「日本農士学校」 埼玉県比企郡嵐山町 財)郷学研修所資料より
その至誠は真剣だった。
全国津々浦々から参集した生徒は縁を親しみ、かつ学び舎を緊張感のある場にした。
それは、部分の探求に陥った学派に盲従し、官制学の立身出世の風潮から離脱した学風だ
った。
すべての知の修得は、「本」としての人物の活かし方に前提がある。
古今東西に表された知の集積は人格陶冶された人物によって、はじめて功を成す。
当世の立身出世は喰い扶持と名誉衣冠に堕している。
学問が立身出世の具として蔓延している浮俗の風潮を戒め、すすむべき方向性を至誠をも
って示す氏の厳命でもある。
筆者 師恩に謹んで記す
送別の辞
諸君、期満ちて今まさにこの学園を去らんとする。
古城の春色は又新たにし、秩父の山・槻川の流れ低回(俗世間の煩わしい物事を
避け)を去るのも能わざるものあらむ。
世の学校に学ぶ者は多し。然(しか)れども諸君は彼らとは学ぶ目的を異にする。
彼らの多くは立身出此の為に学校を選びて入る。だから彼らは知識を弘め技術を修め
るといえども、これをもって人を排し(排斥、じやまな人を押しのける)己を迷げる
(自分を成功させる)たくましい者は功を立てて名を誇るが、其の劣れる者は終身犬
馬を相去る幾何(数量・一生涯犬や馬のような地位から抜け出る人の数)もなし。
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。
諸君は来るや初めより所謂(いうとごろの)立身出世の為に非(あたら)ず。
倫身・斎家〔自分を修め・一家をととめえおさめる〕に出て、窃(ひそか)に冶郷・
、
護国を期す。これをもって遂ぐぺき己なく、排すべき人はなし。
学問は安心立命(天命を悟り、心を安らかにしてなやまない)の為に開物成務
(世の中の人知を開発し、それによって世の中の事業を成し遂げる。「開成」「開務」
ともいう.‘易学より’)の為にする。
造化(むぞうさに、物質をよせあわせ万物をつくりだす・また自然を支配する道理)
に参じ、道妙(道理の不思議な機縁)を楽しむ。実に先哲の達意なり.
器の大小・才の利鈍は敢えて憂いるに非ず。ただ身の修らず、世の安んぜざるを是れ
を愁う。箇の心を尽くば、大地一不朽(非常にすぐれて永遠に亡ぴない)なり。
願わくば、ごれより世間の有名・無名の人に伍(ご・仲間になって)して、復(ま)た
感うことなかれ。
古今東西の学者学説を羅列(られつ・網の目のようにつらなり並ぺ)批判して愚夫愚
婦を導く事は難しい事である。 j・.
欧州米国の文明・文化を嘲笑罵倒(あざけ笑い、ののしる)して、北狄〔中国北方地
方にすむ民族〕南蛮(南力の野蛮人・タ・イ、ジヤワ、ルソン等)を支服(支配し従属)
するような事は、諸君の倫理学・政治学にあたらず。
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諸君の孝行は一学の愚夫愚婦をも化し(人格や教育によって接する人の心や生括ぷりを
かえる「感化」「徳化」)し、蛮狼(野個人で冷酷で欲深いもの)にも行わせるにある.
人爵(人から与えられた位・名誉)を求めず天爵(天から授かった爵位・白然に備わ
った人徳のこと有天爵者、有人爵者“孟子・告上から’天爵遊宥り、人爵つまり社会的
地位や名誉有り)を楽しむとごろにある。
これは諸君は、底(すで)に知る所である。