ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

野外での筍三昧!

2005年04月18日 | 地域の話題

 雲ひとつない春の行楽日和の日曜日、私たちの男の料理サークル「おりじ」は、春の野に出て地元の筍を思い存分使っての、野外での筍料理三昧となったのである。

 今年は私たちの山城地方も、筍の生育が思ったより悪いため、なかなかいい筍をゲットすることが困難だったのだが、前日に約5キロほどを地元の筍生産者から購入して、前夜のうちに米ぬかで灰汁抜きをして茹でておいた物をメインに、男達で豪快に料理して食することを目的に、わが町が一望できる、標高は300メートルほどだが、最高のロケーションの天王、吹上、鷹が峰と地元では呼称される頂に近い所へと登ったのである。

 途中、許可を得ておいた竹林で、メンバーが思い思いの工具を持って、孟宗竹を切り出したのである。
直径20センチ程もある、立派な孟宗竹を2本切り倒すのも至難の業であったが、各々が協力して、10数本に切り、道路わきに止めていた車まで担いで下りた。そこで小さな事件が起きた。と言うのは、竹の長さと重さのために、私の軽自動車の貨客車に積み込んだ際に、竹の端が当たって、フロンとグラスにひびが入ってしまったのである。

 幸い、走行には差し支えなかったため、ダンボール紙をあてがって、急な坂道で軽4輪がやっと通れる位の山道を4WDに物言わせて登りきり、調理道具や薪、LPガスボンベやコンロと共に、筍などの食材を運び得たのである。

 眼下には、木津川沿いに開けた山城地方が一望に見渡せる絶好のビューポイントであり、周辺は昔は棚田と呼ばれるような田んぼが耕作地として開墾されたところだが、現在は何人かの農作業者の地主が思い思いに、ごぼう、エンドウ、菜の花などを栽培されている美しい畑となっているところである。

 私たちの料理サークル「おりじ」は、今年で13年目を迎える男だけの料理グループであり、「おりじ」とは、男、料理、自主、の頭文字であり、オリジナルに通じるオリジなのだが、50代から70代に及ぶ、いや80歳を越す元気なメンバーもいるため、男の料理、じいさんグループと皮肉られることもある。

 ともかく元気で食べること、呑むこと、お喋りすること、料理することが好きな中高年齢のグループとしては、現在20数名のメンバーが所属して、毎月例会としての自主的な活動に励んでいるのである。

 さて、本日のメインメニューは、当然「筍ご飯」と若竹煮、筍のお吸い物の、3種が中心なのだが、私たちのチャレンジ精神で、孟宗竹を飯盒としての、筍ご飯づくりの挑戦がメインとして、行った。

 12名の参加者であったが、各々の得意や気づいた部分をお互いにサポートしながら、釜戸作りに励む者、、竹細工を企てる者、食材を切りそろえたり、調理を中心にする者などが、分業的に野外の気持ちのいい雰囲気の中で働いて、ようやく1時前に、グランドシートを広げた食事場所での乾杯となった。

 いつものホームグランドの調理室は、公共施設の中にあるため、毎月の料理を作って食する際も、アルコール類を伴うことは出来ないので、折角の野外活動の今回はと、ビールとノンアルコールのビールとお茶も用意しての、筍料理三昧となつた。

 ちよつと薄味に炊けた、筍ご飯には、筍、人参、鶏肉、薄揚げなどが入っており、食べる前に木の芽をあしらって食した。筍の吸い物は、絹さやや若芽と菜の花に筍を入れて、白だしをベースに味付けし、若竹煮は、筍、ワカメと木の芽で、竹筒を器として入れて食したのである。

 このポピュラーな筍料理3点だつたが、充分、地元の旬の筍を味わうことが出来て、この日の春爛漫の天候のせいもあって、参加者の笑顔と満足感で、山を降りたのである。

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愛・地球博は環境破壊博。

2005年04月16日 | 日本の課題
 
 「愛・地球博」が始まって3週間が経った。ようやくマスコミによる「よいしょ報道も」終止符を打とうとしているが、全くこの「愛知」と「地球」をもじった国際博覧会と言う名の企業と国による、環境破壊博に皆さんはどんなお気持ちをお持ちなのでしょうか。

 私は実は35年前の、あの忌まわしい大阪万博を決して忘れない者として、今回の愛知万博をしらけた気持ちで見守っていたが、ついに3月25日に開幕し、ちょっと先に開港した中部国際空港と共に、中部圏の経済活動の火付け役になることを期待されているのである。

 70年3月15日に開幕した大阪万博は、「人類の進歩と調和」を合言葉に、「世界の国からこんにちわ」というテーマソングを三波春夫が歌い大ヒットし、連日大群衆が全国各地から大阪千里丘の会場に詰め掛けて、日本の戦後復興の総仕上げ的イベントとして注目を集めたが、これは64年の東京オリンピックで関東圏の経済と都市整備の飛躍的発展を進めた国と経済界が、関西圏の経済と都市整備の起爆剤にと70年万博を計画し、槌音高く自然破壊と道路などの整備をしたものである。

