ラブ&マーシー 終わらないメロディー
「サーフィン・USA」など、数々の名曲を生み出したバンド「ザ・ビーチ・ボーイズ」のブライアン・ウィルソンの半生を映画化。現在は傑作と称えられるも、発表当時は世間をにぎわせた「ペット・サウンズ」制作の裏側、そして妻メリンダと出会い再び希望を見いだしていくさまを描く。精神的に混乱と変調をきたしていく1960年代のブライアンを『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』などのポール・ダノ、1980年代のブライアンをベテランのジョン・キューザックが演じる。
ビーチ・ボーイズ好きだということはあまり人に話したことがない。隠している訳ではないが、普段自分が付き合う人たちの中で、ビーチ・ボーイズを大っぴらに語る雰囲気は余りないのだ。ビートルズやストーンズ、ボブ・ディランやドアーズの話題で盛り上がることは多々あるのに、何故?と考えるに、初期のサーフィンやホットロッド・ソングはジャンルとしてはオールディーズに分類され、言わばライフスタイルのBGMとしてプレイされる場合が多く、音楽だけ取り出して論じられはし辛いのではなかろうか。夏だ!海だ!女の子だ!とアゲアゲのリア充生活で音楽の話をマジでするなんてダサいしありえない。
⇒進水・浸水・心酔の水圧ポップ~ブライアン・ウィルソン『ノー・ピア・プレッシャー』
それは当のビーチ・ボーイズにとっても同じだったに違いない。揃いのIVYファッションで、軽快なビートにハーモニー、夏だ!海だ!女の子だ!と歌っていれば、キャーキャー騒がれ永遠のモテ期。その方法論に固執する父親マネージャーと一部メンバー、対する引きこもり/コミ障/音楽ヲタのブライアン・ウィルソンとの確執を、20年後の廃人寸前の姿で際立たせるのが映画手法の王道だろう。ひとつの時代だけでは、人間像に偏りが出てしまう。二人一役で多面的なブライアン像を再現したことがこの映画の肝である。
LSDでぶっ飛ぶシーンが3次元から2次元への逃避行為であり、それ以降のコミカルなケミカルを醸し出す制作活動はコミケのブースで取引されるレベル。20年後の医師との軋轢は、思春期の葛藤を昇華できなかったブライアンの宿命であり、ベリンダとの出逢いも必然だった。その出逢いが彼をどん底から救う結果になったのは喜ばしいが、逆に考えれば、そうじゃなければ映画化されることもなかったのも事実。ブライアン・ウィルソンの追悼文を書く羽目に成らなかったことを神神に感謝したい。
⇒『ラブ&マーシー 終わらないメロディ』公式サイト
夢よりも
現実を見る
人もあり
夢眠ねむが語る通り、亜米利加のヲタは日本のヲタとは比べ物に成らないほど孤独である。60年代後半にでんぱ組がいたならば、ブライアンも多少は心の慰みを得られたに違いない。
⇒【勝手に翻訳】内気なアイドル「でんぱ組.inc」はヲタクパワーでJ-POPを革命する。
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