まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「人間考学」  智恵ある者は臨機に際して北に向かう 13・8/17再

2015-12-09 10:53:47 | Weblog


本来は内進であろうが、あえて外に向ければ今は南進の状況だ
それは、福本日南や菅沼貞風のような南進論が歴史の循環のように甦ったような昨今の様相だ。

当時は福沢の脱亜細亜のごとく朝鮮,支那(当時の呼称)の惨状と、あまりにも我が国とは似て非なる状況を憂慮るすために生ずるエネルギーの浪費より、一足飛びに西欧に眼を転じようとする施策の基軸を論じたことと類しているが、その方向を南方(東南アジア)に転じようとする国家の経綸のようにみえる。

南方政策は台湾総督府におかれた日本初の財団、南洋協会が有名だが、この発起構成員は皇族、政治家、軍人、経済人と明治のオールスターが列記されている。要は台湾を出先として南洋諸島の殖産を意図したものだが、新領土となった島礁防衛も含まれた協会の設立だった。その点は台湾を軸に朝鮮や支那を鶴翼のように広げて囲う意図もあっただろう。

その鶴翼に被われた大陸だが、孫文が桂太郎と東京駅の喫煙室で語り合った「満州は日本の手でパラダイスを築いてほしい。そしてロシアの南下を抑えてほしい。しかしシャッポ(帽子)は支那人に・・・」という内容がある。
それは前段で、日本の人口増加に関する話題からつながったものだが、双方無言で立ち上がり握手している。互いの事情を知りぬいたもの同士の情景でもある。

昨今の売文の輩に言わせれば「孫文は裏切り者」と切り捨てるが、大同思想と共産思想の共通性を説く孫文の已む止まれぬ自得もあるが、つねに無視し強圧さえ掛けた日本政府にも多くの事情を含んでいる。つまり日清日露で血を流した犠牲の対価として考えたことと、硬直増長した軍官吏の言動にも問題があった。







支那(中国)を狙う列強




福沢の脱亜にしても古来より棲み分けられた地域で営む生活や、政治の慣性、ときに暴虐性をみる為政。そして民癖など、気になっても、憂慮しても、促しても転化することのない諦めに似た気持ちになるような、やりきれないものとなった感情だとしても、四角四面で拙速、迎合的な従順性をもつ日本人の忌み嫌う大陸への対応は、その後の日本軍進出にともなう惨禍の結果に少なからず影響があった。

日本人は鬼子、中国人はチャンコロ、互いがこれでは水飲み小作と庄屋の倅の宿命的意識からは抜けられまい。せめて庄内の豪農本間家のような忠恕と鷹揚さが欲しい。たしか、土佐の山内容堂が言った、明治の高官の多くは無頼の徒だ、というが、たしかに異民族に対する許容量が乏しいようだ。

ともあれ日本人にとっては面倒な国、いや地域だと考えられていた。だから、善意あふれるお節介もいれば、強盗のような日本人が出てくるのだ。
かといってロシアは恐い。なにを考えているのか腹が分からない。あの帝政も共産に変わっても理解しずらい国だった。新生中国もことのほか嫌ったが、表札の名称だけは仲間意識なのか共産だが、ときに共惨なものになる。

だが、19世紀から20世紀にかけて多くの王政、帝政は消滅した。なによりも民族の結び目だった長(おさ)が滅亡し、日がなの欲望しか考えないような民衆が市民という名で発生した。自由、平等、人権が誘い水だったが、新たに登場したのが虚利を実利に変えて利子を自動的に発生させる金融による管理だった。豊かさと便利性に誘われた民衆は金融奴隷のようになり、互いに競争し、争い疲弊した。









ニコライ二世



【民族や国家、家族の長(おさ)の消滅】

日露戦争当時、明石元三郎はその帝政を疲弊させるために内部攪乱をした。結果として後に発生する共産革命の助成ともなった。そしてレーニンやスターリンの登場だった。かといって民主・平等。人権を謳う啓蒙主義への危惧は明治天皇ですら解っていた。ただ、戦争という面前危機の対応としての明石の工作は最善だった。惜しむらくはたどり着くことで招来することへの俯瞰戦略は乏しかった。なによりも新たに発生した主義の持つ政策や意図に隠された大謀が見抜けなかったのは我が国だけではなかった。また、人間の狡知が編み出した主義が統治実験として用いられ、それが南方へ伝播してその実験期間の終宴に、彼らがいう資本主義が共産主義への移行経過としてではなく、彼らが打倒したために消滅した結び目もなく浮浪する民を奴隷化する金融資本の独裁だったということだ。付け加えれば自由と民主を装った資本主義もいっときは冷戦や軋轢消耗を競った共産主義と、行きつくところは同じ土俵だったという大戦略に世界が操られたことだ。どちらに組しようが同じことのようだ。

