ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

言うとおり教育

2005年01月06日 | 日本の課題


 20世紀の終わり頃から、日本では「ゆとり教育」と言う名の文部科学省のお墨つきの教育テーマが、盛んに持て囃されたり話題となった。しかし昨年暮れ「世界中での日本の学力の低下」との発表から、早くも学力向上、学力復活が議論され出している。

 そもそも「ゆとり教育」なるものが眉唾の「言うとおり教育」ではなかったのかと言う、学校現場での意識的な先生方の評価、批評があるみたいである。たまたま小学校の先生が5人寄られた新年会に、私は教師ではないが参加して、この「ゆとり教育」ではなく「ゆうとおり教育」の実態を改めて感じたのである。

 戦後、日本の教育制度や考え方が大きく変り、教育基本法をベースに教育委員会が独立行政組織として、その地方、地域の主体的な教育の環境整備と予算を行政との二人三脚で実現する様にとの体制になったはずである。しかし、この教育委員会制度は急速に形骸化し、教育委員や教育委員会も行政機関としての教育委員会事務局に支配されて、ほとんど意味をなさないものになってしまっている。

 戦後60年を経過して、教育基本法も憲法同様に改悪し、政治的、思想的にも再び戦前、戦中の国体維持のための教育の復活をもくろむ様な内容、テーマを全面に打ち出そうとしている様である。

 そんな危機的、教育実態、教育現場で何が「ゆとり教育」なんぞあるはずがない。目指すは「ゆとり」と称して、多くの児童、生徒には学校5日制と総合学習などによる授業時間数の減少を説明し、一部の優秀な児童、生徒を中心とするエリート優先教育への移行をもくろんでいるのである。

 現に、井深大や著名な財界、学者たちが日本の知識や技術力を世界で生かすためには、多くの普通の児童、生徒の教育に平等に公費をかけるのではなく、優秀な生徒を選抜したり飛び級させても、徹底した教育環境と予算をかけて、未来の日本を担う人材を育てるべきと着々と指南し、文科省も実はそうした方向で教育環境、予算を変化させてきている。

 しかし、表面的には「ゆとり」を謳い、実際は大半の児童、生徒には従順に批判力をもたない「言うとおり」の人間を育てることを目的とした教育実践を、学校、教師たちにも「言うとおり」にやれと圧力をかけているのである。

 戦後60年を迎えようとしている日本の教育の今後は、21世紀を担う子どもたちにとっても、この地球の未来を託す私たちにとっても、大変重要な課題であることは言うまでもない。

 学校現場の先生方がまず児童、生徒の本当の人間的成長を願って、批判力と選択肢を持った真の人間力を身につけられる教育実践へ、具体的な問題提起と「言うとおり教育」を脱して、真の「ゆとりのある教育」つまり、お互いの違いや特徴、個性、人格を尊重した上で、心豊かに信頼と愛情と希望を持って生きられる社会の一員になれるよう、教育的配慮の行き届いた教育実践を目指してもらいたいものだ。

 決して誰かさんや国家権力、また財界や親にとって都合のいい「言うとおり教育」に乗せられず、「ゆとりある人間」に成長することのできる教育に、我が子や地域の子どもたちを委ねようではありませんか。
コメント (1)
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