ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

頭の良い子が育つ家

2007年05月19日 | 地域の話題
 有機無農薬の農産物と無添加食品の「移動週末販売やおや」をしていて、走っていると時々変な看板や、おもしろい表記に出会うことがある。

 今日は何と「頭の良い子が育つ家」というキャッチフレーズの住宅宅地と家の販売事務所を発見した。

 ほんと「頭の良い子が育つ家」とは、もどんな「家」なんだろうと、少なくとも誰もが気にかかるはずである。

 それにしても、どんな商品を売るのも大変だと思われるが、ちょつとしたコンビニなどに売っている「スナック菓子」なら、いざ知らずだが、少なくとも何千万もするであろう「宅地付の1軒家」の分譲販売のキャッチフレーズとして、事務所の四方にも書かれているし、のぼりが周辺の分割された「宅地」に旗めいているのである。

 「頭の良い子」と「育つ」と「家」をよーく考えてみれば、そもそも「頭の良い」子どもが居て、その子がこの住宅地で「育つ」のかもしれないと皮肉めいて思うふしもあるが、大半は「ここに住むと普通の子どもも頭がよくなる」ととるであろう。

 そうすると、このキャッチフレーズは、この住宅を購入した人の子ども達が「頭の良い子」にならなければ、「過大広告」もしくは「詐欺的広告」となるのではないだろうかと、心配にすらなった。

 本来、子どもの「頭が良い」とは、普通は「学力成績が優れている」ことを指す場合が多いのだが、言い訳がましく解釈すれば、「頭の良い子」とは、必ずしも「成績の良い子」ではなく、「頭切れる子」または、「賢い子」であり偏差値の高い学校などに進学できると保証されたものではないとも解釈できる。

 とにかく、いろいろとつまらないことも想像したり、考えてしまうほど、キャッチフレーズとしての「インパクト」はあり、私如きでも、車を降りて、この住宅地に何か、「頭が良くなる」謎か秘密が隠されているのではと思ったほどである。

 いずれにせよ、これから家を買おうと思っている人たちにとっては、一度は検討してみたいと思ってしまうのではないだろうか。

 その分譲予定地の場所や道路、日当たりの具合などだけでなく、日常生活に欠かせない近所の各種条件や学校、ショッピング、医療機関、コンビニ、ホームセンター、レストランなどの立地なども考慮せねばならないが、予算やローンが組めれば、若い夫婦にとっては本当に「頭が良くなる子が育つ」のであれば、是非購入したいと思うのではないだろうか。

 私たちくらいの世代になれば、まるで冗談のようにしか受け取らないが、でも少しでも、そんな「家」が子どもを頭の良い子にしてくれる環境として機能するならばと少しは考える人がいても可笑しくはないのではないだろうか。

 でも、そんなことはあり得ないと断言する。

 でも、「夢」か「期待」を持ちたいと考える人たちには有効なキャッチフレーズなのかもしれません。
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嘘の様な本当の話。

2007年05月17日 | 日本の課題
昨日の「闇金の女」から聞いた話なのだが、とんでもないことである。

 元々法的には「最高の利息」の限度が決められているが、その10数%から20数%でもとんでもない高利率だが、一万円を借りたら年に2000円以上の利息と共に、元金を返さなければいけないのである。

 あの「浪速金融道」で有名になった「闇金」でも、所謂「十一」と言われ、一万円を借りれば一週間に一割、すなわち千円の利息がつくわけだが、彼女の勤めていた「闇金」は、一万円借りれば何と一週間に参千円の利息がつくという「とんでもない」ルールなのである。

 一週間が経って参千円も含めて、一万参千円を耳を揃えて返すことができる人であれば、こんな高利の「闇金」に手を出すことはないのである。

 普通のサラリーマンローンと言われる「金融」から、もう既に「お金」を借りることができない「困った人たち」が、無理を承知で「闇金」から借金をするわけだから、結果は見なくても想像できる惨状となるのだ。

 彼女いわく取立てには、まず「サラ金」業者が法的範囲内の利息なので、堂々と出向いて、玄関のドアを蹴ったり叫んだりと「手荒い取立て」を展開するのだという。

 次に、彼女が勤めていた様な「闇金」が取り立てに行くのだそうだが、彼女は、子どもが小さな家庭などに「取立て」に行く場合は、子どもに罪はないので、よく「カップ麺」や「お菓子」を差し入れた上で、情をかなぐり捨てて少しでも借金の利息を貰って帰ったと言うのである。

