恒例の新春甘南備山初登山に今朝参加した。登山といっても標高189mの小さな丘陵のような山である。しかし、わが町のシンボル的な山であり古くは平城京の時代から由緒ある縁多き山なのである。
この山頂で田辺町時代から、新春初登山行事が行われていて今年で46回目だそうだ。
私は京田辺に住んで25年目のまだまだ新住民だが、この山のある薪地域は古の平城京時代には、権力のあった東大寺へ薪を奉納していて地名になったと言われている。また春を告げる東大寺のお水取りに奉納される孟宗竹も、京田辺から毎年2月の11日に切り出されて、復活した松明講の皆さん方の手と足によって現在も東大寺に運ばれている。
由緒あるついでに記すと、京田辺は京都、大阪、奈良のちょうど中心に位置する関係からか、かなり古い時期から人が住んでいたらしく、遺跡や遺物が多く出土しており一番古いものは約2万年前の旧石器時代の石核が発見されている。
この地は継体天皇が511年に山城国で初めて都を置き「筒城宮」と称したらしく、田辺町時代の郡名「綴喜」として,また都の存在していた地は、字名「都谷」として残っている。
同志社大学が19年前に京田辺キャンパスとして移転した場所がその地に近くて、現在は同志社大学キャンパス内に「筒城宮跡」が移転し残されている。
少なくとも1500年程前は日本の中心であった時代があり、今にその時代の息吹を感じさせる自然や名所旧跡が他にもたくさん市内には点在しているのである。
あのトンチで有名な一休禅師が晩年、盲目の蓮如と過ごされたと言われている酬恩庵、通称一休寺もあり、町のシンボルデザインにも漫画の一休さんが使用されている。また最近は、かぐや姫伝説の翁が住んでいた集落が三山木山本ではないかとの説も浮上して、かぐや姫の里としてのアッピールも始まっている。
我が家から往復1時間半程度の山登りであったが、大晦日から正月二日間の食べすぎを癒し、適度な運動と共に、多くの知人、友人たちに出会い、山への上り道、下り道と頂上での神社への参拝と記念行事の前後に、新年の挨拶を簡単に交わすことができて、一石三鳥の甘南備山初登山であった。
一番身近で手軽に登れる山ではあるが、貴重な動植物が生息し、大切な保水力のある緑の樹木が保全されている甘南備山は、京田辺に流れる木津川とならぶ自然環境として誇れる郷土の里山であり、これからも機会ある毎に人々の憩いと歴史に思いを馳せる地としても、保全していかなければならない貴重な山であることを再認識した。