学習院 乃木希典院長
人倫の道を若き陛下に説く
欲望にもホドがある。
ましてや、自分に縄をかけることは難しい。
縄もちでもできないことは、なおさらだ。
為政者は、゛美しい国゛というが、清く・正しく・美しい、が連なるものだ。
これは大欲や大業の理念だが、我利の小欲が蔓延ると国家は衰亡する。
よく、遊び人の三拍子で飲む、打つ、買う、が一人前といわれた。
もちろん、すべてはホドが肝心だが、酒も博打も異性も身体と懐の算段が必要だ。
また、事前準備として、それに苦労する。
姿や格好を気にした一昔前の遊び人は、一人遊びもいいが、遊ぶ相手を選んだ。
競馬・競輪などの公営ギャンブルは、当たり外れはあっても恨みっこなしだが、麻雀はときおり苦いものが残る。株も博打相場になって主婦など素人投資家が多くなったが、玄人に言わせればゴミか餌のような扱いだ。それでも止められない。
儲ければ酒か異性が相場だった。公営博打場の近辺には飲み屋、風俗が集まった。
戸田競艇、浦和競馬は西川口のソープランド、川崎は堀之内、当たれば頭がそちらに向くのも男の性なのだ。外れれば荒川に架かる笹目橋を高島平に向かって寒風のなか行列ができる。当たればタクシーに乗り西川口で湯につかり一時の桃源郷に潤いを求める。
近ごろは素人の娘さんや主婦が好奇心や生活苦でその世界に入るという。
まるで流行り仕事のように気軽に、なかには楽しそうに従事している。しかも需要と供給では供給が多く、断る状態だという。周り巡って人助けともいうものもいるが、手にした金でパチンコ、ホストクラブ、ブランドだけではなく、授業料や親に仕送りするけなげな女性もいる。
筆者もときおり依頼される大学講義には多くの女生徒がいる。総じて男子より真剣さと問題の感受性が鋭い印象だ。なかには芝生で足を崩してタバコを吸いながら嬌声を挙げる生徒もいるが、親掛かりとは違う印象がある。まさに産学一如の一つの効用なのだろう。
いまは博徒場だが法的には遊戯店扱いのパチンコ屋が流行っている。官民問わず多いときには30兆円といわれる市場にエサを求めて群がっている。その依存症は五百万人を超えるという。犯罪は動機が肝心とその種を絶やすことに治安当局は血道をあげている。
善なる青少年の環境と不健全図書の取り締まりをしたが、手から水が漏れたのか教職員による学童相手の性犯罪が増え続けている。また、犯罪の原因は遊興費が欲しいからとの理由が多いが、大方はパチンコやスロットルだ。
昔は射幸心を煽ると一台二万円が限度だったが、あらゆる場面で治安官吏が関わってから、何十万円の出入りが行われている。許可されているというべきだろう。
金沢八景 称名寺
消費資本主義ともいう社会だが、消費まで管理され、しかも射幸心まで煽られ依存症になって犯罪原因も増える、ましてカジノだ。江戸時代なら素早く禁止令が出ただろう。それでなければ御政道は維持できないことを知っていた。いまは原因を作り捕まえるようなマッチポンプの状態だ。この犯罪の原因・発生・検挙、の流れはパチンコの三点方式に極似しているのも面白い現象だ。だれも解っていても止められないし、彼らの食い扶持利権には声も出せない。
江戸の仇は長崎のたとえがあるが、どこでしっぺ返しがあるかわからない嫌な社会になった。これでは、銃後の守りもおぼつかない。なによりも美しい国を標榜する為政者の二枚舌にもアキラメに近い国民の気持ちだろう。
浮俗の遊惰を昂進する環境を御上が率先することを看過して、美辞麗句が飛び交う政情は、まさに堕落から没落に向かう道だ。これは一方の見方だが・・・
ところで標題の三拍子だが、近ごろは趣が変わったようだ。
飲むは「薬」、打つは「鬱」、買うは「ペットを飼う」と高齢者はいう。
身体の患いに精神の孤独と病、まさに世相である。
そして、いつか辿る途であろう。