いっとき我が国の共産党も天皇制打倒を叫んで革命家を謳っていた。
国内政策には庶民のよき理解者だが、多くの日本人はそのことがトラウマになっている
あの震災地で頭を垂れ、お身体の不調をおして再三訪れ膝を折って被災された方々と語る日本風の長(おさ)の姿に、近頃では天皇制打倒と大声を上げないようだ。それはやっと高学歴の学び舎の教場論議から這い出てきたようだが、それでこそ覚醒されつつある共産党として歓迎したい。

狡知が秀でている?勢力は、国家には紛争の種を与え、大衆には際限ない欲望を植え付け、茫洋なる環境には危機を煽る、つまり、人民の手によって事前に長(おさ)を消滅させた。その長の司る財と連帯の絆を平等と民主、人権という美句によって解放(分散、分裂」することによって、それぞれの民族が護持する精霊や神の存在を無意味にさせたために、思索や観照という各々が考える力を衰えさせ、人々の信頼を本とする連帯まで経済数値の土台にのせてしまった。

国家の経済的基盤は独自決定できず、つねに株と為替に操られ食料資源さえも独自政策がとれない状態になった。
また、それを是とする構造が教育や政治の分を司る者にまで浸透し、民族の自立選択すら異端、排斥し、民主だの自由だの人権だと騒いでいた大衆も「釜中の民」のように徐々に己を絞めつけるようになった。その誘因は便利さと与えられた部分の選択、そして妙な豊かさたった。そこには深い思索に基づいた主義も主張もない人々のさもしい歓迎のようになった。



歴史的感情が慣性となった日本及び日本人だが、経済的欲望はどちらも普遍的なものだ。歯ブラシでも日本は一億本余、大陸は十二億本の理屈には誰もが納得した。そして誘引されて同化して融解するのは元も清も味わったことだ。
一昔前は周恩来首相も「あなた達のお陰で政権をとれた」(国民党を疲弊させてくれた)
また、別の指導者は「日本は軍備を増強した方がいい」とも。(対ソ対抗)
それが小金を持つと増長する。懐銭(賄賂経済)は海外貯金と子息は逃避、看板だった共産主義は汚れれば塗り返し、他人の苦しみは弾圧する。いや単に放っておけばカオスになる社会の専制集束のための方便だった主義は歴代帝政の専制に似て順法通りになっている。

そして常にカウンターとして存在するのが北方のロシアであり、ロシアの圧力が弱まれば中国は強引に伸張する。ロシアが強くなれば(北方が危なくなれば)外には出られない。つまり、歴史力のバランスにに忠実なのだ。謳う大義は装っても、「仁」や「義」にみる人助けはあまりない。

だか、外資や権力者が喰い荒した市場を耕作地に例えれば、多くの肥料か農薬をまかなければ、より疲弊する。多くの市場入植者は逃げ出す準備をしている。一旦、鶴翼(東南アジア)に下がるのが常道だ。
少し前は麻生氏も「繁栄の弧」と唱えていた。









プーチン大統領




さて、標記だが、南進は時の要請としては的確な政策だ。また障害もすくない。なによりも米国の利権さえ踏まなければ見過ごせる対応であり、対中国政策としては賛意もあるだろうが、風向きを気にした中期的推考による政策は中国にとって痛くもかゆくもないはずだ。では、何が痛くて、痒いのか、それが北方なのだ。どんなに面倒でも間断地域の北朝鮮をロシアに追いやることはしない。

よく民族は永い歴史の堆積から独特な先入観をもつという。それはセキュリティーでもあるがトラウマとして除くことの難儀な状態にもなる。対国家、対民族、対習慣性、など様々だが、帝政ロシア以来、我が国もロシアに対しては怖れに似たトラウマがあった。いまはMBA(経済学博士)を目指して英語を習うが、戦前の優秀な学生はロシア語の習得に勤しんだ。その中からロシア文学に傾倒しロシア大好き人間が共産主義賛歌を謳いだした。一方、漢籍を学ぶものは中国大好き人間が出てきた。それぞれの国と対立関係になっても、どこか腰の引けるものも出てきた。無条件で米国型資本主義システムに合理をみれば、米国の政策に阿諛迎合的になる者もいるように、ときに人はカブレ現象やファン気質に流れるものだ。

今どき便宜資本主義を謳う中国は科挙の如く学歴主義が韓国も同様に盛んだが、行き先は拝金と便宜共同体参加の免状だ。形式上は国家が依って立つ主義を前提として国造りをするが、その主義の本家ロシアに寄って立つ主義の学問の為に留学する学生が多いとは聞かない。そこにみるのは中国にとって実利がないということだ。だから逆に我が国は実利があるのだ。

そのロシアだが、昨今の資源経済といわれる地下資源も米国のシェールガス、原発などで景気動向が停滞気味だ。問題になっているのは南方からの人的進出だ。中国や北朝鮮だが、その浸透力は経済力と労働力を背景にしたもので、現地からすれば痛し痒しの状況だと聴く。そこでみるのはロシアと中国の力の逆転だ。その力も日本の感覚と違い、「力あるものは善」という、正邪はともかく、という感覚だ。それが浸透したらどうなるかロシアが一番よく知っている。

