ある女性と話していると、何故か「ガリバーさんを前に、何だけど・・・」と前置きして、彼女は「自分の孫の男の子を見ていて、男は別な生き物だ」と感じると言う。
突然出た言葉ではあるが、私にも彼女が言いたいことは何となく分る気がした。
当然、ご主人もおられるが、二人の女のお子さんの母であり、お孫さんの五人の内、一人だけ男の子なのである。
彼女は幼稚園の保育士で、長年務めておられたので、たくさんの「男の子」を知っていると思うが、改めて身近な「男の子」の存在に驚いたり、不可解なことが多すぎると言うのである。
今春小学生になった孫の男の子は、おばぁちゃんの家にも家族で遊びに来るのだが、他の女のお孫さんたちと一緒に遊んでいるように見えるが、全く違うという。
男の子としてのプライドやシャイな気分もあって、「自分の世界」を侵されたくないようで、「出来ないこと」も「出来ること」も自分で納得いくまで、他人に手伝ってもらわずに「やりたい」のである。
女の子の場合は何でもお母さんやおばあちゃんと一緒に、手伝って貰いながらでも楽しそうにやっているが、男の子は「一人で出来るもん」と、もっぱら自分の世界に没頭すると言うのである。
たぶん、ご主人の世界もたぶん同様だったのではと思われ、私もご主人を存じてはいるが、言葉少ないタイプのお人柄で、たぶん「シャイな方」なんだろうと感じている。
そんなご家族の中で、彼女が感じている「男は別な生き物」という突拍子もない表現が、私には大変面白くもあり、可笑しくも感じたのである。
確かに私も男の一人であるので、彼女が言わんとしている「サムシング」は、何となく理解できるのだが、逆に私たち男の側から見ると、「女は別な生き物」だとはあまり思わないのではないか。
三月の末に生まれたばかりの、私の二人目の男の子の孫も、「おちんちん」が付いているという「違い」だけではなく、泣き方をはじめとする「一挙手一投足全て」が「違う」と娘やばあばも感じているらしい。
「なるほど!!」と彼女とのお喋りを終えようとした時、玄関からご主人が帽子を被って出てこられ、何も言葉を交わさずに私達の前を素通りされて外出されたので、彼女にとっては、ご主人も不可思議な「別な生き物」として、感じておられるだろうと実感した。
つまり、男の子のお孫さんの存在で初めて感じられたのではなく、以前から長く連れ添われている「ご主人」の「不可思議さ」が、男の子の孫の誕生、発達の過程で、より明確な「男って別な生き物だ」との見解を確定させたに過ぎないのである。
ほんとうに女性にとっては、「男って別な生き物」としか言い様がないのだろうか。私の存在も妻や娘からすると、「別な生き物」と感じているのだろうか。
突然出た言葉ではあるが、私にも彼女が言いたいことは何となく分る気がした。
当然、ご主人もおられるが、二人の女のお子さんの母であり、お孫さんの五人の内、一人だけ男の子なのである。
彼女は幼稚園の保育士で、長年務めておられたので、たくさんの「男の子」を知っていると思うが、改めて身近な「男の子」の存在に驚いたり、不可解なことが多すぎると言うのである。
今春小学生になった孫の男の子は、おばぁちゃんの家にも家族で遊びに来るのだが、他の女のお孫さんたちと一緒に遊んでいるように見えるが、全く違うという。
男の子としてのプライドやシャイな気分もあって、「自分の世界」を侵されたくないようで、「出来ないこと」も「出来ること」も自分で納得いくまで、他人に手伝ってもらわずに「やりたい」のである。
女の子の場合は何でもお母さんやおばあちゃんと一緒に、手伝って貰いながらでも楽しそうにやっているが、男の子は「一人で出来るもん」と、もっぱら自分の世界に没頭すると言うのである。
たぶん、ご主人の世界もたぶん同様だったのではと思われ、私もご主人を存じてはいるが、言葉少ないタイプのお人柄で、たぶん「シャイな方」なんだろうと感じている。
そんなご家族の中で、彼女が感じている「男は別な生き物」という突拍子もない表現が、私には大変面白くもあり、可笑しくも感じたのである。
確かに私も男の一人であるので、彼女が言わんとしている「サムシング」は、何となく理解できるのだが、逆に私たち男の側から見ると、「女は別な生き物」だとはあまり思わないのではないか。
三月の末に生まれたばかりの、私の二人目の男の子の孫も、「おちんちん」が付いているという「違い」だけではなく、泣き方をはじめとする「一挙手一投足全て」が「違う」と娘やばあばも感じているらしい。
「なるほど!!」と彼女とのお喋りを終えようとした時、玄関からご主人が帽子を被って出てこられ、何も言葉を交わさずに私達の前を素通りされて外出されたので、彼女にとっては、ご主人も不可思議な「別な生き物」として、感じておられるだろうと実感した。
つまり、男の子のお孫さんの存在で初めて感じられたのではなく、以前から長く連れ添われている「ご主人」の「不可思議さ」が、男の子の孫の誕生、発達の過程で、より明確な「男って別な生き物だ」との見解を確定させたに過ぎないのである。
ほんとうに女性にとっては、「男って別な生き物」としか言い様がないのだろうか。私の存在も妻や娘からすると、「別な生き物」と感じているのだろうか。
でも、現実派の女性から見ると、いつも男は「夢」を見ている「自由人」なのかもしれないね。