム系移民」をテロリスト予備軍として捜索する風潮が蔓延し、FBIをはじめとする捜査機関が、テロを未然に防ぐための「おとり捜査」などで、イラム教徒を注視している。

 アメリカ合衆国を自由の国、平等の国として移民してきた、多くのイスラム系移民たちが、とんだとばっちりで、アメリカ国内で生活しにくい状態が増し、閉塞感と共に、多くの不満や反発が生じているらしい。

 すなわち、キリスト教とユダヤ教徒が多いアメリカ合衆国で、政府権力が、たまたま反政府的発言や批判、不満を口にしていたイスラム系の若い青年達を、テロ的行為の遂行予定者として検挙しだしたことから、余計にイスラム教徒たちの不満が増長し、大変な緊張が増していると言うのである。

 結局、ある権力にとって都合の悪い勢力や、異教徒としての民族や人種を、テロという行為の予備軍として差別するという、非人道的傾向が強まっているのである。

 いつの時代にも、こうした差別、抵抗、戦いが、世界中にはあるのだが、世界一の自由と平等を標榜している国、アメリカ合衆国が「イスラム教徒」だけを犯罪者扱いにしている現実は、決して民主的な世界のリーダー国とは言えない蛮行だと言わざるを得ない。

 人は、人種、宗教、身分、性、職種など、あらゆる違いで差別されてはならないものである。

 戦いやテロ的行為は、差別や偏見、そして蔑視から始まるのである。

 

 
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安倍首相の可笑しな賭け!

2007年09月10日 | 日本の課題
 参議院選挙の歴史的敗北から2ケ月余が経ち、いよいよ第168回臨時国会が、今日召集された。

 安倍晋三首相はシドニーで開催されていたアジア太平洋経済協力会議、いわゆるAPECから帰国し国会に臨んだわけだが、オーストラリア滞在中に記者会見し、なんとも奇妙な賭けに出たのである。

 すなわち、参議院選挙後、民主党小沢代表が力説する「テロ対策特別措置法」の延長反対で、インド洋上の海上自衛隊による米軍等への給油支援の継続反対の姿勢に対し、何と国際公約だとの詭弁で「給油継続」を宣言し、首相の職責を賭けるという奇妙な「退陣」を匂わせた。

 よーく考えてもらいたいものである。

 参議院選挙で多くの国民が、安倍内閣に「不信任」を突きつけたのは、アメリカの言いなりや米国の傘下に屈した様な「ニッポン」の主体的独自性に欠ける外交や、「日米同盟」とやらの勝手なアメリカ追従に、NOを提示したのである。

 なのに、今頃になって何を勘違いしたのか、「職にしがみつくということはありません」と心にもないことを明言し、アメリカ追従の「世界的貢献のいい子ぶり」を継続し、叶わなかったら退陣、総選挙も匂わせたのである。

 言うことを聞かない「駄々っ子」や「やんちゃ坊主」みたいで、呆れて物が言えないばかりか、一国の主としての責任の所在と身の振り方についての大きな勘違いをしているのではないだろうか。

 国民は、憲法問題をはじめ、年金問題、格差社会の増進、弱者いじめの税負担増加や政治と金の不正、そして福祉、環境、教育と言った「内政問題」に大いに安倍自民党と公明党の連立内閣に、物申す形の選挙結果を導いたのに、「ノー天気」なお坊ちゃま宰相は、やけのやんぱちで駄々を捏ねている様にしか見えない。

 参議院の与野党逆転現象での国会運営を強いられている首相は、たとえ参議院で「新テロ特措法」が否決されても、憲法上の規定で再度与党が圧倒的多数を占める衆議院の2/3以上の「可決」で、米国への忠節と面子を確保しようとしているらしい。

 でも、国民はそんな茶番劇を許そうとしているわけがない。

 小沢民主党代表のパフォーマンスであっても、現在も戦争状態にある米軍の「イラク侵略」やアフガニスタン等へのへの偽りの行為に手を貸すような、誤った「人道的支援」と言う名の戦争状態を支持継続することは良くないし、憲法の拡大解釈、いや詐欺的解釈を続けてはいけない。

