ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

お連れ合いの死。

2007年05月15日 | 感じたこと
 今年になって、我が親友の二人の奥様が、二月と五月に、いずれも癌の闘病生活の後に、帰らぬ人となってしまった。

 二人とも小学一年生からの50年来の「親友」であり、その「お連れ合いさん」であるために、何度も機会あるごとに御目にかかっていた「奥様」だったので、とってもショックでもあり、福山と生駒の葬儀場へと妻と一緒にお通夜に出かけた。

 50代と60代とは言え、まだまだお若い「お連れ合い」を亡くされた友人の悲しみと寂しさは、譬えようのない状態だとは察することができる。

 でも五月の通夜の帰り道に、我が連れ合いが言うには、奥さんが続けて亡くなったので、「次は私かも知れない」と冗談で言うのである。

 私は、自分の連れ合いである妻が、私より先に逝くなど想像もしたことがなかったので、その言葉に驚きつつ、二人の友人の「妻を亡くした心境」を精一杯想像し、「お悔やみ」ではなく、これからの前向きな人生へ何と声をかければいいのかと思いを巡らせていた。

 今日、二月に奥さんを亡くされた友人からメールが来た。

 「切なさは波の様に繰り返しやってきます」「でも元気にやっていますのでご心配なく」と書かれていて、その後には、娘さんに無事お子さんが誕生し、毎日の様に「二人の孫を抱いている」と記されていた。

 亡くなった「いのち」の代わりではないのだが、新しい「いのち」が誕生していて、彼は亡くなった「お連れ合い」の死を悼みつつも、新しい「いのち」の「お孫さん」に救われているのである。

 一方の五月に「お連れ合い」を亡くした彼の方は、まだ日が経っていないので、仕事には復帰しつつも、多種多様な「亡妻」の手続きや片付け、所謂四十九日と言われる「満中陰」とやらが終わらないと落ち着かないことだろうと察している。

 彼曰く、奥さんが亡くなり、通夜式と告別式を告げる電話をかけてきてくれた時に、「一応連絡しておくけど、無理して来んでもええよ、ちょっと経ってからゆっくり自宅で、彼女の死を語る機会が持てればいい」と言っていたことを思い出した。

 来月、二人ともと出会ったきっかけである、私達の小学一年生のクラスの先生を偲びつつも、先生の名前から起因する有志の同窓会である「竹の子会」を催して、みんなで明るく故人のことも語れたらと思っている。

 小学一年生であった「縁」から50余年経った今、改めて「親友」「友人」たちと、彼らの「お連れ合い」の死について語る機会ができるとは思ってはいなかった。

 いずれにせよ、私達の「団塊の世代」の友人達の母達は、80代後半から90代前半の高齢ではあるが、いまだ元気にしているのだが、若くして「お連れ合い」を亡くした友人達がいるのである。

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