 しかし、もっと悲惨なケースは何と「夜逃げ」したかと思うような実態に遭遇したが、実はたぶん業者に「拉致」されて、働ける大人は何処かの飯場の様な「強制労働」を強いられ、子どもたちは「海外に売られた」そうである。

 「とんでもない!」と言っている場合ではないが、現実はそうなっているらしいのである。

 今時の時代に「子ども含む人間を拉致」するなんて信じられないと思うが、業者は、とことん「元金と利息」を確保するためには、非人道的な手段であろうとも、決行していると言うのである。

 生命保険や傷害保険、または医療保険などに加入させて、無理やり被保険者としての「請求」をさせたり、中には「闇の臓器売買」や「「人身売買」まで起きているというのである。

 その借金のきっかけはと聞けば、パチンコに始まり競馬、競艇、競輪などのギャンブルや、新興宗教やブランド志向の新し物好きの中毒、また覚せい剤や薬による場合もあると言うのである。

 人生の裏とでも言うべき、異常かつリアルな世界を見てきた、若い元気な二児のママである彼女のバイタリティはさすがであり、昼ごはんを食べながら、あっけらかんと話してくれたのである。

 『サラ金』、ましてや「闇金」には、絶対に手を出すな。人生が終わります。

 
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「闇金の女」に出会った。

2007年05月16日 | とんでもない!
 世の中には、いろんな職業、仕事があるものだ。

 今のパートの仕事先で、「闇金」で働いていた女性と一緒に、明日営業活動をすることになった。

 まだ24歳の元気で明るい女性なのだが、既に二児のママでもあり、何故に「闇金融で二年以上も働いていたか」と問えば、意外な答が返ってきたのである。

 彼女は若くして結婚したのだが、仕事を求めて、いくつもの求人広告に応募したのだが、ことごとく断られて10回目くらいに、「リサイクルショップの事務」との求人に応募し採用されたのだそうだ。

 しかし三日目に、その職場が「闇金融」の会社であることに気づいたと言うのである。

 でも何故辞めなかったのかと言えば、その当時彼女は「茶髪」に染めていて、ここを辞めたら、また当分仕事にありつけないかもしれないと思ったので、お金がいるので割り切って勤め続けたと言うのである。

 そして、何故その「闇金」を止めて、まともな営業仕事のパートに仕事を変えたのかとと問えば、「社長が逮捕されて、会社が営業できなくなったからだ」と言うのである。

 ほんとうにヤバイ「闇金融」の事務所に勤めていたことが判ったのだが、彼女は、この二年間の仕事を通じて何を見て、何をしていたのだろうか。

 たくさんの信じられないエピソードを見聞きし、経験しているであろうと思われるので、大変興味深いのである。

 明日、半日共に営業活動をしながら、いろいろと話を聞いてみたいと思っている。

 どちらにせよ、見なくてもいい世界をも見てきただろうし、人間の憎悪と修羅場も体験してきたのではないかと、少し期待もしているので楽しみである。

 さて、その中身をどれ程話してくれるかは分らないが、ともかく私如きが体験したり、見たり聞いたりしたことのない「とんでもない世界」を若い彼女から聞くことになるだろうと思っているのである。

 明日の「ガリバー通信」のブログは、壮絶なご紹介になるかもしれません。
 乞うご期待あれ。ナーンちゃって、ただの馬鹿話に終わるかもしれませんけどね。

 「人生いろいろ、会社もいろいろ」と言った、かつての何処かの国の総理大臣もいましたが、ほんと「会社もいろいろ」「人生もいろいろ」だと間違いなく思います。

 私は、いろいろ好奇心旺盛ですが、間違っても、そういう世界を体験したいとは思いませんが、「背に腹は変えられず」とでも言うのでしょうか、若くして、それも女性が体験し、見聞きした世界は、貴重だと思います。

 人生の悲喜こもごもは、本当に「小説より奇なりだ』と想像しています。

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お連れ合いの死。

2007年05月15日 | 感じたこと
 今年になって、我が親友の二人の奥様が、二月と五月に、いずれも癌の闘病生活の後に、帰らぬ人となってしまった。

 二人とも小学一年生からの50年来の「親友」であり、その「お連れ合いさん」であるために、何度も機会あるごとに御目にかかっていた「奥様」だったので、とってもショックでもあり、福山と生駒の葬儀場へと妻と一緒にお通夜に出かけた。

