ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

1967年、昭和42年。

2007年01月05日 | テレビマスコミ
 一昨日、NHKテレビ、BS2で「日めくりタイムトラベル」という「昭和もの」の番組をやっているのに気づいて、途中から見てしまった。

 何と今から40年前の1967年(昭和42年)を振り返りながら、その年の1月から12月までの出来事を伝えて、出演者である昭和42年生まれの、今年40歳になるタレント、芸能人たちが調査した報告をし、最後にこの年を形容する言葉をまとめて提案する形で番組は進行された。

 伊集院光、南野陽子、松本NHKアナウンサーらが進行役や解説をしながらの三時間に及ぶ特集であったが、私自身にとっては大学二年生になる年の一年を振り返りながら愉しく、思い出しながら視聴したのである。

 印象に残った出来事として対比されるのは、タイガースを初めとするGS、つまりグループサウンズのブームと、一方で学生を中心に盛り上がっていた「反安保闘争」の一環としての羽田闘争であった。

 私は、この年の二月に大学の後期試験を終えた夜、夜行列車で東京に行って、山谷での生活に入ったのである。

 その当時の学友であった、後のフォークの神様になる岡林信康が前年の夏に山谷での生活を体験し、御所でその経験を話してくれたことがきっかけで、真面目な学生であったので春休みに行こうと心に決めていたのであった。

 寒空の中で、泪橋の電停付近で「立ちん坊」と呼ばれる仕事探しをして、その日の日雇い仕事を得て現場に赴くのである。

 初めての朝、「兄ちゃん、15でネギリどや?」と誘われたのだが、これは1500円で土方仕事、つまり「ネギリ」とは根を切るので、土堀仕事だったのである。

 そうした日雇い人夫仕事に約一ヶ月半明け暮れていたわけだが、大学では学べない多くの社会の底辺での生活を通じての人間模様を体験した貴重な時期であった。

 世の中はミニスカート、ツィッギー、ヒッピー、アングラ、フーテン族、ボーーリングブーム、リカちゃん人形などと風俗も文化も、昭和元禄と呼ばれるようになる先駆けで、テレビ文化も意地悪ばあさん、スパイ大作戦、逃亡者、コメットさん、白い巨塔、旅路、チャコねぇちゃん等がヒットしていた。

 音楽シーンは、夜のヒットスタジオが歌手、アーチストの登場で賑わい、深夜放送のパックインミュージック、オールナイトニッポンがラジオで大ブームとなった年である。

 それにしても、この昭和42年程、日本の高度経済成長の華々しさとは裏腹に、四日市喘息訴訟をはじめ、イタイイタイ病、水俣病などの「公害訴訟」が続出した年であり、日本の戦後期の「繁栄と課題」がぶつかり合った年でもあったのである。

 ひとつのテレビ番組を通して、自分の青春期を個人的に思い出すほろ苦さと共に、今を生き、生かされる者としての戦後の大きな転換期、すなわち価値観を見直すべき大きな年であったことを再認識させられたのである。
コメント (3)
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