 首相である安倍晋三氏が国益と言うならば、多額の無駄な税金と米軍の面子とブッシュ大統領の盟友気取りをやめ、真の日本国民のための「政策」について、大いに反省し出直すべきなのではないだろうか。

 米軍やイギリス、パキスタン軍への給油、水補給は、決して国際平和のための人道支援なんかじゃない。

 安倍晋三よ、美しい国を目指しての「戦後レジーム」からの脱却を目指すなら、独立国ニッポン独自の名誉ある「平和貢献」を日本国憲法を遵守し務めよ。

 
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年金泥棒の社保庁は解体せよ。

2007年09月09日 | とんでもない!
 今に始まったわけではないが、我々国民の「老後」の生活の頼みの綱となるべき「国民年金」や「厚生年金」の総元締めのお役所である、厚生労働省管轄の「社会保険庁」をはじめとする「お役人たち」の横領、詐取、泥棒が限りなく多くあるということが暴露されている。

 昨日は郵便局の局員による、年金保険保険料の横領、詐取が明らかになったが、全国各地で、公表されていないものも含めて、とんでもない金額が、堂々と横領、詐取されている現実がある。

 今日も特集で報道していたテレビ局のインタビューに、現職の社会保険庁の職員が、匿名目隠し状態で出ていて、明日にでも横領、ねこばばしようと思ったら、何時でもできる状態だと語っていた。

 何たることか。とんでもないことである。

 サラリーマン労働者や自営、被雇用者を問わず、毎月の給与からの天引きや、毎月高額の保険料を納めてきた勤労者や国民にとって、とんでもない額が、ちょっとした出来心で、詐取されているのである。

 しかも、現金を私用に流用するだけでなく、以前にも問題になりましたが、自分達の職場や労働に関する「福利厚生」のためと称して、年金保険料で「マッサージチェア」や「テレビ」を購入したり、コンサートやレジャー費用にまで支出していたという事実が判明しています。

 そして、このたび政府は、「年金記録」の不明事件が5000件を超えるという、とんでもない事態から、社会保険庁を「民営化」すると言った「誤魔化し策」に出ようとしているのです。

 何と、そうした新たな年金機構に、採用する職員を、現在の社会保険庁職員の人事、勤務評価で決定しようとしているようですが、またとんでもない内容です。

 と言うのは、現在の幹部職員が各地の社会保険事務所で、新たな保険機構に採用する職員の判定をしているのですが、着服や横領などの「不正行為」を行った職員でも、S、A、B、C、Dの五段階評価のAをつけており、採用が内定している様です。

 安倍改造内閣で、初めて入閣した舛添要一厚生労働大臣は、就任の笑顔とは打って変わって、とんでもないことだと激怒し、現金または詐取、横領した者には、はっきりと刑罰を受けてもらうと断言しています。

 しかし、大臣がいくら叫べども、腐り切った「社会保険庁むの職員気質と、同病相哀れむ状況の中では、犯罪者が継続して「ベテラン職員」として継続して、民営化しても勤務することになりかねません。

 決して許してはなりませんし、たとえ1万円でも詐取、横領した職員は、全員「懲戒免職解雇」し、退職金の支給や天下り、別な就職口の紹介などしてはいけません。

 「世の中の常識」が全く通用しない、「非常識」な社会保険庁は、解体すべきではないでしょうか。

 舛添要一厚生労働大臣殿。男に二言はないものです。しっかりと決断、実行して下さいな。
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天才パバロッティは楽譜が読めなかった。

2007年09月08日 | 感じたこと
 イタリアの天才的なテノール歌手、パバロッティさんが昨日71歳ですい臓がんで亡くなった。

日本で一番有名かつ人気のあったテノール歌手である、パバロッティ氏がなくなったのだが、三大テノール歌手としての他の二人、ホセ・カレーラスさんとプラシド・ドミンゴさんに比べ物にならないほど、日本独自のファン倶楽部が出来ていたほど魅力的な歌手であった。

 昨年2月に開催された、あのトリノ冬季オリンピックを思いだしてみたら、荒川静香さんが例のイナバウァーで一世を風靡し、金メダルを取った大会の開会式で、その美声を全世界に轟かしたのが、最期の晴れ舞台だったかもしれない。

