まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

いまだ通称、自称がわく、安岡正篤の弟子という類   10  2/28再

2013-08-16 08:49:35 | Weblog
少々乱暴だが、どうでもいい輩の金屏風である。

『゛あの人は弟子です゛などという教師は、学もなく門だけだというようなもの・・』

親が喝破すれば

『父は単なる教育者。浮俗のエピソードを知っても己を知るという学問の到達にはならない』

と、長男の正明氏は言明する


それでも、雨後の筍の如く弟子が量産される。

また正明氏は『学問に世襲も遺伝もない。安岡の縁者だとしてもその言の趣を深く配慮すべきだ。かつ商業出版の兵糧となっても功利的な思惑はいだくことなく、無名であっても社会に有為な人物を発掘し、その価値を広めつなげることが本意である』と。


世に安岡詣というものがあった。
政治家、財界人、官界、あるいは侠客、思想家、浪人など多くの徒が訪れた。事務所は秘書役が玄関番であり、自宅は長男の妻が務めた。

言葉をもらった、謦咳に接した、御尊顔を拝した、などへんてこな美辞が発せられたが、妻は『あなたの弟子と称する人は有名人が多いけれど下半身が・・・』と。
そんなときは御大は押し黙って苦笑いしていた。

夕食時にテレビニュースや時代劇が好きだった御大と御長男が食事がてらに観ていると、
『食事のときぐらいテレビを観ないほうが・・』とスイッチを切られてしまった。
それでも黙々と食事をしている御大と御長男だった。
堀田から土佐の安岡へ、妻の実家の伯母は子供のころ「リョウメ(龍馬)」と遊んでいた。
剛毅な妻である。どこか学者はつよい女性に惹かれるし、弱いようだ。





                 





安岡氏は「素行自得」ということを説いてくれた
素はモトであるが、近頃は素餐をむさぼる人間が多くなったと・・
良くも悪くも、みずから、おのずから、得心することだ。


ことに根本を知らずして氏の古典を活用する言辞を挨拶代わりのマニュアル借用したり、‘安岡先生はこう言った‘とか、サラリーマン社長が社員に配布するその手の雑誌を読めば学問したり、人間が出来上がるようなアンチョコ知学が流行っている。
それらには縁者を監修者として箔付けし、遺伝も世襲もないという学問を名跡の如く扱っている。


小人の学、利にすすむ  ≪大人は義に・・・≫
          

利は智を昏からしむ ≪義は自らの徳を明らかにする・・≫


小人、利に集い、利薄ければ散ず ≪大丈夫は義に集う・・≫




まさにその形容を地でいっている徒の群れである。

それらの媒体の主催者は自らのデビューのために企業人を表紙に使い、弟子と詐称する輩を対談相手として提灯言辞を恥ずかしげもなく表している。しかも雑誌を機関として営利事業の便宜を依頼したり、はたまた脱税で世間を騒がすものもいる。


これを彼等は「人脈」と称している。



『父は弟子と広言したり称するものはいなかった』




              

               安岡正明氏




あるとき氏を中心とした師友会を選挙の推薦を頼みに来た代議士がいた。(某元文相)
あの民主党の渡部恒三氏も、゛当時は神様みたいな方で緊張してお話を聴いていた゛とエピソードを述べているが、選挙の推薦とは思いついたものだ。その時こう応えている。

『師友会は皆さんの学びの機会であり場です。政治には馴染まない学徒の場です。自分にその権限はありません』と、いまどきの学者の学徒支配など微塵もなかった。

゛弟子゛聴き様によっては金看板にもなるだろうが、受けを狙ってついでに名利を得るやからが多いようだ。そんなものに限って晩節の色ハナシを種に陰口を叩き、あげつらうのもその手の、゛弟子゛の特徴であるがほとぼりが冷めたり、色ハナシの相手が有名になると便乗して名目弟子に舞い戻るのである。

気概も魂も乏しい群れではあるが、弟子が集合して法螺話や嘘話を大々的にできないだろうか考えてみたくもなる。

直弟子、最後の弟子、最も近い弟子、と数多だが、愚弟のみで賢弟見当たらず、却って安岡氏の掲げる人間学の最適な標本のように観えるのだが・・・・
コメント
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