A Challenge To Fate

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【和ジャズよ、自由が巴里の日だ】加古隆/高木元輝/沖至/富樫雅彦/豊住芳三郎

2015年06月12日 01時43分36秒 | 素晴らしき変態音楽


70年代に局地的に吹き荒れた日本のフリージャズの活動の場は、新宿ピットイン二階の楽器置き場を改造したニュージャズホールや、渋谷シアタースナック『プルチネラ」や明大前『キッドアイラックホール』、初台『騒』、荻窪『アケタの店』、八王子『アローン』などの都内の小ホールだったことは間違いないが、それに次ぐ聖地が仏蘭西の巴里だったことに言及した評論やメディアにはお目にかかったことが無い。



フリーだろうが無かろうが、ジャズに一家言ある先生や諸先輩が何も語らないということは、いくら筆者のような落ちこぼれの愛好家(アマチュア)/マニア/フェチ/ヲタ/偏執狂が今更何をほざいた所で出来上がった歴史を覆すことは不可能であることは、覆水盆に帰らずの諺の通り、緋を見るよりも明らかである。



そうはおっしゃいましても私としても物言わぬは腹膨るる業なり、と申します通り、覆水と腹水を秤にかけて導きだした結論は、元々ヤサグレブロガーが何を言っても自分の勝手、こんなブログを読む物好きな皆様に無様な姿をお届けするのが我が願い。目にもの見せてくれようなどと穿ったことは露程にも考えておりません。



1962年にジャズの新しい形を求めた高柳昌行を中心に旗揚げされた「新世紀音楽研究所」の活動拠点が銀座ヤマハの裏にあったシャンソン酒場『銀巴里』。日本自由ジャズは始まりから仏蘭西国旗のトリコロールに縁取られていた。高柳、富樫雅彦、菊地雅章、山下洋輔、豊住芳三郎など、のちの自由ジャズ闘士が揃ったシルバーパリス(銀巴里)で束縛から解き放たれた音響が空気を満たした。



パリは60年代にニューヨークを中心に勃発した「ジャズの十月革命」お担い手たちが、反動保守に逆転された故国を離れて移り住んだり、思いのままのブレない無軌道演奏を一般市民に披露するため屡々訪れたコスモポリタンシティ。地元のミュージシャンも米国極端音楽に親しみ、BYGレーベルを立ち上げ、亜米利加では発売できないヤヴァい音源を次々世に送り出した。



サルトル、ヴォーヴォワール、ロートレアモン、アポリネール、アルトー、セリーヌなど、反体制派やボヘミアンを惹き付ける思想や文学関係者も多く排出するこの街に魅せられるのは、何もファションデザイナーやファッションモデルやファッションフォトグラファーだけではない。現代音楽、電子音楽、ミュージック・コンクレート、変態ジャズや気狂いジャズを極めるために多くの音楽家も夢に見る憧れの地が花の巴里であった。



1971年7月、フランス政府給費留学生として渡仏した加古隆というメガネの芸大出ピアニストが、オリビエ・メシアンに師事しながら、彼の地の自由ジャズの魅力の虜になった。先に日本を飛び出し世界を渡り歩いていた豊住芳三郎(ds)と意気投合しバンドに加入。同時に欧米ジャズメンのサイドマンとして頭角を現し、やはり巴里に来た高木元輝(ts)や富樫雅彦(ds)、遅れて70年代半ば渡仏した沖至(tp)等と共演。日本自由ジャズ史に残る数々のアルバムを発表した。加古が80年に帰国するまで、10年に満たない間、日本のフリージャズの流れは花の都パリにて育てられたと言っても過言ではなかろう。

自由ジャズ
パリを燃やして
巴里で萌え



 



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