 あれから35年経ち、、バブル経済の破綻から約15年経って、今度はトヨタ自動車を中心とする東海地方の経済的起爆剤にと愛知万博が計画され、幾多の環境破壊や野生生物の生態系を壊し、絶滅品種を作り出すとの指摘もあり、大きな反対運動もあったが押し切った形で開幕してしまったのである。

 この「愛・地球博」の売りは、マンモスの骨とロボットだそうだが、私には全く興味がないばかりか人工的に巨額の民間投資と税金を使っての環境破壊イベント以外のなにものでもないとの見解も手伝って、いい加減にしろと思っているのである。

 入場予測も一日平均15万人で、全期間で2000万人から3000万人を期待しているらしいが、開幕日から予想入場者数は、予想を大幅に下回って4万人から7、8万人だそうで、万博協会はあわてて会場への弁当の持込禁止が災いしたとみて、急遽「手づくり弁当」の持込を許可する方針に、小泉首相の鶴の一声をもらって転換し、少し入場者が増え出したらしい。

 しかし根本的問題というか、万博自体の興味をそそる仕掛けや行きたくなるモチベーションに結びつく要素が基本的に少ないので、私は、この「愛、地球博」の大々的な成功は、もはやありえないと見ているだけでなく、トヨタ自動車の大きなスポンサーとしての圧力やマスコミへの攻勢もかげりが出だして、大きく肩透かしを食らうことになるのではないかと思っている。

 実は70年万博の当時、私は学生であったが、「人類の進歩と調和」をテーマとしていながら、第二次世界大戦の反省や謝罪を特にアジアの諸国にしていない日本国と日本の企業が、自国の繁栄と発展のみを目指して、また新たな経済的侵略をアジアを中心とした諸外国相手に始めていることに抗議すると共に、この大阪万博に反対の意思表示をしたのである。

 3月15日の大阪万博開幕日の前日は、私が学生生活を送っていた京都は、春の雪に見舞われていて、友人と夜半まで雪の中を車を走らせていて、その当時流行っていた千賀かおるサンが歌う「真夜中のギター」が車のラジオから流れていたのをはっきりと記憶しているのである。

 時代は2005年春、愛知万博の開幕に際して何とも空しい気持ちは70年と全く同じであり、ただ35年の年月の隔たりがあるため、覚めた気持ちでテレビや新聞、雑誌の「愛知万博」関連の報道を見たりしながら、大きな経済的活動としての利権に拘わる大企業の見え透いた、先進的、科学的、技術的誇らしげな宣伝だけが響いており、多くの心ある国民には全く白々しく見えていると思われる。

 これから後、約5ヶ月、中部地方の経済的復権と発展のために、トヨタが自社の荷だし用に造ろうとしている第二東名、名神自動車道路などと同じ様に、中部国際空港と愛知万博が、自然環境の大いなる破壊と汚染の一大イベントとして、平成の歴史に残るだけの「愛知万博」となるであろうことを確信している。

 日本の良識ある市民はとっくに気づいている。経済だけが日本を救うことになるのではなく、日本と言う美しい国を、より美しい自然と生命に対する思いやりと愛情を持った国民で守りたいものである。
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市職員厚遇問題!

2005年04月14日 | ちょっと可笑しいよ
 最近、このブログへの投稿時間が23時前後になると、なかなかアクセスがうまくいかなくて、何度も原稿を書いても、うまく掲載されない場合が多くて困るが、翌朝アクセスしてみると、同じブログタイトルでいくつもの原稿が載っていたりしてビックリすることもある。

 今日は、大阪府堺市の市役所に午後から出かけて、今マスコミ、メディアで大変問題になっている、大阪市市職員の厚遇問題や職員の厚生福利に関する互助会なる団体の実態などを中心とする自治体の行政改革に関する、事例報告や情報交換、議論を行ったのである。

 この集いは、地方自治体議員たちで主に既成政党や大きな組織に属さない、いわゆる市民派的議員を中心とした議員勉強会として、現在堺市の市議会議員である長谷川俊英氏が主宰する「都市政治研究所」が主催した、第75回・自治体議員勉強会であり、今回のテーマが「職員厚遇」問題と自治体の行政改革だったのである。

 今話題集中している「大阪市職員の厚遇問題については、大阪市議として活躍する城谷たけお氏が報告し、続いて和泉市議の小林昌子さんが「大阪府市町村互助組合」問題について報告されたのである。

 関西の地方自治体議員が主な参加者ではあるが、遠くは千葉県浦安市や、岡山市、福岡県筑紫野市からの参加者もおり、約50名近い議員、市民、関係者が、地方分権時代の地方議会議員としての行財政改革に積極的な問題提起と具体的改革案を提案するために、熱心な議論を行ったのである。

私のような既成政党やおおきな組織とは関係のない地方自治体議員としては、大変有意義な勉強と情報交換の機会なので、できるだけ、この様な積極的な地方自治体のあり方や、改革、改善策を提案したり、問題提起するアイデアや手法を学ぶ機会は参加しようと思っているのだが、このブログの写真は、もう一つのネットワークである、近畿市民派議員交流勉強会のスナップだが、次回の来週開催の門真市には、私の議会の臨時議会のための幹事会開催のために参加できない場合もあるのである。

