まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

碩学の双心と憂鬱 再読

2020-03-17 23:55:05 | Weblog

 
           苗剣秋婦人(1989台北)


武蔵嵐山の郷学研修所に併設されている安岡正篤記念館に驚愕する資料遺物が展示されている。
一つは縦3メートル横1メートルという全紙様の漢詩文である。内容はともかく作者は苗剣秋と記されている。
関連するものとしてガラスケースに米国側資料として、終戦に導くため影響力ある日本人の筆頭に安岡正篤氏が記されている英文のタイプ様の資料がある。

小生は早速、記念館関係者に撤去を促した。
もしも、諸外国の評価が影響力ある人物の第一人者という増幅された価値と、苗剣秋という日本人には馴染みの薄い人物からの贈物の意味を、これまた評価の金屏風にすることはよくないことであり、かといって四角四面の考察を建前上述べる苦渋の深慮を理解されるとの期待からでもあった。

苦渋の深慮とは、昨今浮上してきた観のある安岡氏への錯誤した興味と、浮き足立った歴史評価に対する危惧である。
つまり苗剣秋とガラスケースの一文の意味するところから、秘してなお安岡氏の果たした役割、つまり公的、私的、学問的興味、人物観の錯誤、あるいは近衛文麿をして、「何か引きずられるような・・」と困惑させた戦争誘発と続行が、現状追認せざるを得ない止め処も無い流れを、すき目の粗い網目の浸透性と弛緩を前提として、氏の深窓の知識人としての真の大局、誠の人物観を氏の一方の面として観るからである。

心ならずもとは奥歯に物がはさまった言い回しになるようだが、章をすすめている最中でも、猛然と押しとどめる魔物があることに気づく。

それは人情であり愛顧であり報恩の念でもあろう、そしてその念を抱かせていただいた数々の訓導に遵えば随うほど、現世の事象に抵触した部分において ゛生き物としての人間゛の切ない悲哀を感ずるのである。

しかも昨今の安岡学などと呼称しているものの中には、商業出版の著作権やそこに集う軽薄な世俗観の偶像視は、近年少なくなった特異かつ有効な学域の牙城を融解させているようにも観えるのである。

しかも学問の成果と人間の実動をことさら混交することは軽薄なスキャンダルによって成果に導かれた真理まで毀損させてしまう。とくに商業出版に踊る妙な学派にみる表層マニュアルや心地よい言葉の響きに其の学利を描き、宴の跡の一過性の流行モノとして忘却される危惧を先見するのである。
「小人の学は利にすすむ」
「利は智を昏からしむ」
「小人、利に集い、利薄ければ散ず」
そのような世情の戸惑いこそ安岡氏の危惧した、かく在るべき人間の亡失なのであろう。

ここでは土壇場の肉体的衝撃、地位や価値の滅失、など行動に於ける知識人の限界点と言論、成文の為せる思考と身を滅しても行うべき行為の臨界点、あるいは其の岐路における自他の勘案という、つまり氏の説く「六錯」にある守りと怯え、あるいは論理と言い訳の隘路を、氏の隠れた一面を考察して標題の意に沿いたい。

安岡氏は自らの学風に集う人々を集めて講演を行っている。エピソードが一人歩きするほど深窓において興味を抱かせる氏の実像と肉声を求めて人は集う。
ときにその学風は中村天風の宇宙観、安岡正篤の古典活学と政経人のマスコット的バイブルとしてもてはやされ、謦咳に接したとか、はたまた揮毫を戴いたと金屏風にする輩も多く排出している。

それもこれもお題目は、牧野伸顕と吉田茂 以下佐藤栄作など門下生、歴代総理のご意見番、終戦の詔勅の朱筆、平成元号起草者、双葉山と木鶏など枚挙あるが、昨今の耳目は細木数子との縁も世俗の井戸端会議の種になっている。

最近では総理候補と模されている福田康夫氏の父、元総理の福田赳夫氏も終生師と仰ぎ様々な岐路には教えを仰いでいる。

余談だが対抗馬として名の挙がっている麻生太郎氏の祖父は、戦前武蔵嵐山の菅谷の荘跡に農士学校(現在 郷学研修所、安岡正篤記念館)の創設資金を拠出している。(現在の価値で約60億円)
牧野伸顕、吉田茂、麻生太賀吉の縁戚の系譜と、安岡氏の婿入り先である土佐も吉田氏との関係もあり、くしくも福田、麻生両氏の縁はその政治意識と座右に現れている。

麻生氏は孫文が好んだ「天下為公」(天下は私するものでなく公にある) 意であり、福田氏は父が座右としていた「任怨分謗」(怨みは吾身で受け、謗りは他に転嫁しない)を同じく座右としている。
 政策はともかく、その安岡氏の遺志は両立した候補者の政治信条として権力を執り行う人間同士の奇縁を取り持っている。

以下 次号

コメント
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