ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

秋の夜に思うこと。

2007年09月16日 | ファミリーイベント
 残暑厳しい今日だったが、私たち4人兄弟の母が、70年近く住み慣れた大阪の家から同区内の有料老人ホームへと引っ越したのである。

 数年前から少し認知症的傾向が出だした今年91歳になる母だが、みんなで数ヶ月間話し合って母にも了解を得たとは言え、なんとも忸怩たる思いを残しての「引越し」となった。

 暑い夏を乗り越えた母は、若い頃からの耳の不自由さを除けば、いたって元気な90歳なのだが、物忘れやお金の管理など、いろいろと大変になってきたのである。

 我々の父、すなわち夫を亡くして今年で38年目の母は、長年の独居にもめげず元気に暮らしてきたが、ここ数年は「さびしさ」と認知症のお陰で、いろんな小さな事件を起こしていた。

 他人様には気にならないことでも、身内にとっては何とも情けないと言おうか、どう表現すべきか、笑うしかない様なことも数々生じた。

 私は母の住まう実家から車で約一時間ほどの地方都市に住んでいるが、最近の母は私が心配の種になる瞬間があるらしく、よく突然電話がかかってきて、「あんた生活に困ってないか」「仕事はあるのか」「家はどうなっているのか」などと矢次早やに一方的に尋ね、「私の家は広いから一緒に住んでもいいよ」と、同居しようと、私を誘うのである。

 私もマジで、「お母さん大丈夫やで。僕には奥さんもいるし、家もあるし、仕事もしてるから」と答えているのだが。

 電話から二日が経って、直接実家で顔を合わせると全く電話で話したことは忘れていて、「みんなが元気で幸せだったら、それが一番!」と口癖の様に言うだけなのである。

 そんな母の日常生活と今後の介護や年齢のことを考えて、兄弟で「有料老人ホーム」への入居を決めた次第なのである。

 身の回りの荷物や日頃使っていた茶器セット、テレビ、丸テーブルなどを新しい母の居住する部屋に運んだ後、日頃何かとお世話になっていた実家の隣家に、母と兄弟4人揃って挨拶に行った。

 永久の別れではないのだが、お隣の老いたご主人も、母の姿に感極まるものを感じられた雰囲気で、私たちもお礼を言いながら言葉にならない感動を覚えた。

 夕刻、新しい部屋で、補聴器をつけた母と話をしながら、これからの母の生活を思い、「元気に仲良く暮らしてね」とメモにしたためてきた。

 夕食を嬉しそうに食しながら、「いろいろとありがとう」と言いつつ、僕を目で見送ってくれた母の姿に、後ろ髪を引かれながら秋の夜を複雑な心境で家路についた。

 卒寿を迎えた母の人生に、幸多かれと祈ると共に、私たち兄弟が母にできることと、自分達の人生を再びしっかりと考えたいと思った。

 坂本龍馬は、「世の人は我を何とも言わば言え、我が成すことは我のみぞ知る」と語ったそうだ。



 
コメント (2)
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