 そんな天才的テノール歌手が、何とまともに「楽譜が読めなかった」と聞くと、なんとも不思議でもあるが、逆に如何にもと納得がいくところもあって摩訶不思議でもあった。

 天才とは凡才と紙一重なのかもしれないが、彼は最後まで「楽譜が読めればもっと違っていた」と思っていたらしいが、私は天才とはそういう者なのだろうと、やけに納得もし、余計に尊敬にあたう歌手だと強く感じているのである。

 最近の教育について、すぐに「教育改革」とやらを持ち出して、せっかくの「総合的学習」や「ゆとり教育」を反故にして、小学生からの英語教育や道徳、歴史、伝統を重んじた「日本的教育」とやらを強く推し進めたいお偉い先生方や、国際的学力が低下しているので、もっと学力テストや授業時間を増やそうとしているお役人達がいる。

 少し飛躍すぎるかもしれないが、私はもっと幼児期から少なくとも小学校時代までは、「学力」や「教え込む」教育だけでなく、もっと人間的感性を育む「ゆとのりの教育」や「総合的な教育」を拡大した方がいいと思っている。

 パバロッティだけではなく、天才的な芸術家や表現者と言われる歴史に名を留めた人たちは、意外と幼少期の学校の「成績」とやらは決して良くは無いのである。

 すなわち、持って生まれた資質とでも言うべき、DNAの違いもあろうが、自然の中で駆け回っていたり、環境的な条件が自由奔放で、好きな世界に遊んでいたりと、驚くほどの育ち方であったりするのである。

 ともすれば、大人たちが好きな昔の「偉人伝」の様な天才的教育と環境の賜物であると勘違いして、早期教育や塾、習い事の詰め込み主義で、わが子を天才にでもしようと試みているのではないだろうか。

 「天才」とは創られる者ではなく、育ちの中から生み出される者ではないだろうか。

 パバロッティだけではないだろうが、楽譜が読めないことなど、音楽家としては致命傷の様に思う人もいるだろうが、全く逆で人間としての「感性と経験」が「学習」や「知識」を凌駕する「力」「実力」を生み出したのだろう。

 介護士や保育士の様な高齢者や幼児と共に仕事をする和解人たちも「資格」としての勉強は止む得ない現代だが、「資格」がすぐに役立つのではなく、「気づき」の心と「経験」が大切なのである。

 全国の運転免許証を持つドライバーも然りである。資格で運転は出来るが、目と心で安全かつ思いやりの運転をしてほしいものである。
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阪神ついに巨人と首位決戦へ!

2007年09月06日 | ガリバー旅行記
 我が阪神タイガースは、ついに今晩の横浜ベースターズ3連戦3連勝で、今期初の7連勝で、首位巨人に肉薄し、明日からの巨人3連戦が、今期初の天王山とも言うべき「熱い戦い」となる。

 今年はセリーグも「クライマックスシリーズ」とやらの採用で、少し勝手の違うペナントレースの終盤戦に突入しており、5月頃には最下位に甘んじていたこともある阪神タイガースも、交流戦での負け越しで今年は厳しいシーズンになるとファンは予想していた。

 しかし7月の金本選手の3位通過が目標ではなく、あくまで一位通過を目指しているというコメント以来、脅威の戦いぶりで快進撃をして、ついに昨日2位に、そして明日からの巨人三連戦で首位を窺う勢いである。

 この横浜三連戦も決して強豪チームの横綱相撲ではなく、相手のミスに乗じた得点やら、最小限のチャンスを生かしての得点で、辛うじて勝つという離れ業の連続で繋いできた。

 選抜投手が何とか5回か6回を最小失点でしのいで頑張ってくれれば、後にいわゆるJFKと称されるウィリアムス、久保田、藤川という鉄壁のリリーフ陣がいるバターンで、ひとつひとつ勝利をもぎ取ってきたのである。

 いよいよここに来て、この三枚ストッパーだけでなく、渡辺、ダーウィン、江草らの中継ぎ陣も健在で、橋本健太郎も帰ってきているし、先発陣も、下柳、ボーグルソン、杉山、上園に、能見と安藤が復帰していて完璧になっている。

