ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

現人神、神聖化の危険。

2005年04月29日 | とんでもない!
 いつのまにか「みどりの日」なんて訳の解らぬ日になってしまっているが、今日は昭和の時代の天皇誕生日であり、国会では「昭和の日」に改定しようとする動きが今尚あるイワク付きの日である。

 ゴールデンウイーク突入のさわやかな金曜日の休日だが、私はいつもと同様に、有機農産物の移動八百屋のための仕入れに朝から走った。連休初日ということもあって道路はいつもより相当空いており、すいすいと気持ちよく走った。

 八百屋の仕入れで京都市内に行き来する時、必ず近くの木津川1号線大橋を渡る為、マスコミ報道で大騒ぎしていた、女性への暴行事件で逮捕された金(永田)牧師がいた、宗教法人・聖神中央教会本部の前を通っているので、この事件の報道から感じたことについても述べたいと思う。

 宗教法人という隠れ蓑で、過去から現在に至るまで多くの組織、団体が集金システムや営業活動や資産運用をしていて、純粋な意味での宗教活動をしている団体、教会、神社仏閣とは区別しなければならないが、いい加減な団体、組織が世の中には多く存在しているのである。

 こともあろうにキリスト教の名を語って、しかも信仰心や誠実さ、忠実さを求めて、主任牧師として、この宗教法人を統率、経営していた悪徳教師が実はセクハラ、淫行、暴力の主だったという、あきれてものが言えない事件が発覚したわけである。

 神のため、信仰のために他人には、事実を語ってはいけないとか言って事実を隠ぺいし、多くの信者には神のため、信仰のために財産を投げ出しなさい、なんて無茶苦茶な命令や指導を平気で行い、徐々に自分を神格化させていき、マインドコントロールにより信者を沈黙させていたのである。

 「神存在」を信じる者が日常生活において、ある人や存在感のある教祖などを神同然に扱う宗教的儀式は、多数この世には存在しているだろうが、人はあくまで人であり神ではないのである。

 第二次世界大戦後日本国憲法は、天皇を国民の象徴とはしたが、戦後になって昭和天皇は人間宣言をして「現人神」であった戦前、戦中をきっぱりと否定したはずである。

 しかし戦後60年経った今、日本国憲法の改悪や国体の統一を志す人たちによって、改めて天皇を元首的実権者や再び神格化しようとする動きが底辺にある。これらの意識は、この天皇制を利用して天皇に逆らうものは許さないとする、戦前戦中つまり大日本帝国憲法下と同様な体制を再現し、実際に権力を行使する者たちに都合よく利用しようとする企み以外のなにものでもないのである。

 人を絶対的に服従、規制するための権力的力は、時に人を神格化して非人間的扱いや暴力、命令にも文句を言わさない状態を作りだすのである。全くの人権無視と人権侵害を平気で法の下でしてしまうのである。

 現代人の不安や孤独感、または焦燥感を利用して、宗教的儀式でマインドコントロールして行き、最終的には教祖や教師に絶対的に服従させる様な、システムと管理を行っていた宗教法人格を持った似非宗教団体であったと言うしかない。

 私達多くの国民にとっても、こうした事件は他山の石ではなく、戦前戦中での多くの国民が「天皇制によるマインドコントロールにかけられていた訳だから、決して二度と過ちを繰り返してはならないのである。

 危険な現代の「現人神」やあらゆる神格化、神聖化の兆しに注意を喚起したいものである。
コメント (1)
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