 ともかく、私たち議員も政治家として、多くの市民、有権者の信託を受けて、議員活動をしているつもりだが、なかなか行政に拘わる問題点や、その詳細にわたる情報を得たり、調査することは困難であり、市民や職員の告発や問題提起が発端になって、問題や疑問を感じることがあっても、どのように問題の解決または、改革への提言も含めて発言していくべきか、迷ったり明白に見えない場合もあるのである。

 そういった諸問題について、先進的事例を調査したり、行政との議会での質疑応答を既に、経験されている他の自治体議員の報告や、問題提起の根拠となる法律的解釈や背景を知る機会となる場合などがあって、秘書や調査員などをスタッフとして雇用したり、協力していただく余裕のないちいさな自治体議員にとっては、特に有意義な機会となる場合が多いのである。

 この「職員厚遇」問題にしても、大なり小なり各自治体にある問題なのだが、行政側の執行部は、市職員組合と馴れ合い的立場である場合がほとんどであり、なかなか見直しや根本的改革に手を付けないのが現状であり、一度獲得した経済的既得権は、経済状況や地方自治体の財政危機が叫ばれる今も、全く変わりなく「貰い続けられるなら、貰わな損」とでも言いたげな「親方日の丸」根性丸出しの労使双方の癒着関係になっており、組合関係者も決して自らの手当や厚遇を改めようとはしないのである。

 全くあきれるような実態が市民から見れば、続出しても条例や規則に基づいて支給しているので、「何らやましいことはない」と開き直りとしか思えない対応が多くて、大半の市民、有権者、納税者の意識とは格段の温度差があって、遅遅として改革、見直しが進まないのである。

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十三参り!

2005年04月13日 | 地域の話題
{/sayonara/
 今日は四月十三日で、旧暦の三月十三日に当たる「十三参り」の日であった。

 私たちの町には、800年程前に最初建てられたと言う、虚空蔵菩薩像を祭る御堂があり、お世話役の地元の老人によれば、今から100年ほど前から「十三参り」として親しまれている行事が続いているらしい。

 この「十三参り」とは、数えで十三歳になった男女が、虚空蔵菩薩にお参りをして、福徳、知恵を授かる行事であり、「知恵もらい」と言われており、知恵の水を頭に授かることが出来、現代でも「知恵」を授かる貴重な伝統習慣行事として認識されている。

 この行事は関西では盛んに行われており、京都嵐山の法輪寺さんや大阪天王寺の大石寺などが有名ですが、私たちの町の大住虚空蔵谷にある小さなお堂では、毎年4月13日のみの、虚空蔵菩薩とお寺さんが出張してお参りの方々への対応をされ、地域のお世話役のお年寄りたちの姿がある。

 昔は地域季節行事として結構盛んで、小学校の授業が半ドンとなったりして、遠くは北河内方面からも、ぞろぞろと参拝客が多く詣でたとのことであり、参道には数軒のお客相手の店まで出ていたそうである。

 現在は、30年近く前に虚空蔵堂のある大住の虚空蔵谷の森の近くが住宅開発され、お堂がある入り口付近に、近代的なコンクリートの打ちっぱなしのモダンな建物が幼稚園として建設されて、周辺の景色が大きく変化したのである。

 しかし昔から、この付近一帯は4月上旬から中旬にかけて、桜と共に山つつじが咲き乱れる山里としても有名で、ふもとの桃の花と共に、春の到来を3種の花で見事に彩ってくれる名所でもあったのである。

 最近では、お参りする数えで13歳の子ども達も、少子化の影響もあって多くはないのだが、幸い、虚空蔵堂の入り口の幼稚園の入園式が、4月13日に必ず行われるので、入園児童とご家族が参られたり、先生方やスタッフたちが、入り口付近にテントを張って、おもちゃやお菓子やあてもんなどの市を開いていて、多少は昔の面影を継承しているようである。

 この幼稚園の理事長も小さな店を出し、少し怪しげなおまじないや子ども達のゲームなどをしながら、虚空蔵さんを守る会を主宰し、参道に有志による面白いお地蔵さんを自由に彫った石像を数多く並べておられて、小道を経て虚空蔵堂に向かう人たちや、その奥のちいさな川の流れや池に行く人たちの目も愉しませてくれているのである。

 また、この虚空蔵堂の下は、虚空蔵谷と呼ばれ、小さな川の流れに沿って川上に暫く足を踏み入れると、約5メートルくらいで、年中枯れることのない不思議な、虚空蔵谷の滝に出くわすのである。

 この滝の入り口付近は、今は倒木やら落石で、足元が悪くて歩き難くいが、実は不思議な洞窟がふたつあって、地元の有識者の言い伝えによれば、昔、金が発掘されたそうで、この二つの洞窟は、金採掘の名残りだそうで、虚空蔵堂と共に、ささやかな地域の歴史として興味をそそるものであった。

 私は10数年前までは、この虚空蔵谷一帯をベースに、幼稚園や小学生児童を中心とする遊び場活動のリーダーをしていたので、今日は久しぶりに訪れた虚空蔵堂と周辺の自然を懐かしく思うと共に、これからも都市化する周辺の変貌は止むを得ないが、ささやかでも自然の緑と水辺と滝が残って、室町時代からの由緒ある虚空蔵堂の、年に一回のお祭りごととして、「十三参り」の習慣、行事が続いて行くことを願わずにはおれない心境である。

