ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

砲丸投げって言えば。

2007年09月22日 | ガリバー旅行記
 真夏の「大阪国際陸上」が終わって数週間が経ちましたが、日本は女子マラソンの土佐礼子選手が最終日に「銅メダル」を獲得するに留まりましたが、観客も少なく、テレビの中継の「織田裕二」の元気さばかりが目立った大会でした。

 私も大阪人でありながら、高い入場料の大会を直接見に行くつもりは全くなく、テレビで男子ハンマー投げの室伏選手だけは、奇跡的な?日本新に期待を抱いて応援していました。

 ところで、女子「砲丸投げ」を観ていた観衆はどれほどいたのでしょうか。

 近くに住む私の友人のお嬢さんが中学校の陸上部に入って、「砲丸投げ」を始めたことを聞いて突然、大阪の昭和中学で女子砲丸投げをしていた同じクラスの「多賀ちはる」と言う名の女の子のことを思い出しました。

 「砲丸投げ」という地味な投擲競技はなかなかトライする女子は少ない中で、彼女は、当時の中学生の大会では、いつも優秀な成績を収めていて、体格がとっても大きく、率直に言えば筋肉質だとは思いますが太っていました。

 今回の世界陸上で女子の砲丸投げで優勝したのは、ニュージーランドのバレリー・ビリ選手で、何と今期世界最高記録の20.54メートルを最終の六投目に投げて大逆転で金メダルをとったのです。

 彼女は、高校時代にクラスで一番体格が良かったため、教師の薦めで「砲丸投げ」を始めたのですが、「15歳の時に亡くなった母のいない悲しみを投げることに打ち込んで紛らわせてきた」と語っていたそうです。

 今年の5月には父が他界したために、コーチからは「お前がここにいることを証明し、両親のために投げるんだ」と励まされ、「とにかく遠くに投げることに集中した」と力強いフォームで、自己最高の投てきをしたそうです。

 彼女は歓喜の勝利インタビューで、今は亡き両親に「父さん、母さん、アイラブユー!」と叫んだそうです。

 逆境を覆す強さを鉄球に込めたのは、男子の砲丸投げに優勝した、アメリカのリース・ホッファ選手も同じで、4歳の時に家が火事で焼けたために孤児院に預けられ、その後両親とも暮らすことなく養子に出されたらしいのです。
 
 彼も「今の諦めない自分は、子供のときの苦労の経験があったからだ」と世界一の頂点に立って、険しい道程を振り返って言ったとのことです。

 すべての「砲丸投げ」の選手に、そんなエピソードがあるとは限りませんが、中学時代の砲丸投げの選手であった「多賀みはる」さんは、今どうしているのだろうか。

 知っている方がおられたら教えてください。

 たぶん、砲丸投げの投擲のごとく、力強い人生を間違いなく送っておられることだと推察しています。

 ご近所の砲丸投げで汗する中学生の娘さんも、力強い人生を歩むことだと思います。

 

 
コメント
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