まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

対談録「荻窪酔譚」 抜粋其の四

2010-02-13 17:36:14 | Weblog
第一宵 四坐 其一刻

S : 張 学良が西安で蒋 介石を監禁した時も、満州事変が勃発して排日運動が起きた
時も、蒋 介石は排日運動を禁止して在るのだよね。 日本の為、満州の為。 (と、
寳田が持参した土産物を摘まんで) 之、頂きます。 或のウイスキーだったら有る
のです。

S : 本届きました、五冊ばかり。【佐藤慎一郎選集】

T : 後でうちの方にも送って来ます。

S : 結局、寳田さんが活字にしてくれたやつだけ、整理して提す。

M : (持参した土産物を見て) 食べられるかしら?

T : 大丈夫、(中身は) 餡子。 私等二十冊ばかり (送って) 来ます。 個人では無く会
として。 (資料の写真を観て) 先生好い男ですね、若いですよ。 何時の頃ですか?

S : 其れ、今年撮ったのです (笑)。

T : 此ンなには太っては在無いですよ、修正したのかな (笑)?

M : 余り似て無いわよ (笑)。






           

   叔父 山田純三郎 孫文



突然・・・

S : アメリカに居った孫文から上海に居った伯父 (山田 純三郎) に連絡があって
「大平洋を渡って中国へ行きたい。 其の方が早いから」、と。
犬養さんも外務省に交渉してくれたのだけれども、絶対に駄目と拒否されてね。 結局日本を通過出来ずに、大西洋廻りで香港へ着いた。 宮崎 滔天と伯父が一緒に迎えに行った。

T : ○○さん、先生の事を余りご存知では無かったと思いますが、佐藤先生を安岡先生の様に、世俗の中で日の当たる所に出してやりたい様です。
然し、所謂学んだ事をやって行く志を教えてくれるのが学問であって、佐藤先生をマスコット的な存在にしても、志の学問には為ら無いです。
和田さんは解っている。 其れ以外の人は僕を変わり者に観ている。 そっと守るべきものを大勢の前に出しても、解ら無い人はマスコット的に観るだけです。
志の学問は曾うでは無いですよ。
国際問題研究所の問題に即いても、僕等が何年も懸けて勉強しますから、と云った訳です。

S : 之、建国大学の坂東さん、一生懸命やってくれた。 是の本に日本代表の講師が酷
い事を謂っているので、僕が直したのだ。 終戦後、ロシアの暴行が酷いから、日
本人は右往左往するし、日本の偉い奴は直ぐに逃げるし。 関東軍は一番先に逃げ
たね (苦笑)。 総参謀長の処に行ったら、カジ園さんが連れて来た横山が在てね、
公使が 「八月十五日迄は公使でしたが、今は関係有りません」、と謂ったら横山が
「ブッコロシテヤル」、と凄い剣幕だった。

T : (コップが空いたので) 一杯って云うのは失礼、もう少し呑もう。





                          





S : カジ園が来て、其の事を話してくれた。 景気が悪いと必ず来るのだ。 鮫の
脂の薬、持って来たよ。

T : (思い出して) 深海鮫の人ね。

S : 終戦後、軍人で働いたのは或れ独りだ。 奥さんは朝鮮人で、彼も戸籍が無いのだ。

T : カジ園さんも朝鮮の人でしたね? 憲兵の仕事で、共和会会員に成って情報を採
っていたとか。 此の前、CIAのソ連担当部長が捕まったのですよ。 仲間を売っ
たりして大変な情報が流れたらしい。 (其の点) 日本人は頓珍漢ですよ、今の世の
中解ら無いですよ。

S : 食べると、直ぐに忘れる (苦笑)。

T :   此の間、伊藤さん・和田さんともう一人の満州から帰って来た人と会いました。 僕は戦後生まれで、組織人では無い。 不躾で失礼だけれども、今自分が想っている事を堂々と何でも云う。皆さんは組織の人だから、彼等から観ると僕の事は希有に観えるらしい。
最後にビア・ホールに行った時、伊藤さん (ブリヂストンの経理部長) から 「厭ぁ、吃驚した。 あなたは人を裸にする。 あんたと喋っていると此方もしゃべってしまう」、と謂われてしまった。
今度、東亜関係協会で講演をする時、和田さんも来るって謂っていました。 明日、
紀さんと代表に会いますから、 其の時に之を其の侭、紀さんにお渡しします。
明日十時に、白金の台北駐日経済文化代表処でお会いします。

