まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

未だ木鶏に至らず

2007-07-03 17:16:17 | Weblog



当時、69連勝していた横綱双葉山は敗れたとき、外遊中だった安岡正篤氏に電報を打電している。

「いまだ、木鶏に至らず」

それは、負けたことに執着せず、逆に、騒がず、うろたえず、無闇に競わず、勝った負けた、あるいは言い負かしたと言っても、すべて自分の至らなさだと双葉山は悟ったのです。それは勝った相手に対する譲る心が無くてはできないことです。

「木鶏」とは中国の逸話ですが、左甚五郎が彫った日光陽明門の猫の逸話と同様、木で造った鳥のように落ち着いて、それでいて人が尊敬し、時には畏れられる人物にならなければならないということです。

おろかな人を責めるより、そうされないような人格と落ち着きを養う、その修養が足りなかったと、自分自身の至らなさを自覚すれば「未だ、木鶏に至らず」と応用できます。(至らない・・・成り得ない・たりえない)

名横綱として相撲界に名を残した双葉山の精神修養は、もう一歩、高いところにおいていました。

あわてず、騒がず、誇らず、金銭に執着せず、つねに落ち着いた行動を心がけたいものです
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