 古いものがいつのまにか廃れていくのではなく、もう一度私たちの人生や生きる節目に、季節感と共に大切な伝統行事、文化的伝承としても、地元の皆さんと協力して、次代に伝えて残して行きたいものである。

 
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人は皆、頑固で神経質である。

2005年04月12日 | 感じたこと

 今日は一日、どんよりとした曇り空の下で冷たい春雨が降り続いて、せっかくパッと咲いた桜の花の一部が散りだす様相を呈していて、何とも花冷えとも言われる寒さの再来で、ストーブやコタツを再度出されたご家庭も多いのではないかと思う。

 幸いにも花粉症の方は、この雨と冷えのお陰で少しましになって良かったとも思うが、私は午前中は議会の委員会に、午後は市の総合計画策定審議会に出席して、大いに問題提起や提案の発言をしたのである。

 私は3時間近い審議会の場で、まだまだパブリックコメントと言う名の市民意見を取り入れたり、もう少し具体的な記述があった方がいいのではないかと思われる部分について、いくつかの発言をさせていただいたが、かなえられなかった箇所の方が多くあり残念に感じたのである。

 私が頑固なのか、それとも事務局職員が神経質なのか、ともかくなかなか議論はかみ合わず、時間が経過して、その内に「原案のままでいいと思います」とする意見と言うか、議論打ち切りの道義に近い発言が飛び出して、ほぼ原案を通過儀礼の如く答申する勢力に負けたような形で、審議会は終了したのである。

 私の持論なのだが、例の「血液型による性格判断」などの血液型ばなしを思い出しながら、議論や成文化された文章の推敲も相手任せの状況を容認する人たちと、何箇所でもいいから、自分達らしい意見や提案を具体的に入れようとする人たちとの性格的違いは、ひよっとしたら血液型の違いに起因しているのではないかと思ってしまったのである。

 私自身は、いつも何かにつけて、家人や親しい友人から「あぁ、やっぱりB型だね」と言われるたびに、ちょっと待ってや、そう簡単に血液型の違いだけで、人間の性格や対応の仕方などを、A,B,O、ABの4類型に短絡的に決め付けたり、レッテルを貼らんでほしいなぁと思っているのである。

つまりA型人間は神経質で、B型はちゃらんぽらんで、O型はおおらかで、AB型は不可解などと言う、一面的な見方はやめてほしいと思うのである。

 私の血液型別性格の傾向についての持論では、人は皆、誰でも頑固であり、神経質なのであるが、その特徴に違いがあるだけなのである。

 頑固さに関して言えば、A型は部分頑固であり、ある問題に対しては1ミリの誤差も許さない頑固さを表現するが、自分の関心のないことや別なことでは全く我関せずで、全く頑固のかけらもなかったりするのである。

 B型は、何でもかんでも一応、大抵の問題に対してこだわる、「表面頑固」であり、問題点を主張したり批判したりするが、あまり根はなくて、少し時間が経ったり、翌日などになったら、何とも忘れてしまった如く、まったく気にしないことが多いのである。

 O型は、表面的にはほとんどどうでもいいと言う感じであっても、心の底ではしっかりと否定していたり、批判していたりする「底辺頑固」の人が多いような気がしている。

 最後にAB型は、「ミラクル頑固」または「カメレオン頑固」であり、今これに対して頑固にこだわっていたかと思うと、違う場面では全く正反対なことに対しても頑固さを発揮していたりして、一番対応が難しく思ってしまうのである。

 この様に、人の頑固さは一応に人間としてのキャラクターとして、当然誰しもに存在しているのだが、その表現の仕方や特徴が際立って違うだけなのである。

 神経質についても同様に言えると私は思っていて、神経質でない人などは存在しないのであるが、他人に対しての表現や表情など、相手に悟られない様な対応振りなどもあって、わかり難いだけなのである。

 結論としては、人は全て頑固で神経質なのであるから、いろんな議論の場においては、ゆったりとした気分で相手の意見や提案をまず聞いて、持論を展開するのも良し、時間をかけてじっくり検討するのも善しで、早計に結論を出すようなことだけは避けた方が、多種多様な意見や提案を、よい方向付けの方に向けることが出来るのではないかと言うことである。

 血液型で他人を頑固だとか、神経質だとか短絡的に決め付けないでほしいものである。
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桜、サクラ、さくら、3連チャン!

2005年04月11日 | ガリバー旅行記
 数日前からの春の陽気で全国各地のサクラが一斉に開花して、至るところで花見の昼食や宴会が行われている。ほんとうに日本国中が「花見」に浮かれている感じである。

 私自身も3日連続で、サクラ、桜、さくらのデジカメ写真と共に、桜にちなんだブログの原稿をお届けしているのである。

 昨日は桜にちなんで多くの人がブログにアクセスしたせいか、ブログの編集、投稿機能まで大混乱していて、昨夜の11時過ぎから今日の未明まで、自分のブログへの原稿の投稿すら、うまく起動せず諦めて就寝し、今朝改めてアクセスしてみると同様のブログページが10ページも掲載されていて驚いたものである。

