A Challenge To Fate

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【魅惑の軽音楽その6】非英語圏の歌姫たち~カトリーヌ・ソヴァージュ/リカ・ザライ/アンヌ・シルヴェストル/アンネケ・グレンロ/ディマラ・シスターズ

2022年04月05日 01時00分36秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


筆者のレコード掘りの主現場は今や中古盤店やリサイクルショップのジャンクレコード売り場になった。プレミア盤やレア盤や廃盤コーナーを掘ってもあるのはどこかで見たレコードばかりで、買う前からどんな音か分かっているのがほとんどだし、書籍やネットで存在を知ってるだけで聴いたことも無いレコに5桁の金を払う勇気も余裕も歓びも最早持ちえない。その点ジャンルも何も滅茶苦茶なジャンクコーナーには、見たことも聴いたこともない謎レコが山盛りだし、ジャケ買いしてもペットボトルのお茶より安い。特に50年代~60年代の軽音楽レコードの数々は、当時の日本のエンタメ界で何が流行っていたかを紐解く貴重な資料である。そんな歴史の重みが刻み込まれた時代の証人に他ならないレコードをジャンクコーナーから救い出して21世紀に伝えるのがこの【魅惑の軽音楽】シリーズである。今回は60~70年代前半の日本で英米のロックやポップスに負けない人気を誇っていた非英語圏=ヨーロピアンポップスの歌姫たちを紹介したい。いずれもWikipediaに日本語ページすらないが、当時は日本盤が発売されていたアーティストである。

●リカ・ザライ Rika Zaraï


イスラエル人シンガー兼作家。1938年エルサレム生まれ。エルサレム音楽院ピアノ科を首席で卒業。イスラエル人の義務である兵役を経て、後にテル・アビブでノルフェージュの教授となった。1959年、パリに出て、1960年代から歌手としてフランス各地で歌うようになる。1970年オランピアに出演。ヒット曲を連発し人気シンガーとなるが、そうした活動のさなかに、自動車事故で瀕死の重傷を負う。医者からも見放されていたが、調和思想家・菜食主義者レイモン・デクストレの助言で自然療法を実践し、みごと健康を回復した。その体験をつづった書籍『私の自然食』を1985年に出版すると「聖書以来の超ベストセラー」と評されるほどの大ヒットになった。その後、音楽活動と並び自然療法家として著述や自然食品の普及等に活躍した。2020年12月23日没。

RIKA ZARAI - BALAPAPA / 1970



●カトリーヌ・ソヴァージュ Catherine Sauvage


シャンソン歌手。1929年5月フランスのナンシー生まれ。1940年に家族と一緒にアヌシーのフリーゾーンに引っ越した。高校卒業後、彼女は演劇をはじめ、ジャニーン・ソールニエという名前で舞台に出演した。ピアノ、歌、演劇を8年間学んだ後、1 ​​950年にレオ・フェレと出会い、彼の歌に夢中になった。1952年にフェレの「パリ・カナイユ」を歌ってヒット。1954年、再びフェレの曲「男」でフランスの有名な賞である「フランス・ディスク大賞」を受賞。60年代以降シャンソン歌手として高い人気を誇り、女優としても活躍。1998年に68歳で没。

Catherine Sauvage "Paris canaille" (live officiel) | Archive INA



●アンヌ・シルヴェストル Anne Sylvestre


フランスのシンガーソングライター。1934年6月フランス・リヨン生まれ。50年代ソルボンヌ大学で文学を学んでいる間、キャバレーで歌い始め、 コメディアンのジャン・クロード・パスカルに曲を提供。59年に自らも歌手デビュー。73年に自分のレコード会社を設立。貧困、教育問題、戦争など社会問題をテーマにした曲が多く、またフランスを代表するフェミニスト歌手と呼ばれ、女性の権利や性差別についての歌も多く発表している。2020年11月30日、86歳で没。

Anne Sylvestre - Un mur pour pleurer (1974)



●アンネケ・グレンロ Anneke Grönloh


インドネシア生まれのオランダ人シンガー。1942年6月オランダ領インド(現在のインドネシア)で生まれ、第2次世界大戦中は日本占領下で集中キャンプで生活。戦後家族でオランダへ移住。1959年にタレントショーで優勝し歌手デビュー。1961年の「Brandend zand」(燃える砂)は、史上最も売れたオランダの曲の1つと呼ばれるほどの大ヒットを記録、ポップスやジャズの他インドネシアの伝統音楽クロンチョンの曲もヒットさせた。1960年代を通じて成功したキャリアを持ち、2000年代まで芸能活動を行う。2018年9月、76歳でフランスで死去。

Anneke Gronloh. Home cooking



●ディマラ・シスターズ Di Mara Sisters


イタリア・ミラノでイタリア人の父とアメリカ人の母の元に生まれた、ローズ(1932生まれ)、リリアン(1933年生まれ)、マリサ(1934年生まれ)の3姉妹からなるヴォーカル・グループ。1950年にローマのテレビ番組でプロとしてデビュー。53年に家族でアメリカへ移住。55年にデトロイトのクラブでデビューして以来、アメリカ各地のクラブやテレビに出演、57年にルーレット・レコードと専属契約しカンツォーネやイタリアン・ポップス、映画主題歌を歌い人気となる。

O Sole Mio


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