昨日サディ・サッズのことを書いていたら他のバンドの記憶が蘇ってきた。「昔は良かった」という年寄りの繰り言のように思われるかもしれないが記憶が風化しないうちに記しておきたい。
アレルギーは1981~1985年に活動したポスト・パンク・バンドである。1983年にCity Rocker RecordsからLP「アレルギー作用」をリリースしDOLLや宝島で取り上げられ「時の葬列」にも参加し話題になっていた。私は当然存在は知っていたが音に接する機会は無かった。
当時渋谷ラママや吉祥寺ぎゃていに出演していた私のユニットOTHER ROOMの片割れのギタリスト高島君が高円寺に住んでいて、DOLLのバーでアレルギーのベースのU子さんと知り合い「U子さんがアレルギーとは別のバンドをやりたがっている」とのことで実験的に私のサックスと高島君のギター、U子さんのベースとアレルギーのドラマー(たぶん荒木康弘氏)の4人で高円寺のスタジオでセッションを行うことになった。U子さんは雑誌の写真通りの黒装束で現れたがとても気立てが良く、ちょっとトンがったパンク少女という印象だった。
事前に「こういう風にしたい」とか打ち合わせをしていれば対応の仕様もあっただろうが、それもなくいきなりの音出しである。OTHER ROOMはいつも安物のリズムボックスのチャカポコいう音に合わせて即興演奏していたから、アレルギーのリズム・セクションのハードな8ビートに全く馴染めなかった。私は決まったフレーズを吹けばいいのか普段のように出鱈目なフリージャズもどきをやればいいのか、最後まで判断がつかなかった。高島君はそこそこ合わせていたようだが、余りに直線的なロックビートを繰り返すアレルギーの二人も何をやりたいのか分かっていなかったに違いない。結局噛み合ぬまま2時間演奏してお互い無言のままスタジオを後にした。
私の思い出というのはただ単にこの2時間限りである。何の後日談も無し。暫くしてU子さんが亡くなったことを風の噂で知った。アレルギーはとっくに解散しており、ヴォーカルの宙也氏がDe-LAXで人気を博していた頃だった。
昨年のフェスティバルFUKUSHIMAにDe-LAXが出演、今年2月には新宿ロフトで宙也氏の50歳記念ライヴ開催と1983年の蔵出ライヴCDリリースと再評価される中、私の脳裏には上手く行かなかったセッションのことがぼんやりと思い出されるだけである。
不安なアタマ〜COSMIC RAY アレルギー on TV
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もうひとつバンドを思い出した。しょうもない昔話だが、あと一回だけお付き合い願いたい(続く)。
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