 今朝は入学式の最後を飾る地元の市立幼稚園の入園式がありました。

 三歳児保育の新入3歳児が55名もおり、おかぁさんと一緒の入園式場への入退場で、入園式の主役が誰だか、わかんない位の盛況ぶりで、小さく、まだママに甘えたままの3歳児が、おかぁさんのお膝や抱っこ状態で座っていて、新入園の子どもの存在感は母親の1/3以下の感じであった。

 私の参加した近くの幼稚園には、以前の職場の同僚F君の長男Yくんが、若いおかぁさんと一緒に入園し、また3歳児の保育のサポートをする補助教員として、私の友人であるT先生が、たまたま今年から着任されていたので、私は我が孫と我が娘を見守るごとき心境で、両者の動向を式中見つめていたのである。

 幼稚園の入園式は賑やかな子ども達の声や、ちっともじっとしていない3歳児が中心なので、式場となったプレイルームは、ごった返したと言っても過言ではない雰囲気だったが、園庭や周辺の桜の満開ぶりが、保育室や園舎から見渡せて、桜の花も「おめでとう」と子ども達の入園式に文字通りの花を添えているようであった。

 この桜の花の咲き乱れる春爛漫の季節の今年の思い出づくりにと、京阪神の桜の名所としても年々有名になっている、木津川、宇治川、桂川の三川合流の地点、御幸橋の北詰めから木津川の下流にかけての「背割堤の桜」見物に、弁当を持って出かけた。

 この国土交通省、淀川河川管理事務所が保全している、八幡の背割堤さくらは、旧国道一号線(府道13号線)から、木津川、宇治川の合流点に向かって、約1.4キロにわたって堤の両脇にソメイヨシノの大木が約250本、見事な桜のトンネルの桜並木をつくり出しており、春を満喫できる景色として多くの花見客が集まっていた。

 月曜日の昼下がりなので、中高年のグループや家族連れが多くおられ、中にはお酒や麦酒と共にバーベキューの野外セットまで持ち込んでの花見宴会グループもあって、昼過ぎだが早や酒の勢いと気持ちのおおらかさで、懐かしい演歌や得意な曲を歌っているグループもあった。

 いづれにせよ日本人の桜好きが相当なもので、あちこちのブルーシートの上に春風のいたづらとでも喩えようか、桜の花びらがひらひらと舞い降りていて、風情ある昼餉の花見の優雅な雰囲気に包まれて、みんなの顔が幼い子ども達を見るが如く、微笑んでいたように感じて、とってもハッピーな気分になった。

 桜よ、桜、サクラさん、あなたはとっても人間を幸せにする花ですね。そう一週間前には、まだまだと思っていたのに、3分咲きや5分咲きなど一気に通り越して、一斉に日本中で満開となった3.4日前、あなたたちは以心伝心で計画して、一気満開の見事な花咲き術には、私たち現代人は、恐れ入りながらあたふたと参りましたですよ。

 ありがとう、サクラ、桜、さくらさん。雨風にめげず、もう少し愉しませてくださいな。
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竹の子会が集う。

2005年04月10日 | ファミリーイベント
 晴天に恵まれたサクラ満開の日曜日の昼下がりに、私達は小学校1.2年生当時の同級生との同窓会を、同じクラスだった頃から数えて50年目の、その当時のS先生のお誕生日である今日4月10日に、母校の近くに集まって開いた。

 サクラ咲く池の辺を散策したり、小学生の頃登校時に通った小さな路地や懐かしい商店街をぞろぞろと50代の男女が歩く姿は、何やら孫の小学校を見に来た、おじいちゃん、おばぁちゃんの姿に近いが、私たち自身のお互いの会話は、50年前にタイムスリップしたようで、ここに誰誰が住んでいたとか、ここには何があったとか、全く昔のままであった。

 今は大阪にいない同窓生も当然おり、遠くは広島県から旧友が参加してくれたが、東京、仙台、静岡、アメリカと、郷里を離れた者や仕事の関係で海外生活の者もいたが、約30名の判明している仲間たちの内、約1/4の参加者に留まったが、消息なり現状が分かっている者が10数名他にもいて、別の機会であれば、また出逢えるのではないかと言う期待感が持てた。

 もうこの年齢ともなれば、飛び出す話は子どもの結婚や、親の介護、そして孫の存在などが多いのだが、小学生から中学生にかけての、自分達が抱いていた淡い恋心や、だれだれが好きだったなどと言う話も、今や笑い話としてお互いが恥じも遠慮もなく話せるから、とっても愉しいものである。

 実は恩師の女のS先生は現在91歳になられ、健在ではあるが病院に入院中であり、何時なんどき訃報が届いてもおかしくない状態におられるのだが、みんなの祈りと共に今朝方お誕生日の花束を持って、病院のベッドに横たわっておられる恩師をお見舞いさせてもらったのである。

 先生のか細い手のひらを握りながら、「先生、お誕生日のバラの花束の香りが分かりますか」と呼びかけながら、嬉しさと悲しみが入り混じった複雑な心境の中、涙があふれてきてしまった。

 つい2年前までの先生のお誕生日のことや、振り返って見ると何度となくご自宅へうかがったり、先生にご足労を願ったりして度々お会いした、一コマ一こまが甦り、先生の温かくやさしい言葉やしぐさが、思い出されて、感無量な思いに胸がいっぱいであった。