中華人民共和国建国当時はロシアの強圧をかわすことに知恵を絞った。行きがかり上、蒋介石国民党は米英、毛沢東はソ連と各陣営に与して冷戦下もその影響にあった。援助国の思想形式を装うが蒋軍閥と毛軍閥の様なものだ。
つまり、時節の御都合なのだ。教目を唱える宗教と同様に勢力拡大と資金力の確保だ。
しかし、民族には好き嫌いと,感情にどこか相反するものがある。統計的にもアンケートにもなることはないが、民情は的確だ。

二十年以上中国の市井に体験を持つ佐藤慎一郎氏は、どうもロシア人が嫌いらしいという。ロシアのことを大鼻(ダービー)といって語りたがらない。その次は朝鮮人 (今は韓国、北朝鮮)だという。監獄では朝になると訳もないのに朝鮮人が呼び出され折檻されていたという。侵略者といわれた日本人はその様なことはなかった。佐藤氏が満州一の大悪党と新聞に出たら、各地から現金をはじめとした差し入れが届いた。栄養がつくと一晩かけて歩って卵を届けてくれた中国人もいた。その共通性は人情が解り合えるということだ。








孫文と側近の山田純三郎  (佐藤氏の伯父) 





ならば、反日はどうだろう。当時のことだが佐藤氏の体験だ。
いまでは歴史にもなっている有名な反日デモだが、佐藤氏にもデモに誘われた。小遣いが出るという。日本人としては唯一だが日本官吏の青山氏が視察していた。渡された金は70銭、人力車で北京を回遊できる金額だ。だがデモの最中「どこから金が出たのかなぁ」「教授はいくらピンはねしたのかなぁ」「ところで日本は何をしたのだ」そんな話がそこいら中で囁かれていた。消防(当時は最初に鎮圧に出てくる)がくるとみな逃げる。佐藤氏は「逃げるな」というが、一目散に逃げる。少しは愛国者がいると思って東北大学(張学良学長)にいっても同様だった。それが今では歴史的反日デモだと記録されている。戦後逃避者調査のために香港の浜辺で待っていると泳いできた人に聴取した。「なぜ共産党に入ったのか」「なにも解らんが喰うためだ」という。

その喰うために彼らは国外に出る。世界のいたるところに住み処をつくり浸透する。
その危機感は地続きのロシアも同様に感じている。
日本は海洋伸張に苦慮している。そして外交にも多くの煩いを発生させている。
それは、北方の危機が無いとき南に伸張する歴史でもある。戦後まもなくはロシアの強圧に苦しんだ中国。促され厭々ながら西方に兵を出し、朝鮮戦争の停戦が遅れたのも中ソ関係の駆け引きだからだ。国境の衝突もあり死者も出た。毛もスターリンに強弁された。

いま、ロシアは弱っている(経済困難)とみる。それに比べ中国は力(虚財)がある。いずれにしろ弱肉強食だ。
そのバランスは偏ると争いが起きる。また危機感がなくなると人は増長する、かつ弛緩し堕落する。いずれ勢いは置くところを変えるだろうが、それも栄枯盛衰に記されたことだ。また諦めに似た諦観もある。それは自省心が衰えると吾が身を気づかないうちに自傷する。勝った負けた、俺の仲間だとか敵だとあげつらうものではないが、中ロのバランスをとることが近隣にとってもっと有効な方策ではないかとおもう。
つまり、ロシアの経済自立を援けることが中国に力の自制と慢心を抑制する,圏内の良策のように思える。

そのうち北方領土返還運動に資金が出ることもあるかもしれない。なぜなら反共を謳う民族運動家が中共から資金を貰いビルを建てたことがある前例があるからだ。(落成式での荒木文部大臣の苦言)
あるいは代々木の旧共産党本部の建設委員だった兵本氏(除名党員)は、その建設資金3憶円を幹部が持参したとき出所を尋ねると某国友党からだと平然としていたという。国家間のいさかいに火を点けたり、野党に資金援助したり、手先の小国をつかって歴史の残滓を言いつのることなどは、朝飯前だ。もちろん我が国も国益と称してその類いはあるが謀り事は賢くない。

諸国家の良し悪しをあげつらうものではない。また反日スローガンのように情緒浸透させる愚は自らの首を絞めることになる。
ただ、ともあれ近隣であり歴史の禍根もある。また運よく双方とも金持ちになった。アメリカのお陰でソ連は崩壊し危険がなくなった。だから新しい戦略的危機が必要になったともいえる。いまはそうすることで安心する他国勢力もいる。

議論を尽くすとか深慮などといってモタモタするのは我が国の習慣性?だが、整ってしまえば忘れるのも習慣だ。それを是とするのは、四角四面な対応や歴史のトラウマにこの際は正対せず、つまり、ぶつからず逃げず、除けるような、政策的許容が必要なのではないだろうか。
また、その圏内バランスをとることを良機とするなら、各国に滞留した歴史的煩悶を掃い、新世界を描こうとする我が国為政者の経綸として歓迎されることは間違いないだろう。

「成らざるは為さざるなり」やらないから、できない。
できない理由は我欲であり、その多くは人目と失敗への恐れである。

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