A Challenge To Fate

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憂歌を巡る秋口の追憶 Part 2~ブルースはセイシュンである。

2013年09月08日 01時33分02秒 | 素晴らしき変態音楽


涼しさが増す初秋の夜、憂歌を巡る追想は留まることがない。音楽の歴史を紐解く内に、自分にとってブルースとは血と汗と涙であることを思い知った。Player誌で吾妻光良の連載を真に受け、入手困難なエルモア・ジェイムスやロバート・ジョンソンのレコードを苦労して手に入れ、劣悪な録音にもめげずコピったり、ジョニー・ウィンターの師匠がマディ・ウォーターズだと知り、とぼけたマディの写真を壁に飾った高校時代。ペンタ君はブルース循環カオスに絡めとられてしまった。



「生きながらブルースに葬られ(Buried Alive In The Blues)」という曲がジャニス・ジョプリンの名作『パール』に収録されている。この曲の歌入れ予定日にジャニスはヘロインの過剰摂取で死亡。暗示的なタイトル通りブルースに葬られてしまった。遺作となった『パール』にこの曲は歌の無いインストのまま収録された。テキサス州の田舎町に育ったジャニスは、思春期に入った頃、人種差別に反対したことをきっかけに、いじめの対象となってしまった。 当時の彼女はニキビ面で太めだった為、「黒人大好き女」や「ブタ」「売春婦」などと呼ばれ、 男の子たちの恰好のえじきとなっていたが、それでも、ジャニスは「くたばっちまえ!」と言い返していた。不良の仲間たちと出掛けたルイジアナのバーでブルース に出逢った。「ブルースは自分に正直な感じがする」と彼女は 17歳で唄い始めた。それから27歳で亡くなるまで、ジャニスの人生はブルースに捧げられた。青春時代のブルースとの出会いがジャニスの生き様を変えてしまったのである。ジャニスの人生を司った「ブルース」と「青春」の関係について考察してみたい。




●青江三奈「伊勢佐木町ブルース」



淡谷のり子に次いで「ブルースの女王」の座に輝いた青江三奈と青春の関係は、ひとえに筆者の個人的な体験に起因するが、70年代に思春期を過ごした男子なら誰もが覚えがあるに違いない。♪見えすぎちゃって 困ァるのォ~♪で有名なマスプロアンテナのTV-CMに出演、ゴルフでミニスカがめくれるお色気シーンに胸トキメかせた幼い日。同社のCMは雨に濡れて女性モデルの下着が透けて見えるパターンが基本で、親は困ァっただろうが、子供心にも「良くない、けれど見たい」CMだった。思春期に入り音楽に興味を持ち、父親のレコード・コレクションを漁った時に、クラシックと映画音楽の中に「伊勢佐木町ブルース」のジャケットを発見し、見てはいけない物を見てしまった罪悪感を覚えた。しかし両親の目を盗んで聴く溜め息は、エマニエル夫人の切り抜き同様、自分だけの秘かな愉しみであった。




●AKB48「マジジョテッペンブルース」



時代は変わって、現在の性少年のココロの憩い場であるアイドルのブルース。最大メジャーのAKB48がブルース・ソングを歌うことは、40年前と変わらずブルースがアーティストの必修科目であることの証明である。AKB48 主演ドラマ「マジすか学園」のスピンオフ・ソングで、メンバーがキャスト役柄そのままに、テッペンを目指す打倒ソング。ヤンキー校・馬路須加女学園(通称マジ女)の転校生(前田敦子)がヤンキーの抗争を通して友情を育む学園ドラマで、ツッパリ言葉とヤンキー仕様セーラー服がセイシュンを象徴している。



 
●浅香唯「Heartbreak Bay Blues」



セーラー服ドラマの先輩格が「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」主演アイドル浅香唯。大西結花・中村由真とのトリオで風間三姉妹として知られたが、最大の成功を手にしたのは浅香だった。カネボウ化粧品のCMでブレイクし、中山美穂、工藤静香、南野陽子と共に「アイドル四天王」と称された。CMソング「C-Girl」を含む自己最大のヒット・アルバム『Candid Girl』(1988)収録の ブルース・ソングが「Heartbreak Bay Blues」。同アルバムのイメージ・ビデオも制作され、海外ロケで水着やコスプレを披露、25年前の性少年たちが色めき勃った。




●近藤真彦「スニーカーぶる~す」



(元)性少年諸君には申し訳ないが、ココから先は野郎どもの憂歌特集。青春ドラマの更なる大先輩はF1に乗ったアイドルことマッチ=近藤真彦。1980年、オリコン史上初のデビュー・シングルで初登場1位を獲得したこの曲は、たのきんトリオ主演映画第1弾『青春グラフィティ スニーカーぶる~す』の主題歌。アイドル人気に便乗した荒唐無稽な映画で、現在DVD化もされていないが、公開当時の劇場は大入り満員の少女たちが一斉に泣き叫ぶ修羅場の如きカオス状態だったと言う。




●斉藤和義『青春ブルース』



ブログ記事にBGMをつけるとすれば、この作品が本稿のサントラ盤に違いねぇ。2004年発表の10thアルバムにそのものズバリのタイトルを付けたのは、せっちゃんこと斎藤和義。この愛称は大学時代「セックスしたい」と言いふらしていたことからついたという、みうらじゅんの小説に出てきそうな、溜まり過ぎの青春時代を過ごした。中村達也とMANNISH BOYSを結成しベンジー&チバ主宰R&Rカオスに参戦を果たし、生来の下ネタ好きで、硬派サークルに新風を吹き込んだ。




●ブルース・マグース「恋する青春」


ブルース=青春の定理は洋楽ロックにも応用可能。NY出身のガレージ・サイケ・バンド、ブルース・マグースの1966年のデビュー・アルバム『サイケデリック・ロリポップ』はサイケデリックという言葉をタイトルとして初めて冠したアルバムだといわれる。そのリード・シングルが「恋する青春」。全米5位の大ヒット・ナンバーで、オリジナル・タイトルは「オレ等まだ何にもヤッてねぇし (We Ain't Got) Nothing' Yet」という欲求不満ナンバーだが、「恋」「青春」と臭い言葉を並べた邦題をつけたレコード会社担当者はリア充だったに違いない。ディープ・パープルがリフをパクったことでも有名。




●ブルース・スプリングスティーン『青春の叫び』



ブルースはブルースでもBluesではなくBruceだが、青春のひと文字=Spring(春)が含まれるので、本稿のテーマに完全合致。アメリカを代表するロケンローラー、通称ボス。アメリカ民衆の代弁者として名実共にBOSSになる前は、ボブ・ディランのあとを継いで青春群像の描写に際立った才能を示した。1973年の2ndアルバム『青春の叫び 』の原題は「野性的、無垢、そしてE通りのごちゃまぜ The Wild, The Innocent & The E Street Shffule」 。直訳じゃ使えないので、この臭い邦題はナイスかも。ボス作品中もっともチンピラ度数の高いストリート・ロックが炸裂。翌年のツアーを観たロック評論家ジョン・ランドーが「私はロックン・ロールの未来を観た。その名はブルース・スプリングスティーン」と絶賛した。




青春時代に
ブルースを
堪能しよう

Blues Experience=青い体験

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