 あわよくば福原とジャンが復帰すれば鬼に金棒の投手陣であり、どの球団とも引けをとらない布陣である。

 また打撃陣が少し弱いのだが、今岡や林が抜けた後を、若い待望の大砲桜井広大と葛城、高橋などの移籍組みのベテランが穴埋めしている。

 代打陣も豊富であり、先にあげたベテラン移籍組みに加えて、16年目で1500試合出場を果たしたベテラン生え抜き桧山と浜中がドンと控えていて、狩野、野口のキャッチャー陣も矢野を支えていて頼もしい。

 この様な素晴らしいチーム陣容で、金本、赤星、鳥谷、関本、シーツ、矢野などのレギュラー陣も、余裕で戦うことができるチームと成長していると思えるのである。

 今年のクライマックスシリーズへのマジックが今夜後19と点灯し、残り試合24となった現在、のこり試合の勝敗というよりも、勢いで我が阪神タイガースが03年、05年についで奇数年の2007年もセリーグ制覇に向けて、確実に歩んでいるように感じる。

 ファンのひいき目も少しはあるが、確実に勝利の予感が高まる今夜の7連勝の勝ち振りであった。

 巨人、中日、頑張ってチョー大。お疲れ様。

 

 
 
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秋を感じる虫の音に癒される。

2007年09月05日 | 季節の話題
 日中は相変わらずの気温で、まだまだ残暑厳しい日が続きますが、夜半になるとさすがほっとしますね。

 小さな庭のあちこちから秋の元気で涼しげな「虫の音」が聞こえてきますね。

 間違いなく、地球温暖化に進んでいる現代ですが、やはり季節は巡って、9月の声と共に、聞きなれた秋の虫の音が聞こえて、心を和ませ癒してくれます。

 ニッポンの秋の到来は、こうしたささやかでも間違いのない「秋の訪れ」を感じさせてくれる季節の風情の移ろいを通じて感じれる喜びがありますね。

 さて、秋の虫の音ですが、たぶん私の書斎で聞こえてくるのは、鈴虫、コオロギ、マツムシたちではないでしょうか。

 りんりんリンと聞こえる鈴虫たち。

 チンチロリンと聞こえるマツムシの響き。

 そしてコロー、コローリーとささやいているコオロギたち。

 いずれも私達の幼い時代に聞き親しんだ虫の音色と全く変わらない「なつかしさ」を感じさせてくれる響きです。

 他にも秋の虫には、ガチャガチャと啼くクツワムシ。

 すいーっチョンと啼く,ウマオイ。

 ジジジ・・・と続けて啼く、ツユムシなど。

 多種多彩な秋の虫達のオーケストラは、指揮者が誰かは知らないけれど、とっても楽しく嬉しそうに続いています。

 時折吹くすずしげな秋風の中で、都会の中でも、ちょっとした庭や空き地や雑木林で、いつもの様に演奏してくれている「秋の虫さんたち」、ありがとう。

 彼らは、主にオスが羽根をこすりあわせて、メス達への愛のメッセージを送っているのだろうけれど、私たち人間には、ありがたいことに「秋を感じさせてくれる独特のハーモニー」となって、聞こえてくるので嬉しい限りである。

 地球温暖化が急速に進んでいる現代社会、すなわち地球が瀕死の状態への階段を上りかけている状況の中で、今年もしっかりとした「秋の兆し」を感じさせてくれた虫たちにお礼を言いたい気分になっている。

 皆さんも、たぶんご自分の部屋やくつろぎの空間で、この時間に、きっと「秋の虫の音」を聞きながら、ニッポンの秋を満喫されていることだと思いますが、もし「虫の音」なんか聞こえないと言われる方は、インターネット検索で、たくさんの虫の音が聞けますよ。

 Googleなどの検索エンジンに「秋の虫の音」と入力すれば、きっとすぐに「虫の音」を聞くことのできるサイトがみつかるはずです。

 秋の夜長に、読書もテレビや音楽もいいけれど、ちょっと心が癒される「秋の虫の音」をお楽しみください。

 私の書斎では、幸いにも今も「虫達のオーケストラ」が続いています。

 みなさん、秋を夜半だけでも満喫しましょう。
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