S : 僕は能く知って在るけれども、出席出来無いのだ。 皆、寳田さんが活字にしてく
れた。 日本人の講師の名前を消したり、中国人の名前を換えたりしてね。 未だ生
きている人ばかりだから。 之一冊で勘弁して欲しい。

T : ファン・クラブみたいです。 伝記を描きたい (と要望している) 人が在ますが、(先
生は) 大切な人だから能く考えて提して下さい、と云ったのです。

S : 僕の誕生日に間に併せると謂って、五冊だけ送って来た。 此処も正直に書けば善
いのだけれども、ココからココまで四年位役所に全く出無かった。 確かに辞令は
其う貰ったのだけれども、役所に出た事が無い。






             

       津軽 ヨシ人形




なれそめ・・・

T : 上市川尋常小学校勤務の時奥さんに逢ったのですか、綺麗だったのだろうね (笑)?

M : ドウイタシマシテ (笑)。

T : 朝陽小学校(弘前)の時は未だ結婚されてはいませんね。

S : 小学校の先生を一年で二回頸に為った (笑)。 其れで二十六才の時満州へ。 満州
で女性間違いをして自殺を図ったが (苦笑)、姉の夫が旅順長官で偉い奴でね。 新
聞に載るのが判っていたから、お詫びに行ったら
 「其ンな事何でも無いよ、北京に留学して勉強しなさい」
 と謂われガクッと来たのだ。 友達と酒を飲んでから死ぬ積りだった。

M : 何したの (笑)?

S : 女と間違ったの (苦笑) !

M : 誰、其れ (笑)?

S : 竹内の義兄さん、旅順の民政庁長官。

T : 今度、大連へ旅行するのです。 僕は観光地には行か無いで、小学校・食堂・飲み屋
等一般人の行く処を観て廻ります。

M : 田舎の先生て、何か変よね (笑)?

S : 校長の奥さんがコレを嫌った。

M : 女性の先生は校長の奥さん (と私) だけだったのよ。

T : 焼き餅焼きなのですよ (笑)。

M : 変な事した事は無いわよ、手すらも握った事無いものね (笑)。

T : 肩、組んだのでは無いの (笑) ?

M : 咄しは能くしたわ (大笑)。







整理整頓 物を大切に・・ 角が丸まった木製積み木  弘前養生幼稚園





S : (話しが変わって) 中学校を出た其の日 (三月二十日頃)、弘前から其の侭家出した。
一銭の金も無し、塵紙も無し、オーバーも着無いで、途中知ら無い家で飯を貰った
りして80キロメートル離れた優しい叔母 (伯母?) の家へ行った。

T : 先生の若い頃は純三郎さんに似ている。 所謂、身体は弱いし勉強はし無いし (笑)。
処が其う謂う人が良政先生の遺を継ぐとは、世の中解ら無いものです。 矢っ張り
学問ですとか教育ですとか、環境のお蔭ですね。

S : 事情を知ら無いで新しく嫁いだ叔母さんの家に行ってしまい 「泊めて下さい」、と。
良い蒲団に寝かせてくれて、其の日いきなり寝小便をしてしまった。

―――〈一同大笑〉―――







                  

      桂林



第一宵 四坐 其二刻


T : 自分が影響を受けたお話しの中で、お父さんが出て来ませんね。 烏帽子親子と云
って寝食を伴にして在るから、自分が悩んでも親には云い辛い。 女性の事で当か親
には相談出来無いし。 影響を受けるのは他人や祖父など。 安岡 正明先生から謂
われたけれども 〝父から教わった事は無い〟 と。

S : 親父の顔を見たら畏くて駄目だった。 兎に角も僕の人生、訳が判ら無いよ。 若
くして志を立てて満州へ行った事に為っているのだが・・・

T : 矢っ張り伯父さんですか?

S : 嗚呼、菊池 九郎の事ね。 不言の教えを矢っ張り享けているのだね。 毎晩小便を
垂れても一度も叱った事は無い。
勉強が嫌いで身体が弱いから
「牧場で働け、身体が強く為るから」、と其れだけ覚えている。
優しい叔母さんの家へ行ってから牧 場で働いた。
 二時間位で目眩してフラフラ。 其れが一日一杯働ける様に為って小便も治った (笑)。

そして一年で小学校の先生に成れる師範学校の二部に入り、三人で下宿した。
其の家では村上と女の事で競争して、其の翌日に女の子にキスをしたのだ。
「ザマぁ見ろ」
と威張っていたところ、夜 (下宿先の) お母さんが来たから為替でも届いたのかと思って会ったら叱られて、下宿を出て去ってしまっ た (笑)。
そして呉服屋でバイトを執り、毎晩呑みに行くのだけれども、キリスト教の影響で僕だけ呑ま無いで、帰りにラムネを一本飲まされた。 酔っ払って在無いから、何時も僕だけ叱られる。
親父は県会議員で偉いのだから。 其れで弘前へ行けると思ったら、八戸の山奥に遷られた。 赴任して校長から
「押う、当到来ましたか (笑) !」、と謂われ吃驚仰天したよ。

