まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

学用児童とモンスターペアレント 10 10/8再

2020-05-14 11:56:45 | Weblog





公立学校の土曜休日が施行される以前、御茶ノ水女子大学附属小学校では試験的に土曜休校が行なわれた。
通称、お受験校として受験ママの事件すら起きたペアレント羨望の学校だが、その受験はくじ引きと内申書、そしてウサギと遊ぶ児童の観察などだが、その観察で選別された児童の親の職業は受験環境のせいか医者、弁護士、教師、公務員が不思議と多い。

施設は、廊下側の仕切りが無いオープン教室、それはブランドゆえにペアレントがモンスターにすらなれず、そのブランド権威に随うことで様々な施策試行が行ないやすい環境がある。
また、ここで行なう教科の進め方も、それぞれの担任が文部省の教科書作成者として、カリキュラムに合った教え方(教授案)まで色々な角度で児童に対応している。

「春さがし」というテーマを与えて広い大学敷地内を児童が春にちなんだものを探してくる。春の花、池の様子、木々の色つき、など様々な「春」を探してくる。そこで偶然おなじ探索や発見があった児童同士が仲良くなったり、なかには高校、大学の校舎、教室の様子を覗くものも当然あり、児童の発想力と行動観察には最も適した促しが行なわれる。

国語は文字探しといって新聞から与えられた複数の文字を探し切抜きをする。しかも自宅で父兄とそれを行なわせる。当然、文化社会面しか見ない母親も一面の政治、外交に目を通して関係する接続なり全体の意味を否応無しに覚えてしまう。もちろんスポーツ紙や芸能面からの選択もある。これもブランド権威なのか自由がなくなるなどと文句を言うペアレントはいない。

 



                          

 



当時の公立小学校の先生に伺うと、一週間に何文字教え、偏やつくり、画数や書き順で精一杯でそのような教授案は考えられないという。とくに教師同士の並列意識やモンスターとして頭を持ち上げてきたペアレントに数値結果としての能力をせっつかれると、児童の能力はともかく規定数を流し込まなくてはならなくなる。

併せて教師の能力と権威の失墜で児童は教室で騒ぎ、叱れば親が出てくる。なかには教頭は、゛まーまー゛、校長は隠れる。同僚は相談にも積極性と緊迫感はなく居場所すらなくなる状態もある。





           








余談だが、筆者のところによく教師が相談に来る。同僚や上司の問題もさることながら、自身のサラ金や父兄との裁判の問題まで色々出てくる。

千葉の小学校の例だが、新興住宅地のためかお決まりのモンスターペアレントの増殖に苦渋していた。あるとき耳元で叱ったら聴覚に障害が出たと裁判になった。そしてあろうことか敗訴した。そして賠償金(治療費他)の裁定がでた。
すると傍聴していたモンスターの仲間から、「これならウチも貰える」と囁きがでた。
゛叱ったら登校拒否になった゛、色々だが、裁判は二件抱えているという。

なかには夫に内緒で教師に裁判をちらつかせて詫び金をせしめようとして、これまた食い扶持昇進に支障が出ては困ると校長にも相談もできず、私的示談金として金を持参した。玄関先で手渡しているとき夫が帰ってきて事情を聞いた。
「バカヤロウ、ヤクザの恐喝のような真似して・・」と、教師の見ている前で女房は殴られている。

サラ金だが、ことのほか教師、地方公務員の問題と被害が多い。当時、公務員なら幾らでも貸すのである。相談があったのは女房も教師、新築、車二台、ソーラーパネル、子供二人は私立学校、共済から借りても間に合わず、同僚にも相談できず、女房の給料は親に仕送りと貯金、手を出したサラ金8社で七百万円である。家に帰っても整理整頓できず散らかった部屋で居場所が無い、つい帰路郊外のパチンコに入る生活だという。それにモンスターの追撃である。






                        







ある中学校は教師に暴力、教室でラジカセを鳴らす、喫煙、などで授業にならず、生徒が暴れると手が付けられないので来校救援の懇請があった。週に二回程度の連絡があるが担任からで校長からはない。学校祭、体育祭、卒業式など父兄来賓などお構い無しで粗暴な行動をとる。

あるとき、「暴力が烈しいので体罰もいいですか・・」と緊急連絡があった。もちろん防衛処置は当然な処置と応え、急遽向かった。
「どうしました」
「いや、校長から体罰になるので我慢してくださいと」
なぜか、それでも連絡は来る。

案の定つぎの策が考えられていた。教師らしい、いや狡猾な行動だった。
是非は問うまいが、国旗国歌を否定する反権力の教組が警察という公権力を利用したのだ。その使い方に問題があった。

修学旅行に連れて行きたくない、そんな教師の策だった。
いつもはある教師の悲鳴のような懇請もなかった。また、その生徒と仲間を拙宅に招いていろいろと融和から諭しに入っていたさなか、その母親から連絡が入った。

