まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

安岡正篤の至誠 「送別の辞」 2012年2月再掲載

2015-08-18 07:28:44 | Weblog


「日本農士学校」 埼玉県比企郡嵐山町   財)郷学研修所資料より



その至誠は真剣だった。

全国津々浦々から参集した生徒は縁を親しみ、かつ学び舎を緊張感のある場にした。

それは、部分の探求に陥った学派に盲従し、官制学の立身出世の風潮から離脱した学風だ

った。

すべての知の修得は、「本」としての人物の活かし方に前提がある。

古今東西に表された知の集積は人格陶冶された人物によって、はじめて功を成す。

当世の立身出世は喰い扶持と名誉衣冠に堕している。

学問が立身出世の具として蔓延している浮俗の風潮を戒め、すすむべき方向性を至誠をも

って示す氏の厳命でもある。


筆者 師恩に謹んで記す




送別の辞


諸君、期満ちて今まさにこの学園を去らんとする。
 
古城の春色は又新たにし、秩父の山・槻川の流れ低回(俗世間の煩わしい物事を

避け)
を去るのも能わざるものあらむ。

 世の学校に学ぶ者は多し。然(しか)れども諸君は彼らとは学ぶ目的を異にする。

 彼らの多くは立身出此の為に学校を選びて入る。だから彼らは知識を弘め技術を修め

るといえども、これをもって人を排し(排斥、じやまな人を押しのける)己を迷げる

 (自分を成功させる)たくましい者は功を立てて名を誇るが、其の劣れる者は終身犬

馬を相去る幾何(数量・一生涯犬や馬のような地位から抜け出る人の数)もなし。













 諸君は来るや初めより所謂(いうとごろの)立身出世の為に非(あたら)ず。

 倫身・斎家〔自分を修め・一家をととめえおさめる〕に出て、窃(ひそか)に冶郷・

護国を期す。これをもって遂ぐぺき己なく、排すべき人はなし。

 学問は安心立命(天命を悟り、心を安らかにしてなやまない)の為に開物成務

 (世の中の人知を開発し、それによって世の中の事業を成し遂げる。「開成」「開務」

ともいう.‘易学より’)の為にする。

 造化(むぞうさに、物質をよせあわせ万物をつくりだす・また自然を支配する道理)

に参じ、道妙(道理の不思議な機縁)を楽しむ。実に先哲の達意なり.

 器の大小・才の利鈍は敢えて憂いるに非ず。ただ身の修らず、世の安んぜざるを是れ

を愁う。箇の心を尽くば、大地一不朽(非常にすぐれて永遠に亡ぴない)なり。

 願わくば、ごれより世間の有名・無名の人に伍(ご・仲間になって)して、復(ま)た

感うことなかれ。

 古今東西の学者学説を羅列(られつ・網の目のようにつらなり並ぺ)批判して愚夫愚

婦を導く事は難しい事である。             j・.
 
 欧州米国の文明・文化を嘲笑罵倒(あざけ笑い、ののしる)して、北狄〔中国北方地

方にすむ民族〕南蛮(南力の野蛮人・タ・イ、ジヤワ、ルソン等)を支服(支配し従属)

するような事は、諸君の倫理学・政治学にあたらず。













 諸君の孝行は一学の愚夫愚婦をも化し(人格や教育によって接する人の心や生括ぷりを

かえる「感化」「徳化」)し、蛮狼(野個人で冷酷で欲深いもの)にも行わせるにある.

 人爵(人から与えられた位・名誉)を求めず天爵(天から授かった爵位・白然に備わ

った人徳のこと有天爵者、有人爵者“孟子・告上から’天爵遊宥り、人爵つまり社会的

地位や名誉有り)を楽しむとごろにある。

これは諸君は、底(すで)に知る所である。
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