ガリバー通信

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ミャンマーの軍政!

2007年09月26日 | 世界の問題
 ここ数日、東南アジアのミャンマーでの「民主化要求の国民デモ」のニュースが気にかかっている。

 1988年に起きた民主化を求める国民の動きに軍政が弾圧し、大変な騒乱、流血の事態を招き、1000名以上の市民が殺された痛ましい事件から、またそうした事態を招きかねない状況が近づいていると危惧している。

 ビルマがイギリスから独立する前年の1947年7月に暗殺された、ビルマ建国の父アウンサン将軍の娘で、1991年にノーベル平和賞を受賞した、アウン・サン・スー・チーさんの身柄がどうなっているかも心配である。

 このミャンマーという国名に象徴される、一方的に国軍が国家権力を支配している国の現在と将来は、一般の国民にとっては決して好ましい状況ではないことは明らかである。

 水島一等兵の真摯な態度で有名な「ビルマの竪琴」を皆さんもご存知だろうが、今の「ミャンマー」という国名は、軍政によって名づけられた「新しい国名」であることもご存知かな。

 十数年前に突然地図上の表記がビルマからミャンマーに変わり、理由がよく分からなかったが、日本に亡命同然で来た留学生達や、軍政によって殺された民主化を求める人たちのニュースを聞き、決してこの国を「ミャンマー」のままにしておいてはいけないと思うようになった。

 その民主化運動の精神的指導者が、アウンサン将軍の娘のアウン・サン・スー・チー女史で、彼女を慕い彼女の父を今も「建国の父」として尊敬する国民が多くいる。

 彼女は1945年6月生まれで、若き日にインドのデリーで政治学を、またイギリスのオックスフォードで、哲学、政治学、経済学を学んだ才女であり、1972年にチベット研究者のマイケル、アリスと結婚し、二人の息子の母でもある。

 1988年に母の病気の看護のために、ビルマに戻ってからは、学生達を中心に始まった反政府デモが激化し、1962年以来の軍政の独裁に対抗した民主化を求めて、国民民主連盟(NLD)の結党に参加し、1987年8月に50万人の群集に向けた演説を行い、一躍民主化運動の指導者として脚光を浴びたのである。

 それ以来、軍政府からは睨まれて、自宅軟禁や国外退去を命じられたりする非人道的抑圧を受けながらも、非暴力民主化運動の指導者として、1991年にノーベル平和賞を受賞し、賞金で国民の健康と教育のための基金を設立した。

 長年の自宅軟禁状態の中、軍政には抵抗し続けているが、執拗な軍の弾圧で、民主化はいまだ実現していない。

 その後、夫が前立腺癌で99年に死亡した際も、軍は彼のビルマ入国を認めず、アウン・サン・スー・チーさんも、再入国拒否の恐れのため出国できなかった。

 そんな過酷な状況の中で、彼女は毅然としてひるまず、今回の民主化運動のデモに参加している僧侶達の姿に涙を拭っていたらしく、軍により刑務所に移送されたとの情報もあり、全世界が「NO!」と叫ばねばならない事態が続いている。

 

 
 
コメント (1)
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