 懐かしい友の顔、顔、顔と、いろんな先生を巡るエピソードなどを話しながら、ほんとに友達はいいもんだと改めて、心から嬉しく感じたものである。

 私たちの同窓会「竹の子会」は、実は小学4年生の春、ちょうど竹の子が頭をもたげる季節に、1.2年生の時期に担任して下さった、女性教諭である佐竹先生を敬愛する仲間が自然に、先生のお誕生日4月10日を覚えて始めた有志による会で、佐竹の竹からも「竹の子会」と名づけた経緯があります。

 今、それから50年が経過して、私達は、敬愛する先生のご病状を鑑みながら、今を生きる先生の命と今までの熱い思いの数々を思い出しながら祈っています。「先生の安らかな日々と、天命の命が一日でも長く続きますようにと。
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さくら咲く!入学式。

2005年04月08日 | 季節の話題
 
 「さくら咲く池の辺に、そびえ立つ我等が母校、あぁ長池に・・・」と50年近く前になるが、私の大阪での小学校の校歌にも歌われていた、待望の春の花、サクラが一気に咲いた。

 昨日は小学校の入学式で、今日は中学校の入学式だった。なんと見事に小中学校の入学式を待っていたかの様に、校庭や周辺のサクラが一斉に開花して、新入生を祝っている様に感じるほど、グッドタイミングな開花であった。

 本日も地元、大住中学校に197名の新入生が、まだ幼さを持ったままの小学生のままと感じる小柄な生徒から、背もすらっと伸びて、最初から立派な中学生みたいな生徒まで、千差万別だが、なんだかまだ借りて来た猫のような、不安の中に期待というか、希望を抱いた子ども達が入学式の主役として入退場をした。

 ひとり、ひとり名前を呼ばれて、返事をするのだが、しっかりと大きな声で返事が出来る子もいれば、蚊のなくようなと形容される様な、小さな声で恥ずかしそうに立つ子どももいた。

 今年から、すっかり従来の女子のセーラー服に、男子の詰襟の学生服からチェンジされたブレザーにポロシャツ姿の制服に全学年とも揃ったので、なにやら以前の学校と様変わりして、別な中学校の様でもあった。

 創立以来27度目の入学式で、校長も代わって、教職員の移動もあり、私の子ども達がお世話になっていた頃とは、まったく別な学校の様相となっていると言っても過言ではないだろう。

 今年度から市内3中学校に、ひとりづつのAET、つまり英語外国人講師が専属で赴任して、中学校区内の小学校での英語遊びなども含めて担当する予定らしいが、何と長身の黒人の若い先生が、多くの教職員の中でも一際目立っていたのが印象的であった。

 彼は20代前半の青年で、ダンスー先生と言い、あのカメルーンからやってきている先生らしいのである。2002年サッカーワールドカップ韓国、日本共同開催の折に、大分県前津江村でのキャンプ地を選んで、到着が極端に遅れたり、村あげての歓迎振りで有名になった、あのカメルーンなのである。

 英語外国人講師というより、サッカーやバスケットなどのスポーツも得意そうなので、中学生たちとのクラブ活動や、地域での国際交流的活動でも大いに活躍してほしいなぁと、個人的には願望したいと思うのである。

 3人のAET、アシスタントイングリッシュティーチャーは、何故か中学校に問い合わせたところ、一ヶ月交代で、3中学校を回るそうで、生徒たちとの交流が1ヶ月単位だと、ちょっと親しくなった頃に、別の中学へと移動し、また2ヶ月後に帰って来る感じで、どうもしっくり行かない感じもするが、大いに期待したいものである。

 小学校の入学式は、幼稚園、保育園から義務教育最初の学校教育へのスタートなので、子ども以上に親御さんの力が入学式においても感じられた。それは入学児童の服装が立派なことと、ビデオカメラやデジタルカメラで、我が子を追う視線がたくさんあったことでも明白である。

 男の子はほぼ全員、スーツというか上下の背広で下だけ半ズボンだが、ネクタイをしめており、女子はピンクや黒と色はさまざまだが、ほぼ全員花の飾りを上着の襟につけていて、特に母親か祖父母の力の入れ具ワイが想像できる入学式の衣装であった。

 式を終えて、校庭の回わりや、いいスポットにサクラの大木があって、新入生全員がクラス毎に記念撮影をしていたが、まさにサクラの花の下での、ぴったしかんかんの入学式記念写真にふさわしい輝きと彩りに満ち溢れた作品が出来上がるだろうと、他人ごとながら、私もそばを通りながら、嬉しく感じる程であった。

 白やピンクに、光の加減や青空や背景の違いによっても、見事に一つ一つのサクラの木は、「私を見て下さい!」とでもささやいているが如く、一本、一本が個性的に輝き、咲き誇っているので、どのサクラの花の木に、視線を向けても、こちらの方が圧倒されてしまうぐらいの存在感である。

 今、この時を、長い間、待ち続けてきたサクラの木の開花を、見逃さず、少しでも長くじっくりと見守りたいと思っている。この土日のサクラの木の下は、全国的に幸せと希望に満ちた人々の笑顔で包まれることを、心から祈りながら、私自身も近くのサクラの満開スポットを見過ごさず、愉しみたいと思っている。