いつも無視している教師が些細なことで強い口調で叱責した。その生徒は先生の肩口を押した。すると警察官が待っていたかのように来て補導した。外にはパトカーが二台待機していた。修学旅行の直前のことだった。
これで所轄の警察で拘置、少年審判、鑑別所と数週間は出て来ることはできない。

すぐに所轄の少年係、調査官、東京保護観察所の管轄地域担当に連絡をとり、経過事情を伝え、筆者がその生徒の保護観察を担当することの適切である旨伝えた。
偶然、日頃の活動で連絡を取り合っている関係諸機関との人間関係が生きた。
国籍問題、家庭環境、学校での人間環境、本人の無邪気にも思える悪戯心、すべてを勘案して観察案を提示して理解を得た。

校長は退職直前、教師は上級試験、その事件は他の生徒や父兄に対しては生徒の非行として喧伝していた。もっとも生徒たちも理解のある父兄も心底はその生徒を理解していた。
短期であったが保護観察も良好解除された。















春さがし」の環境だが、ペアレントを交えた集まりがあった。ことは週休二日に関するものだった。予測がつく問題では土曜日をどう過ごすかということだった。
塾へ行く、学校を開放、好きなことをさせる、色々あったが6歳で地域の友達も出来ず土曜日は遊び相手もなく、親も仕事で留守。

ゆとり教育とは言うが、当時何処でも取り入れていた教師の研究日と称する休日と受け持ち授業時間の減少、なかには国立大学で週数時間で莫大な俸給を自慢していた教授がいたが、教育界だけでなく日本全体の公機関の就労時間が減少し、それに倣って民間も随わざるを得なくなり総てが勤労の継続と緊張から放たれて、「ゆとり」ならず、「弛緩」「緩慢」とした社会になった。

ある私学高校では校訓に質実剛健を謳っていたが、私学助成のお陰か給料は都内随一となった。すると駅から近い校舎でもマイカー通勤が増え、名を誇った各種部活も担当教師が少なくなると同時に、教師の会話もスキー、ゴルフ、旅行となり、単なる大型塾の様相を呈してきた。起きるのは旅行業者、教科書業者、運動具メーカーからの便宜供与や、下校路での居酒屋やマージャン屋の出没である。

今は少なくなったが、旅行会社からからは修学旅行準備の下見と称する旅行供与、教科書業者は教科書掲載の有名書家の色紙供与など、購入に関する業者からの酒席供応などは、至極当然のこととして教員のおねだりも頻繁にあった。

ペアレントとの会合も二次会から三次会、家庭問題にもなることもあった。子育て女性の社会参加は公園デビューからPTA、町内会、地域ボランティアとすすみ、女性なりの視点での貢献は大きくなった。しかし、それゆえの負も徐々に招来することにもなった。


ある講義を依頼された女子大学だったが、もとより謝金を断っているゆえ真剣な授業を期しているため厳しい雰囲気も作り出すようにしていた。すると「余り厳しくしないでください」と慇懃な依頼が出てくる。なぜなら「生徒はお客さんだから」という応えである。

近頃は手当てや年金と、さもしいくらいに貰い物に話題が集まっているが、ことは社会構成上の劣化である ゛さもしい゛゛卑しい゛を正す人間形成の一翼たる教育界の堕落が教師自身によって限界まで導かれているということである。
一線を引いた議員や官吏が独法となった公立大学の食い扶持飾り教授になることが多い。

これでは問題意識があっても、あるいは生徒を食い扶持として素餐を貪り、単なる年金加算の類として教職肩書きを弄んでいるしかない
教育界というモンスターに棹刺す教養も乏しくなったようだ。

教育において「威」の在るところモンスターは増殖しない。







台北中山記念小学校  生徒自治会






聖徳太子は人間の尊厳を毀損する「権力」を制御することが「威」の姿として、十七条の憲法をつくった。内容は民の生活をジャマするな、模範になれと権力者を制御している。
その権力とは、為政者、官吏、宗教家、そして教育者である知識人だ。
これらはいつの間にか権力を構成し恣意的にその富(貰い扶持、既得権)を増殖する。
知識人の堕落は国家の衰亡を招くことは数多歴史の姿にもある。

私事だが幼かった子女にこう伝えた。それは広い構内を毎日リヤカーを曳いて、落ち葉を収集小がている校務のおじさんから学ぶということだ。その作業小屋は校門の裏手にあり学舎の入り口にある。老齢のおじさんは子供たちに率先して挨拶をする。作業の手を休めず声を掛ける。子女には毎日叔父さんと一言でも自分から声を掛けなさいと促した。
くわえて、それが学校での一番の勉強になると。

ラッシュアワーに押しつぶされ、ときには悪戯されても欠かさず校門を目指した。何もできなかったが、そのおじさんに声を掛けていることを想像するだけで通う意味はあった。

「学用」も用を学として、無用と思われることに有を発見するものでなくては、人は育たない。いわんや人物には成らない。

教師との成績面談で「皆さんのお役に立っておりますか」つい口から出てしまったが、親子とはそんなものだろう。

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