 50代と60代とは言え、まだまだお若い「お連れ合い」を亡くされた友人の悲しみと寂しさは、譬えようのない状態だとは察することができる。

 でも五月の通夜の帰り道に、我が連れ合いが言うには、奥さんが続けて亡くなったので、「次は私かも知れない」と冗談で言うのである。

 私は、自分の連れ合いである妻が、私より先に逝くなど想像もしたことがなかったので、その言葉に驚きつつ、二人の友人の「妻を亡くした心境」を精一杯想像し、「お悔やみ」ではなく、これからの前向きな人生へ何と声をかければいいのかと思いを巡らせていた。

 今日、二月に奥さんを亡くされた友人からメールが来た。

 「切なさは波の様に繰り返しやってきます」「でも元気にやっていますのでご心配なく」と書かれていて、その後には、娘さんに無事お子さんが誕生し、毎日の様に「二人の孫を抱いている」と記されていた。

 亡くなった「いのち」の代わりではないのだが、新しい「いのち」が誕生していて、彼は亡くなった「お連れ合い」の死を悼みつつも、新しい「いのち」の「お孫さん」に救われているのである。

 一方の五月に「お連れ合い」を亡くした彼の方は、まだ日が経っていないので、仕事には復帰しつつも、多種多様な「亡妻」の手続きや片付け、所謂四十九日と言われる「満中陰」とやらが終わらないと落ち着かないことだろうと察している。

 彼曰く、奥さんが亡くなり、通夜式と告別式を告げる電話をかけてきてくれた時に、「一応連絡しておくけど、無理して来んでもええよ、ちょっと経ってからゆっくり自宅で、彼女の死を語る機会が持てればいい」と言っていたことを思い出した。

 来月、二人ともと出会ったきっかけである、私達の小学一年生のクラスの先生を偲びつつも、先生の名前から起因する有志の同窓会である「竹の子会」を催して、みんなで明るく故人のことも語れたらと思っている。

 小学一年生であった「縁」から50余年経った今、改めて「親友」「友人」たちと、彼らの「お連れ合い」の死について語る機会ができるとは思ってはいなかった。

 いずれにせよ、私達の「団塊の世代」の友人達の母達は、80代後半から90代前半の高齢ではあるが、いまだ元気にしているのだが、若くして「お連れ合い」を亡くした友人達がいるのである。
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弁当配送ボランティアが出来ない。

2007年05月14日 | 地域の話題
 今日から私は新しい仕事。と言ってもパートの如き存在だが、ともかく選挙後の身の振り方を考えるためにも、じっとしては「おまんまが食べられない」ということで、友人の誘いもあって仕事に就くこととなった。

 月曜から木曜日まで一週間に4日間のパート仕事とは言え、基本的には休むことは出来ないと思っている。

 そこで今まで20年近く、たぶん議員になる前からやっていた、社会福祉協議会がやっている事業の「ふれあい給食」、つまり無償で独り暮らしの高齢者に、地域の民生委員さんがお届けする「手作り弁当」を配送するボランティアが、月に二度とは言え、毎月の第一と第二水曜日の午後だったので、出来なくなったのである。

 ほとんどは地域の民生委員さんへ届ける形だったのだが、直接高齢者の手元へと、やはりボランティアグループの人たちが作られた「お弁当」を届ける役割は、直接的ではなくても、いろんな地域の問題や高齢者、介護保険、家族、病気、医療、コミュニティなどのあり様とあり方を、実際に感じたり考えたり出来る機会として、私自身は続けてきたつもりである。

 今日からはじめた「仕事」のために、長年続けていた「お弁当の配送ボランティア」を休止せざるを得なくなったので、社会福祉協議会に電話を入れて、担当者に「今週水曜日から出来ない」との断りを言いつつ、「大変お世話になりました」と言う自分に対して、社協の職員が「いいえ、こちらこそ長年お世話になりました」と返事をされたのを聞き、少しだけ感慨があった。

 走馬灯の如くとは、ちょっと言い過ぎかもしれないが、考えてみれば議会や、どうしても止む得ない事情で、水曜日の弁当の配送ボランティアが出来ない日もあったのだが、ほとんど20年間、欠かさず運んだ「民生委員」さんや「高齢者」の方々の「顔、かお、カオ」が浮かんできた。

 その中で、やはり筆頭は、この「ガリバー通信」のブログにも一度は登場した「河村愛さん」である。

 「河村愛」とだけ書くと、今の若い人たちのポップス音楽の中で活躍する「川島愛」や「大塚愛」みたいなのだが、年の頃なら八十過ぎのおばぁちゃんなのである。

 独り暮らしだが至って元気で、耳は遠いけど働き者の「面白い高齢者」なのである。

 夏は、いつもシャツ一枚の「夏姿」で、玄関先は開けっ放しで、畑や近所に出かけている、明るい名物ばぁさんなのであった。

 いつも「兄ちゃんすまんな!」と私に言ってくれて、夏場は「コーヒーでも飲んで行きや」と缶コーヒーを勧めてくれる、気のいいおばあちゃんであった。

 ちょっぴり寂しさを感じるのは、そうしたおばぁちゃんと会えなくなることである。

 この20年間に運んだ「ふれあい給食」は、ざっと平均一回に10食として、一年に200食程度なので、何と4000食となる。凄い数だが、一度だけ給食の「お弁当」を食べたことがある。
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「男って、別な生き物?」

