まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

上賀茂の葵から観る世 2007 あの頃

2022-03-10 03:39:01 | Weblog



 平成19年の初頭、国際フリーターを自称する中野有氏のライフワークとなった上賀茂の「葵」(あうい)を考察するとの名目で、萬晩報の伴主筆、某省の官房補佐官大塚寿昭氏、との京都相伴の機会があった。



 訪れたところは、古代における京の豪族、賀茂氏の氏神を祀る賀茂別雷(ワケイカヅチ)神社。別名、上賀茂神社は天武6年(678)に造営され、社殿の後方に在る神山に賀茂別雷神が降臨した地として伝承されている。

 市内に近い下鴨神社の趣とは異なり、古色蒼然としてまさに京都絵図にある扇の要のような位置に鎮まりを以って座している。社域には社殿、祭殿が深い思慮で配置され、それぞれに意のある存在をつなげるように祷りを奉献するものを包み込んでいる。

 古都を彩る葵祭の行列や流鏑馬など、今でも残る祭典儀式や陋習などが、上賀茂神社を発祥としていることに日本人の習慣知識を覚醒させ、また、それを可能にして途切れることのない永い継続の刻に驚かされる。

 このたびは寒気厳しい早朝の昇殿参拝の緊張と、社域の霜景色の静寂さも手伝って、より秘奥に己を溶け込ますことが認められる祈礼であり、それは参拝儀礼に沿って献ずるとき、祭神に自らを辞譲することによって容易に認知できる「礼」の行為の爽やかさでもあった。

 

   秩父
 
 孟子も心の端にある情を説く「四端」に、辞譲の情(ココロ)礼の端(始まり)なり、と記しているが、「礼」は全体の調和を司る必須の「譲る心」だと、中国古典との共通意義を参拝体験を通じて悟らせてもくれる。
鎮まりの中で己の自我を解き放つ参拝礼は、古の先哲が連なり継続した祷りの重圧に拘らず感謝の念を抱くことでもあった。

 そのことは、日本人の外向き表現の乏しさを、軽々にも民族的な劣性のごとく考えることからの転化を促し、単に核心伴わない軽薄なパフォーマンスを個性の表現と考える風潮を諌めるような雰囲気がある。参拝は、自他の厳存を知り、全体の調和を描く「礼」の意に在る、譲ること、分けることの有効性を確かめることでもあった。

 葵はその社域に自生している。昔は敷きつめるように自生していたというが、今は環境変化によってその数は僅かとなり、生物環境の学習を兼ねて近在の小学校で生育したものを社域に植えているという。
 乏しくなった環境意識と、その葵に心を譲れなかった人間と環境の不調和は、脚下に沈潜する日本の環境バロメーターである葵の守護を、単に目に映る草木としてのみに置き、その衰退から学び省みなかった現代人の写し絵のようでもある。

 事象の観察方法にも共通することだが、足下の葵は社会の下座観であり、環境という地球の俯瞰でもあることがわかる。例えば一読する書籍も、内容に驚愕したり、アンチョコに知識を得たと錯覚するような、゛読まれ方゛があるが、「照心古教」にある心を自らに照らして事象を観察する読み方もある。足下に生育する葵の姿は、まさに人間の栄枯盛衰に表れる情緒に似て、人の世を先見するかのように無常の諦観を悟らせてくれる。

 

    岩木山神社


 普段、国際情勢の考察、研究を言論執筆を通して活動している中野氏は、自宅からの散歩コースである上賀茂の社域に生育する足下の葵に、意思と暗示を受けたという。それは、彼の言う、゛知的直感゛の芽生えと、具体的運動体として葵の価値を見出すとともに、言論人としての観察眼に自らの意思を添えたとき、信頼に足るメッセージ伝達に必須の座標軸の確立を涵養する機会でもあった。日々、複雑変化する情勢に翻弄されるような観察眼では、普遍性の高いメッセージの発信元にはなり得まい。

 流動する情報にある動態観察と、足下に生きる葵を考察する静止観察は、浮動と鎮想という心の置き所を考える上で、おなじ外交紛争、戦禍、を対象とする言論を、歴史に耐えうる結論に誘導することでもある。

 往々にして状況観察の座標を確固とするものは一面的、固陋と見られがちであり、矮小化された事実説明や軽薄な大衆迎合が浮俗の評価を得る妙な風潮がある。
分析一つとっても、国々の軋轢は戦火を誘い、その原因は資源、宗教と、人間の欲望のコントロールや調和の欠如であることは歴史を紐解くまでもなく、大方は表層の原因、結果、将来の予測で事足りることでもある。

 しかし、数値で表される惨禍、損失のみで戦禍のダメージは計れない。
それよりも大国との戦火においても報復さえ適わない小国の強固な精神力が復興の手助けをしたり、恩讐を超えて友好、同盟を果たした例もある。小国は迎合と融通という智恵を活かして大国の提示する擬似的システムの同化に励み、他力による復興を遂げている国もある。