 4月10日には、「サクラ咲く池の辺に、そびえ立つ我等が母校」を同窓生と眺めながら、50年前の旧友との同窓会にのぞみたいと思っている。サクラ咲く同窓会に。
 
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いよいよ阪神の春

2005年04月07日 | プロスポーツ
 ずっと阪神タイガースについて書きたかった。4月1日にセリーグも開幕し、初戦の大阪ドームでのヤクルト戦だけは、エース井川の乱調とタイガース打線もふるわず黒星スタートとなったが、その後は毎試合9点取っての4連勝で、中日と並び首位である。

 今年の岡田阪神2年目は、打線ではアリアスに代わり広島から攻守好打のシーツが移籍入団し、メジャー経験のあるスペンサーと共に、外人助っ人として期待されており、快打、快速の赤星、攻守の藤本、確実なシーツ、鉄人金本、打点創造の今岡、意外性のスペンサー、飛躍の鳥谷、女房役矢野と続く攻撃陣と檜山、関本、片岡らをベンチに置く選手層の厚さと確実性は他球団を超えている。

 投手陣も伊良部と藪は抜けたが、即戦力の大阪ガスからのドラフト逆指名新人の能見投手や橋本投手が加入し、昨年悪かった藤川、太陽、吉野らが好調で、先発人も井川、福原、下柳らを軸に能見、太陽、安藤と揃い、中継ぎに吉野、藤川、江草、抑えはウィリアムスと久保田が、がっちり締めくくれるので安心である。

 開幕前の下馬評は知らないが、毎年の様にジャイアンツと中日の評判はいいが、阪神は3番手だと思われているらしい。しかし開幕後、まだ5戦しか戦っていないが、巨人は投壊状態で4連敗後、やっと延長戦で高橋由伸のホームランで1勝したという実態で、ペナンとレースは長いが、巨人人気もかげりが出ているようで、読売テレビですらナイター中継をしなかったのである。

 日本では、プロスポーツとして70年以上の伝統がある、プロ野球だが昨年のごたごたから、巨人、西武中心のプロ野球界だったのだが、新生楽天を初めとして、プロ野球改革元年としての各種多様な試みがされ出しているのである。

 その中で、観客人数の実際人数のカウントが始まり、昨日の6試合でも何と各試合の観客人数は意外と少なくて、巨人、横浜戦でも1万3千人余であり、一番入場者が多かったのでも楽天対日ハムの1万8千8百弱と言うのが実態であった。

 テレビ中継の視聴率も、巨人戦すら稼げないので中継がされなかったり、実質入場者数も平日のナイターでまだ寒さが残るとは言え、2万人に及ばないスタートで、今年のプロ野球改革元年は大丈夫だろうかと、一プロ野球ファンとして心配しているのである。

 しかし、わがタイガースは、大丈夫だと太鼓判を押す気持ちで、見守っているのである。

 まずは、5チームに3ゲームづつ対戦してから、今シーズンのペナントレースの行方を想像すべきだろうが、セリーグに関しては、早々とシュミレーションが出来てしまう程、開幕からの5戦でほぼ今シーズンが見えたと言っても過言ではないだろうと思うのである。

 6月末までのトレード可能期間で、よほどの大物トレードや補強がされない限り、巨人の投手戦力は乏しい限りだし、桑田、工藤などのベテラン投手頼みは限界だし、中継ぎ、リリーフ投手も不安だらけである。

 昨年優勝の中日ドラゴンズだけが、わが阪神タイガースと互角に戦うだけの投手力と攻撃力を兼ね備えたチーム戦力があると思えるが、いつまで「おれ流」などと言う、自由発想でチームの勝利が舞い込んで来るのかは不確実ではないだろうか。

 その点、相当のご贔屓気質と、手前味噌な評価を割り引いても、我が阪神タイガースの今年の陣容と戦力は他を圧倒しているのである。

 現在、5試合経過で、4勝1敗、得点37点、失点18、打率.326、HR6であり、この勢いで戦えば、セリーグ優勝はもちろん、球団創立70周年の記念の年に、20年ぶりの日本一になることも間違いないと確信できるのである。

 海外、アメリカ大リーグも開幕し、松井秀喜とイチローも絶好調な様子が連日、連夜伝えられる中で、日本のプロ野球が、真のプロスポーツとして、子どもから多くの老若男女を愉しましてくれるエンターテイメントとしての楽しさとエキサイティングなドラマを魅せてくれることを心から願っている。

 私の家内の大阪に一人住まいしている母も、一昨年の阪神タイガースの優勝以来、阪神の試合のテレビ中継を欠かさず見ながら、「井川はあかんな」「今岡はよう打つな」などと細かな選手名と実績を記憶しており、80代のおばぁちゃんにとっても、大きな楽しみとなっているのである。

 あと130試合ほど、初のパリーグとの交流試合もあわせて、日本のプロ野球が、ファンを魅了するエキサイティングなドラマとしての野球をテレビを通して愉しませてくれることを期待している。

 なにせ、なかなか甲子園の阪神戦のチケットを取ることが困難な状況なので、せめてテレビ観戦と応援を時間が許す限り欠かさず、秋のペナントレースの栄光を、再び03年に続いて味わえる様にと心待ちにしながら、毎日を元気に暮らしたいものである。