2007年05月13日 | 感じたこと
ある女性と話していると、何故か「ガリバーさんを前に、何だけど・・・」と前置きして、彼女は「自分の孫の男の子を見ていて、男は別な生き物だ」と感じると言う。

 突然出た言葉ではあるが、私にも彼女が言いたいことは何となく分る気がした。

 当然、ご主人もおられるが、二人の女のお子さんの母であり、お孫さんの五人の内、一人だけ男の子なのである。

 彼女は幼稚園の保育士で、長年務めておられたので、たくさんの「男の子」を知っていると思うが、改めて身近な「男の子」の存在に驚いたり、不可解なことが多すぎると言うのである。

 今春小学生になった孫の男の子は、おばぁちゃんの家にも家族で遊びに来るのだが、他の女のお孫さんたちと一緒に遊んでいるように見えるが、全く違うという。

 男の子としてのプライドやシャイな気分もあって、「自分の世界」を侵されたくないようで、「出来ないこと」も「出来ること」も自分で納得いくまで、他人に手伝ってもらわずに「やりたい」のである。

 女の子の場合は何でもお母さんやおばあちゃんと一緒に、手伝って貰いながらでも楽しそうにやっているが、男の子は「一人で出来るもん」と、もっぱら自分の世界に没頭すると言うのである。

 たぶん、ご主人の世界もたぶん同様だったのではと思われ、私もご主人を存じてはいるが、言葉少ないタイプのお人柄で、たぶん「シャイな方」なんだろうと感じている。

 そんなご家族の中で、彼女が感じている「男は別な生き物」という突拍子もない表現が、私には大変面白くもあり、可笑しくも感じたのである。

 確かに私も男の一人であるので、彼女が言わんとしている「サムシング」は、何となく理解できるのだが、逆に私たち男の側から見ると、「女は別な生き物」だとはあまり思わないのではないか。

 三月の末に生まれたばかりの、私の二人目の男の子の孫も、「おちんちん」が付いているという「違い」だけではなく、泣き方をはじめとする「一挙手一投足全て」が「違う」と娘やばあばも感じているらしい。

 「なるほど!!」と彼女とのお喋りを終えようとした時、玄関からご主人が帽子を被って出てこられ、何も言葉を交わさずに私達の前を素通りされて外出されたので、彼女にとっては、ご主人も不可思議な「別な生き物」として、感じておられるだろうと実感した。

 つまり、男の子のお孫さんの存在で初めて感じられたのではなく、以前から長く連れ添われている「ご主人」の「不可思議さ」が、男の子の孫の誕生、発達の過程で、より明確な「男って別な生き物だ」との見解を確定させたに過ぎないのである。

 ほんとうに女性にとっては、「男って別な生き物」としか言い様がないのだろうか。私の存在も妻や娘からすると、「別な生き物」と感じているのだろうか。
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今夏は内モンゴル20周年だ!!!

2007年05月11日 | ガリバー旅行記
今年の夏の「ガリバーと行く・内モンゴル地球散歩」が、なんと私自身の内モンゴルと出会ってから、満20周年の記念の旅となる。

 当初、例年通りの8月16日出発で25日帰国の、9泊10日のツアーとして計画していたのだが、今年は20周年の記念とともに、新たなオメデタイことが重なって、私自身は二日早く、中国へと出発することになりそうなのである。

 それは、私と今から18年前の1990年に出会って以来の友人となった、中国内蒙古自治区の赤峰市、ダライの町に住んでいた「包海岩」君の結婚式が行われるためなのである。

 彼は、モンゴル人なのだが、現在は中華人民共和国に政治的には支配されている、内蒙古自治区の出身なのだが、六年と少し前に京都にやってきた留学生なのである。

 不幸か幸いか、彼が最初に出会ったのが私であり、91年の私達の企画である、「内蒙古地球学校」に現地の交流学生のひとりとして参加して以来、93年に始めて日本に「日本海地球学校」のメンバーとしてやってきた、ご縁が今に続いている。

