私達ファミリーの一年の締め括りと初めは、地元の一休寺の除夜の鐘つきなのだが、新年になっての公式行事の最初でもある、地元の「甘南備山」初登山も恒例にしつつあり、今朝は孫の五歳の男の子と共に夫婦で登ったのである。
初登山と言っても、海抜たぶん189メートルの小高い丘と言ってもいいくらいの山なので、老若男女が誰もが気軽に登れる山である。
この「甘南備」という地名や名称は全国にもあって、なかなか由緒ある歴史性に富んだ名前なのだが、頂上付近に祭られた神社は同じかんなびなのだが、「神奈備神社」と表しているのである。
日本の古代史を紐解いて7世紀から8世紀には既に、この京都山城地方の木津川沿いの平野部には多くの人が住んでいて、平城京、奈良朝廷への多くの物資や仕事を担う人々がいたらしいのである。
その中に朝廷や奈良の都に、その当時の大切なエネルギーである「薪」を提供していた人々の集落があり、甘南備山の地元の集落の字名は「薪」なのである。
また平安京、京都に都があった時代にも、木津川と桂川、宇治川という、その当時の大切な交通手段であった河川が中心部に流れていたために、多くの物資が京の都を中心に行き来していたらしいのである。
現在も詳しくは知らないが、奈良東大寺の二月堂の春を呼ぶ「お水取り」と呼ばれる行事の「松明の竹」を奉納する伝統を復活させた「松明講」があり、二月の十一日に恒例の「竹運び」が行われている。
また京の都の夏の風物詩でもあり全国の三大祭りでもある、「祇園祭」に絡む数々の伝統的な由緒ある言い伝えや習慣、伝統が伝えられている、小さくても存在感のある山なのである。
また現在はインターネットの「光通信」は当たり前だが、情報伝達手段として、電気通信技術のない時代には、権力や政治に絡む大切な伝達を、際立つ山の頂で火を焚いて順々に伝えていたらしく、古代の「光通信」の発信地にも、この甘南備山はなっていたらしいのである。
今朝の甘南備山は朝方から霧が立ち込めた天気だったために、たった二百メートルほどの海抜ながら、「雲海」を見下ろすことができる眺望となっていた。
いつもは緑の木々の隙間から町並みが見えて、木津川、万葉集では「いずみ川」と詠まれた水の流れが眺望できるのだが、全く白い雲に覆われたために下界が見えないという状況であった。
山の頂を目指す人々は、登山道の入り口で文化協会の方々から、みかんと記念品を貰い、頂上の神奈備神社に参って、お神酒ではなく清い水をいただいた後、文化協会会長と市長挨拶、市歌の斉唱が行われるのが恒例だが、今年は私用があり急いで下山するため、頂上には15分ほどしか滞在しなかった。
5歳の孫の「近道を教えてあげる」について神社裏からの地道を下り、来た登山道を元気に走る彼に追従して走って下山し、久しぶりに汗をかく、気持ちのいい三が日の締め括りとなった。
初登山と言っても、海抜たぶん189メートルの小高い丘と言ってもいいくらいの山なので、老若男女が誰もが気軽に登れる山である。
この「甘南備」という地名や名称は全国にもあって、なかなか由緒ある歴史性に富んだ名前なのだが、頂上付近に祭られた神社は同じかんなびなのだが、「神奈備神社」と表しているのである。
日本の古代史を紐解いて7世紀から8世紀には既に、この京都山城地方の木津川沿いの平野部には多くの人が住んでいて、平城京、奈良朝廷への多くの物資や仕事を担う人々がいたらしいのである。
その中に朝廷や奈良の都に、その当時の大切なエネルギーである「薪」を提供していた人々の集落があり、甘南備山の地元の集落の字名は「薪」なのである。
また平安京、京都に都があった時代にも、木津川と桂川、宇治川という、その当時の大切な交通手段であった河川が中心部に流れていたために、多くの物資が京の都を中心に行き来していたらしいのである。
現在も詳しくは知らないが、奈良東大寺の二月堂の春を呼ぶ「お水取り」と呼ばれる行事の「松明の竹」を奉納する伝統を復活させた「松明講」があり、二月の十一日に恒例の「竹運び」が行われている。
また京の都の夏の風物詩でもあり全国の三大祭りでもある、「祇園祭」に絡む数々の伝統的な由緒ある言い伝えや習慣、伝統が伝えられている、小さくても存在感のある山なのである。
また現在はインターネットの「光通信」は当たり前だが、情報伝達手段として、電気通信技術のない時代には、権力や政治に絡む大切な伝達を、際立つ山の頂で火を焚いて順々に伝えていたらしく、古代の「光通信」の発信地にも、この甘南備山はなっていたらしいのである。
今朝の甘南備山は朝方から霧が立ち込めた天気だったために、たった二百メートルほどの海抜ながら、「雲海」を見下ろすことができる眺望となっていた。
いつもは緑の木々の隙間から町並みが見えて、木津川、万葉集では「いずみ川」と詠まれた水の流れが眺望できるのだが、全く白い雲に覆われたために下界が見えないという状況であった。
山の頂を目指す人々は、登山道の入り口で文化協会の方々から、みかんと記念品を貰い、頂上の神奈備神社に参って、お神酒ではなく清い水をいただいた後、文化協会会長と市長挨拶、市歌の斉唱が行われるのが恒例だが、今年は私用があり急いで下山するため、頂上には15分ほどしか滞在しなかった。
5歳の孫の「近道を教えてあげる」について神社裏からの地道を下り、来た登山道を元気に走る彼に追従して走って下山し、久しぶりに汗をかく、気持ちのいい三が日の締め括りとなった。