1977年中学3年生のときパンクロックに痺れて以来フォークやニューミュージックは天敵のように毛嫌いしてきた。地下音楽やノイズを掘り出してからは、フォークの中にアンダーグラウンドな香りを持つ浅川マキ、森田童子、三上寛、遠藤賢司、あがた森魚などを聴くことはあるが、依然として昭和の一時代を風靡したフォークやシンガーソングライターは聴かないまま平成も30年近くが過ぎた。
ところが平成30年2月半ばにSpotifyのオートプレイで流れてきた女性の歌声に仕事の手が止まった。歌はうまいが何処か生々しく感情のゆらぎが声に表れてしまっている。片腕がないとか片足がないとか今なら放送自粛の歌詞。フォークギターの伴奏が浮遊感を誘う。山崎ハコだった。どことなく浮かない表情で写るジャケット写真が気にはなっていたが、メジャーな存在なのでスルーしていた。Spotifyでいろいろなアルバムを聴くうちに他にもいい感じのフォークシンガーやグループを見つけた。全部が全部いいとは限らないが、今まで聴かず嫌いしていたお陰で”すべてが新曲”のような宝の山を掘る気分。この辺のレコードは中古レコード店の安売りコーナーでよく見かけるので入手も簡単。さっそく何枚か買い込んできてターンテーブルに乗せて聴いている。
●山崎ハコ
山崎 ハコ (やまさき はこ、1957年5月18日 - ) は、日本の歌手、シンガーソングライター、女優、文筆家。本名、安田 初子(やすだ はつこ、旧姓・山崎)。
2000年代初頭に話題になったギャグ漫画『魁!!クロマティ高校』で主人公が結成したバンドのメンバー全員がファンだったというネタで使われていた山崎ハコは、すなわち暗い歌の代表のように扱われる存在。10代〜20代で時代の影を歌い尽くした彼女の人生は波瀾万丈だったといわれる。そんなストーリーは知らなくても暗い表情のジャケ写を見れば幸せと言う字は辛いという字に似ていることを思い出すだろう。6thアルバム『歩いて』は同期の石黒ケイや中島みゆきも参加して、フォークとニューミュージックの中間のバランスがとれた作風の作品。
山崎ハコ ♪望郷
●佐藤公彦(ケメ)
佐藤 公彦(さとう きみひこ、1952年1月9日 - 2017年6月24日)は、1970年代初期から中期に活動した日本のシンガーソングライター。東京都大田区生まれ。中央大学中退。
キノコホテルのギタリスト、イザベル=ケメ鴨川の名前の元ネタの「KEME(ケメ)」という愛称で知られアイドル的人気を誇った。女の子っぽいルックスとキャンディのように甘いヴォーカルはジャニーズ所属だとしても不思議はない。アルバムによっては聴くだけで恥ずかしい台詞入だったりするが、アメリカ滞在から帰国してレコーディングされた5thアスバム『片便り−落葉に綴る』(74)はまるでサニーデイ・サービスなフォーキーロックをたっぷり収録した佳作。曽我部恵一はケメをパクっていたのは間違いない。
メリーゴーランド/佐藤公彦
●ガロ(GARO)
ガロ(GARO)は、1970年から1976年まで活動した日本のフォークロックグループ。メンバーは堀内護(MARK)、日高富明(TOMMY)、大野真澄(VOCAL)。
73年に大ヒットした「学生街の喫茶店」は小学4年生の筆者の通学時の愛唱歌だった。マイナーなメロディが心に滲みた。歌詞に出てくる”ボブ・ディラン”を”僕要らん”だと勘違いしていたことは以前書いた。そんなノスタルジアしかなかったが、後期のアルバムではビートルズや10CCの影響を受けたモダンポップを展開しており、浮遊感のあるコーラスワークはサイケ/アシッド文脈でも評価できるのではなかろうか。
ガロ - 学生街の喫茶店
●五つの赤い風船
五つの赤い風船(いつつのあかいふうせん)は、日本のフォーク黎明期に現れたフォークグループ。1967年結成、1972年解散。
かなり時代は遡るが、グループサウンズからカレッジフォークの移行期に登場した彼らのバンド名を英語表記『Five Red Baloons』にしたらドリーミーなサイケデリックバンドに思えないだろうか。そう思って聴くと、ただの学生フォークが葉っぱの臭い漂うアシッドフォークに聴こえてくるからあら不思議。紅一点藤原秀子の存在をヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコに譬えてたい。聴き手の妄想力次第で如何様にも楽しめる見本である。
「遠い世界に」五つの赤い風船
堕天使は
堕ちたフォークの
先の塵
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