T : 相当のワルでしたね (笑)。

S : 教頭の若林が
「校長の噺し、解ったのか?」
と訊くので、
「サッパリ解りません」、
と答えると、
「師範学校を卒たのが一人欲しかったのだが、〝佐藤 慎一郎だけは要らぬ〟、と校長は謂っていた」
と説明してくれた。

僕は生徒が好きでね、遊んで ばかりいた。
校長に会いに行っても居無い、其れで職員室をブッ壊した (笑)。
其れから弘前へ栄転 (左遷?) に為って、九月に赴任したら、十二月に校長から 「君は、教師似合わ無いよ」、と謂われた (笑)。




               





其れで旅順の姉に手紙を出した。
姉の夫・竹内 徳亥は、旅順の民政庁長官だから頼んだ。 すると 「支那人の学校なら 臭くて汚くて誰も行か無いから、其処なら有る」、と返事が来たので僕は、水師営コウ学堂 (小学校) へ勤めたのです。
僕は五年生の算術が解らから無いから、生徒とは遊んでばかりいる (苦笑)。





                  

                  桂林



T : 奥さんは何を教えていたのですか?

S : コレは八戸の高等女学校を卒ているから全教科教えるのだ。 代用教員で来た。 僕
とコレに有らぬ噂が起って、二人共頸に為った。 生徒に大八車を牽いて来させて、
其れに荷物を載せて、八戸の実家迄送って行ったのだ。

T : 要するに、今の週刊誌と同じで流言を起てられたのだ。

S : 僕は旅順で女性と間違ったお蔭で、コレと一緒に為れた。

T : 先生、〝役所に出て来無くて良い〟 と謂うのは?

S : 僕の様に中国語が出来る奴や中国人社会に浸った奴は少無かったから、何処の役
所でも欲しい訳です。 だから役所から正式に 〝来てくれ〟 と謂われる迄は自由
にして良いが、但し居場所だけは絡えてくれ、と。

T : すると植民地政策は暗中模索?

S : もう滅っ茶苦茶、訳が分からぬ (苦笑) ! 例えば裁判を執るでしょう、身代わり
で裁判をしてそして死刑だ。 僕が調べて随分と救って上げた。

T : 矢っ張り日本人の感覚では理解出来無い。 中国人の感覚では有難迷惑、羅 ケン
パクさんみたいだ。

S : 中国人は調査官の僕を危無いと観た。 大観園 (ハルピンの魔窟) のケースでも大
蔵省の役人を連れて来てね。 日本人の役所は肩書きで調査が出来ると思い上がっ
ている。 日本人の感覚、莫迦だよ。

T : 其の意味で 〝陋規〟 と 〝清規〟 が在りますね。 満州国政府は総て清規で行こ
うと謂う事で庶民が治まら無い。 役人が賄賂を摂れ無いから痩せてしまった。

S : 朝から晩迄 〝賄賂〟。 中国人は賄賂とは謂わず 〝人情を贈る〟 と謂う。

T : 台湾の大学の先生が 「是、日本から教わった。 此れを忘れてはいけない」、
と生徒に教えているそうです。 今度此の人に会って来ようと思います。

S : (話しが変わって) 最近の日本の新聞は否だね。

T : 最近は台湾関係が気に為ってね、何か有ると全部新聞切り抜きをして在ます。





                





S : (更に話しが変わって) コレ (奥方) 疲れるとね、夜中にガス栓を抜いたりね。 今
年に入って (もう) 四回。 僕はガスの止め方が分から無いから心配で…… (苦笑)。

T : でもコックは必ず閉めてお休みに為るのでしょう?

S : 僕は歩いて牛乳とパンを買いに行くのに五分懸かる。 其の間に栓を抜いてしまう
の。

M : ガス (栓) 抜いたの? 私が?

S : おまえが (苦笑) !

T : 夜は止めないと駄目ですね、何かカバーをしましょうか?

M : では、私も弄ら無いことにしましょう。

T : (ガスの周りを観て) えぇと、大丈夫。 抜いても出無い。 危険防止装置が附いてい
ます。

S : 抜いても出無いのですか。 其れは有り難い、安心した安心した。

● 第一宵 四坐/了 ●
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