まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

11月17日の産経新聞 一面の二稿

2012-11-17 12:38:10 | Weblog
       陸 羯南



さぞかし書きなぐっている両氏は気分がいいだろう。それを溜飲をさげるというらしいが、彼らの心底に溜っていたものはそんなものだったのだろうか・・・

無署名の産経抄の書き手は記者からも元老と尊称されていた石井英夫氏だった。あの新潮の「ヤンデンマン」も江国滋氏やK記者の筆と聴く。仮名もあり無記名もある世界だ。
その石井氏が降りるときは産経抄も日ごと稿の味わいが日替わり朝食のごとく変わったが、しばらくすると収斂されたのか、あるいは受験の数値選別のように落ち着いたが、稿は薫りなく時に鎮考を呼ばなくなった。読者に合わせた記事なのか、どこの商業新聞も瀟洒な館を建てた頃から、どこか弛んできた。

11月17日の上は政治部長、下は紙面を貫く座標であった産経抄だが、そろって気分よく書いている。この手の文はさして刻を要することなく書けるものだが、それも「池に落ちた犬・・」のたとえある隣国への同化症状のようにみえる。

「吾が身をつねって人の痛さを知る」とは我が国の情操だが、騒を顧みて鎮考をうながすことでもある。
標題に「素人政治はもう見飽きた」とあるが、陸羯南は何というだろうか。都合のいい時は「国民目線で・・・」と案山子記事を書くが、まだ官を恐れない田村氏の経済義文のほうが国民の心底を和ませる。

筆者は愛読者ではなく謹読者を自認するが、このところ産経は座標がおぼろげになり、巷にはやる大企業病とかに陥っているのではないかと憂慮する。たしかに数値評価を得るために部数も気になるところだが、もとより産経の置く位置に読者はそのような構成を望んではいない。







ペンは剣より剛とはいうが、「礼」は武が勝っている





以前、このブログで門脇護こと門田隆将と湯浅博氏を取り上げた。
「湯浅は辰巳栄一を、門田は根本を・・・」という拙稿だ。
週刊新潮の副部長として多岐にわたる健筆をふるった退社追い出しの宴・?に多くの関係者が悦んで参集した。゛咬まれる゛という危惧が遠のいた安心もあるだろうが、そのぐらいに火を噴くような論点は知人友人だろうが、おかまいなしの溢れる熱情があった。

東京特派員と称して産経紙上に掲載される湯浅氏の薫るようなコラムも手に触れる新聞紙なりの独悦なり鎮考を導いてくれる。ネットやデジタルの便利さと安易さを謳う浮俗にあって紙に触れてページをめくることの意味を熟知している新聞記者のいまでは稀な姿だ。

それは学び舎の教師のように受益者負担のボランティア意識が為せることだろう。
また、90分授業の緊張は15分、何年もかけて修得した知識を語れば15分で充分だが、そのほかの75分が慎重かつ15分を活かす重要な時だと老練な教育者はいう。

当ブログの前コラムでは新聞の一面は終面末尾までを貫く意志だと記した。スタンド販売を気にかけているのか大文字標題構成も購入者の目を引き付けるかのように品の無い撰文をしている。
たしかに選挙記事は国民の熱気をさらに煽ることを旨としているが、あとは予想屋に堕して数値結果を高邁な大義を使い目線を高め、公器ある言論人を装うのが倣いであり、脱することのできない第四権力のカオスに陥っている。
彼らはそれを安住の砦として、さもしいおもいもある。

それは彼らと同質な官界の住人との同衾のような姿を見せ、百も承知な読者を罵詈雑言と偽報が飛び交うネットに追いやっている。智慧が無いのか後追いでネット参入し、販売部数を上げるために子供市場にもその食指を働かせている。どこかで止めなければという謹読者も多いが、瀟洒な新築館の元老院には届くことは無い。

羯南は部数を競わなかった。おなじ職を食む同業者にも言を発した。
何よりも人物を得ることに労を費やした。正岡子規、長谷川如是閑ら多くの変人異人を採用し国民の情緒涵養に新聞の意志を顕した。
女給と教員の関係を教育の一大事と書けば、「薄給の教員が女給と問題があったとして教育の大問題と騒ぐことは・・」と、記者の事大主義を諭している。
つまり、江戸の瓦版屋ではないと叱責したのだ。だから東大の前身法学校に入学しても賄い問題もあったが「数値選別で人間が出来上がるか」と退校している。
その観人則は社員の資質を学校歴、出自、経歴では選ばず、独特な人物観で社内構成している。







書きものは読み方も大切だ   安岡正篤 氏




深夜、門脇氏と産経社会部長が来訪したことがある。
「新潮は完結主義で少人数、あんたのところは60人も抱えてどうなっているのか」
忌憚のない仲間ゆえだが、
「若い記者は機転も利かなく、上はなかなか変化が無く・・」
「記事は問題を発見したら自身で取材して,自署記事を書き掲載して責任を追う、勇み足があっても上司は真意を汲み取り支えなければ記者は育たない」

思い余って言葉を挿した
「それぞれ特徴があり、存在もある。ともあれ倣いとするべきは伊藤(博文)をたじろがせるような陸羯南だ。くれぐれも売文の輩、言論貴族になってはならない。それらは国家の病巣だ。本来はそれをえぐるのが新聞人だ。それが無ければ文化欄など形式美装でしかない」

湯浅氏の理解者は社会部当時、子供が年寄りを暴行した事件としては細事に思われていた新聞で一大キャンペーンをはった樫山氏だ。かれは細事を社会道徳崩壊の前兆と読み取った稀有な新聞人である。丸の内署の署長は逮捕までは鬼だったが、逮捕後、毎日留置場に通って声をかけている。榮進して警備に偏重していた警察組織を民生に転化することに腐心した。皇居を眼前におく丸の内署の署長室でこの事件の行く末を案じていた筆者と彼らの真摯な取り組みは今でも蘇る。その樫山氏は特派員を経て外信部長になった。

ある日、「この記事は誰が・・」との問いに、湯浅博さんですと応える案内職員の言葉に、さもあらんと、その先見と至情をにじませた賢文に望みを託した覚えがある。

「贔屓の引き倒し」とはいうが、固有名詞を上げて当然な感想を受け入れる土壌はまだあると期待する。門脇、湯浅両氏は近代史の岐路に活躍した人物、無名で有力な人物を探し求め、肌を接し、声を聴き、気を通じ隠れた秘話を綴った。
両氏は、人物を探り、その時代に浸透し、人格を倣うことを読者に教えている。
とくに、彼らのあとを追う若い記者に無言の業を示している。







子供でさえ議会マナーも言論を知っている  弘前こども議会 葛西市長




それにつけても、である。
11月17日の記事を読みながら、著者は観られていることを知らなくてはならない。
視ながら、観られているのである。
事実、真実をこの様な切り口で、解りやすく、納得し易く書く、それが新聞だと反論されるだろう。かつ数万人の一人の異論と聴くだろう。
ただ、易きに流れる観点は往々にして怨嗟のガス抜きには適当だが、居酒屋話の論調は男子の鎮考を妨げるのではないかと憂慮する。

なぜなら、独立した人間の応答を新聞人も知りたいはずだ。それが流行りのデジタル双方向情報だからだ。

易き記事に沿う読者もサービスだとしても、易しい、より人を憂う「優しさ」ある邦人のあるべき矜持を添えた直言が観たいと謹読者はおもうのである。
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