 彼は、13歳の時に「日本」と「日本人」に始めて触れて、「日本」との縁が深まり、今日のお昼ご飯を一緒に食べながら、「人生の四分の一」は、日本にいることとなった」と供述しているのである。

 日本の京都、そして同志社大学との「ご縁」で、私も何度も食事を共にしたり、遊んだりしながら、彼を見守り、そして彼の弟や妹も、京都にやってくることになり、みんなで交流を深めたのである。

 一方、私が主宰する「いきいき地星人の会」が企画する毎年夏の「中国・内モンゴル地球散歩ツアー」では、内蒙古草原でのゲル生活や生活全般のサポートを、彼のご両親がしていただくこととなり、一昨年からは本格的に現地で手伝っていただいている。

 弟のオラクルは、昨年夏前に帰国し、シリンホトに住む両親の手伝いをしながら過ごしているが、妹のナラングリは、同志社大学留学生別科で、二年間日本語を学んだ後、今春から名古屋の大学へと進学したため、現在は名古屋で一人暮らしである。

 しかし、実は結婚する相手の彼女が、六年前からの名古屋暮らしであり、彼女は兄嫁にあたる「お姉さん」のいる名古屋に生活しているので、安心なスタートを切れたとも言える。

 ともかく、バオハイェン君の「結婚式」に参列することを前提に、今年の夏の予定は決まったと言っても過言ではなく、彼は私との打ち合わせの上、8月15日に、内モンゴル自治区のシリンホトのホテルで結婚式をすることにしたのである。

 さて、楽しみなお祝いごとが加わっての、今夏の「内モンゴル地球散歩ツアー」は、大草原でのゲル生活と乗馬を楽しむ一週間となるのだが、赤峰市での20周年記念パーティーも企画されるので、どうなることやら、とっても幸わせなツアーとなることだろう。
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やっとパソコンも回復!!

2007年05月09日 | 季節の話題
選挙の後始末もほとんど終わって、息子達の結婚報告会とやらも無事終了し、今日は娘の?歳の誕生日なのです。

世の中のゴールデンウイーク呆けも、あの吹田のエキスポランドのジェットコースター死亡事故で、吹っ飛んだ感じである。

 さわやかと言うより、全くもう夏本番の気温になってしまった昨日、今日は既に私はTシャツ一枚で過ごしているのですが、それでも汗をかいてしまう様な有様です。

 そうそう三月の月末に、二人目の孫が生まれました。

 五歳のK君にとっては待望の弟の誕生になり、とっても「お兄ちゃん」になったと張り切っているかと思うと、ちょっと赤ちゃん還りとでもいうのでしょうか、泣きべそをかくことが見られる日々が続いています。

 パソコンがやっと我がデスクに以前の如く戻ってきて、やっとパソコンが使えると思ったら、何故か原因不明のトラブルで、この一週間から10日間はインターネット接続が作動せず、「ガリバー通信」の更新もできない状態でした。

 天気は夏模様になって青空の下で気持ちのいい風が吹く、私の誕生月である七月に向かって気持ちも新たに上昇して、気分新たに新しい仕事にチャレンジしようとしています。

 しかし、ただ唯一思い通りではないのが、我が「阪神タイガース」の絶不調です。

 ゴールデンウイークに一勝もできず、藤川の出番も二週間近くなく、何時になったら勝利と言う、美味しい味を再び味合うことが出来るのでしょうか。

 たった今、巨人を相手に、阪神の期待の林(リン)が先制のツーランを打ったというニュースが飛び込んできました。

 何とか、阪神も目覚めてくれれば、これからが勝負です。

 気持ちのいい季節、赤ちゃんのかわいくたくましい寝顔と元気な泣き声に、「勇気と元気と活力」をいただいて、これからの人生、まだまだ楽しく明るくのんびりとやりますよ。

 皆さん、いろいろとご心配をおかけしましたね。

 「ガリバー通信」もちゃんと復活します。またお付き合いくださいませ。

 皆さんのご健康とお幸せも、ついでにお祈りいたします。

 
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ゴールデンウィーク!

2007年05月02日 | 感じたこと
世の中、ゴールデンウィークとやらで、長い休みの方は9日間の大連休だそうです。

私は市議として16年間仕事をしてきましたが、市長選立候補と同時に失職したため、現在は週末のやおや以外は無職になりました。

 次の仕事が決まるまでは長期休なのです。

 いつもブログを読んで下さっている皆さんには、ご心配をお掛けしてますが、元気いっぱいです!

 パソコンが不良のため暫くブログの更新が出来ずに、すみませんでした。

 ケイタイからの更新でした。
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