 


 

 

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議員の収入、手当

2005年04月06日 | ちょっと可笑しいよ
 昨今の大阪市の職員待遇のヤミ手当や厚遇問題が、マスコミの話題提供のスポットを浴びているようだが、市職員つまり公務員の職務や市役所の行財政のあり方を監視し、チェックすべき議会と議会議員の現状も大いに問題があることは明白である。

 あの大阪市の場合でも市役所職員の厚生会への公費の補助や、常識的には理解できない私的な費用への補助なども指摘されてはいるが、議員が受けている報酬、手当、などについても驚くべき実態が続いている。

 大阪市議会議員の場合は、議員報酬が月額100万円だそうだが、政務調査費といわれる議員活動に要する調査、研究、諸費用に対して月額60万円が支給されている。その上、議員特別無料交通機関定期があるにもかかわらず、大阪府下では唯一、まだ費用弁償と言う名の交通費、日当が日額1万円支払われているのである。

 私も地方都市の市議会議員の一人として、多い少ないではなくて、この費用弁償、政務調査費などの報酬外の手当支給に対して、問題提起を繰り返しているのである。

 私の場合は議員報酬が月額37万5千円で、源泉税と議員年金のための共済年金掛け金などを差し引いた、28万余が毎月銀行口座に振り込まれている。また賞与は現在年2回、計3.3ヶ月分、ただし何故か報酬月額の15%割増に対しての3.3月分であり、年収としては600万円弱である。

 政務調査費は、会派と言う政策グループ所属議員は、年額18万円、無会派議員は年額12万円と差別支給されている。私の場合は政党、組織と全く関係がないが、議会内的発言機会の確保や議会運営に積極的に拘わるためもあって2人で会派を名乗っているため、年額会派に36万円が支給されている。

 次に問題多い、費用弁償については、私たちの市議会では本会議、委員会などの出席1日、たとえ15分で終わる会議でも、一日3000円が支給されているが、議員になって以来問題だと指摘したが、全く改めようとしないため、今期2003年5月から費用弁償の受け取りを拒否し、法務局へ供託しているのである。

 この「費用弁償」の是非については、議会幹事会などで度々議論を呈しているが、共産党も含む私達二人以外の議員の賛同を得られないばかりか、おかしな理屈というか、既得権としての議論となっているのが現状である。

 例えば、私が議員は議会に出席するのは当たり前であり、サラリーマンや勤労者が給与を貰いながら、その職場に出勤するたびに手当が出るなんておかしいと言うと、交通費などがかかると言う。交通費なら自家用車で市役所を往復しても、せいぜい100円位のガソリン代だといえば、ある議員はガソリン代だけでなく、車検等整備費用もかかると真面目に反論するのである。

 もう空いた口がふさがらないとは、こう言うことを言うのではないかとため息交じりで議論にもならないのが現状であり、公私混同というか、何でも公金としての補助や支給がされているものを必要ないと廃止することは、もったいないとでも言うような考え方なのである。

 何と、議員の仕事とは何なの?と聞きなおしたくなるような認識であり、共産党議員も交通費など実費がかかるので、条例に基づいて支給されているものを廃止などする必要はない、ただし減額は検討しても良いと言うだけで、具体的な減額案などは全く提示しないのである。

 ともかく政務調査費についても、以前は法的根拠のない「調査研究費」名目で年額議員一人当たり14万円支給されていたときのことだが、約10年程前だが、ある保守系会派が2月に「さっぽろ雪まつり」に会派旅行することを決めて、その日程の中に、議会事務局に対して、「どっか札幌近郊の自治体を視察せんと拙いろから、どっか探しといて」という感覚だったのである。

 事務局側も、「その時期、千歳市や恵庭市は全国の自治体から5.60件の視察申し込みがあり、なかなか受け入れてもらえない」と実情を語っていたことを覚えているのである。つまり公費で議員グループの親睦旅行が企画され、世間的批判をかわすために、自治体視察を儀礼的に入れると言うのが実態だったのである。

 現在は、相当改革されてはいるが、いまだに古参、ベテラン、名誉職的議員においては、「今度の旅行、何処行くんや」である。だから政務調査費と名が変り、条例での支給が明確になっても、心はまだ公費で何を負担してもらおうかであるのである。

 多くの地方自治体で「費用弁償」が廃止され、「政務調査費」の領収書添付の支出項目の限定など、改善が進められているが、10年程前の兵庫県尼崎市の議会調査研究費を使った「カラ出張事件」を思い出すのである。

 その当時の現役市議会議員に話を聞いたところ、支給額が多いため、どう消化しようかと思って、事務所を借りて、事務員を置いて、家賃、水光熱費、事務職員給与を支払って、何とか経費として使っていたと証言されたのである。

 しかし多くの議員は、ひとり当たりの年額受給額を使うために、家族やグループでの旅行や墓参りなどにも、この費用を使い、後に公金の使途として精査したところ、全く視察や議員活動と関係がないことが判明して、「カラ出張事件」となったのであるが、根は全く現在も同様の面が大きいのである。

 もういい加減にしようよ税金の無駄遣い! 適切な報酬、手当、補助金は誰が判定できるのだろうか。

 

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