 

鎮もれる 雪の岩木の御社(みやしろ)に

   ひとり禱るは 国のいくすえ

 

 近年では大国に翻弄されたアジア、中東の新たな軋轢も、その地域にある陋習が、あえて自由・民主の正義という大義によって否定され、戦争目的ともなっている。

だが、その陋習に順った指導者の輩出や統治形態について、大国の掲げる自由と正義、あるいは民主を謳う彼らの大義の構成に陰りが出てきたようにみえる。
また、その問題は洋の東西を問わず懐疑的疑問として深層の意識に発芽し、そのプロパガンダが巧妙ゆえに、却って解決を複雑化させ、かつ遅延させることにもなっている。

 肌に合わない、馴染まないにある化粧品の厚化粧のようなもので、「すっぴん」だからこそ表現できる、素朴で威厳のある、つまり人間の透明な尊厳の棄損を考え始めたことでもある。

 統治の形態は民族の数ほどある。教育論からすれば論外だが、市井の俗話は妙なバランスを生むときがある。
「悪でも善でも力のあるところ正義である」
「盗賊でも皆に分け与えれば善人であり、分けなければ悪人である」
それが一党一派や一国の栄華になると、怨嗟や嫉妬を生み、近ければ尚更のこと享受する利と嫉妬が微妙な反発を生むことは、我国の遠慮がちな外交姿勢を間引いても思い当たるものがある。

 また、宗教、地域陋習に基づく掟や規範が混在する国(地域)では、国家の為政者より優先する「長(おさ))の権威による統治が行われている。それは、近代国家といわれる国々の大衆の集約要因である自由と民主に謳われた消費資本管理主義とは異質の商慣習や、財に対する考え方、自然に対応する従順な無常観として存在している。

 為政者が宮殿を持とうが、多くの妾を囲おうが、近代国家の三面記事を賄いとする商業マスコミのように騒ぐことなく、却ってその方が「長」は大衆の生活に立ち入らないし、その豪奢な生活や過大なインフラは民衆の誇りになっているとも考えるような、棲み分けと分際(ブンザイ)知恵がある。

 

  上賀茂

 

 その近代国家と称せられる国の謳うような大義には無用と思われる異文化の政体だが、戦後処理には、民心コントロールや水に合った政策を提示する、゛大国の暖かい理解゛という避難策によって、訳の解らぬ懲罰戦が弛緩した姿で終結することが多くなった。

 またそのことを歴史の栄枯盛衰の中で特有の解決策を編み出した民衆の知恵が、最後に有効になるという、まさに大義の錯覚した創造の結果として、総ての民族、国家に数多存在する、それなりの自由、民主の概念の意義を、根本的、多面的、歴史の烔察から理解することでもある。

 このことは中野氏のフセイン存続論に対して無視にも近い冷淡な態度をとった欧米の専門家に、唯一の賢論を呈した氏を想起するからである。
そこには足下の葵に感応する下座観と同根の地球歴史の俯瞰が観て取れるのである。
 とりもなおさず茫洋としたアジアの存在する為政者と民衆との間に観るような、王道と覇道にある「道」を構成する混沌の定理を探ることでもある。
戦争消費をエネルギーとして、価値の異なりを消費グランドとするにはアジア、中東地域ほど都合のよいところはない。これを混乱、闘争と観ることもできるが、元々混沌から生み出した柔軟な包容力に加え、ほどよい調和と復元力がアジアにはある。

 そのようなアジアにも滅びることのない意思がある。しかし、その為には異なることを恐れない強固な意思と座標の確立なくして成り得ないことでもある。

 環境によって乏しくなったといわれる上賀茂の葵も、実は人間が観察することではなく、下座から観察されている人間がそこには観えてくる。はやり言葉になった「環境」も葵にとっては発育伝播の本能的拡大のみならず、あえて己を省くことを忘れ、西洋学にある探求混沌の字句のようにもみえる「環境」という問題に拘る人間自らに、脚下照顧を勧めているように思えてならない。

「環境」は、゛環状の境゛であり境際もある。人間と自然の闘いと調和を、意識として認めることから始まるとしたら、まずは他の自然環境を論ずる前に、自己をとりまく人間環境を論ずるべきだろう。

 葵は己を語ることなく、また他を論ずることに文言の拙巧をみるまでもなく、足下に自生する下座からの観察は、まさに神域に鎮座するカミによる人間界の俯瞰であり、自己の内宮に自ずから存在する正邪に、有効な峻別を促すことにもなることを諭してくれる。

 葵に自己を眺め、葵の救済に自己の救いを求める環境が、京の上賀茂には鎮まりを以って自生していた。



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