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A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

かくも長き不在の果てに出現した工業音響~EP-4 unit3「A Artaud」

2013年02月02日 00時58分59秒 | 素晴らしき変態音楽


2012.5.21に奇蹟のライヴ復活を遂げた80'sニューウェイヴのカリスマ佐藤薫率いるEP-4。その胎動は往時を思わせる活性面に突入し電子メディアをフル活用し30年の不在が嘘のように活動が顕現化している。数々の関連作品の復刻、同じく復活した80'sアイコン山崎春美との共同作業、京都を拠点にした様々なコラボレーションを行う佐藤。その母船であるEP-4は5.21以来1年間休眠中だが派生ユニットEP-4 unit3の動きは著しい。東京と大阪で開催された「CASE OF TELEGRAPH」などのイベントへの出演、2011年9月の江戸糸あやつり人形座・芥正彦演出 「アルトー24時」の舞台音楽、ディーター・メビウス、ワイヤー、Zsなど海外アーティストのフロントアクトなどで精力的に活動。EP-4 unit3とは佐藤とBANANA-UGによるノイズ即興ユニットであり1980年代EP-4と同時期にライヴ活動を行ったが音源として記録されたのは1983年のオムニバス・ライヴ盤「CASE OF TELEGRAPH Product 2」に収録された2つの短い断片のみ。先日取り上げたBe-2(ハーツヴァイス)の記事のコメント欄に80年代EP-4 unit3のライヴを観た方の投稿があったが、まさにBe-2のサウンド+ヴィジュアル・コラボに通じる実験的活動を行っていたのである。

再結成EP-4が新作を制作するというニュースは以前から伝えられていたが、本家の前にEP-4 unit3の初めての単独作品「A Artoud」がリリースされた。「アルトー24時」用に制作された音源をベースにしたCDでライヴ/スタジオ録音が共存しているらしい。というのは収録されトラックの完成度がいずれも高いのでエンディングに拍手の有る無し以外にはライヴかスタジオか判別出来ないからである。内容については封入の丹生谷貴志、佐々木敦によるライナーノーツ、さらに佐藤薫自身によるセルフ・ライナーノーツが雄弁に物語っているので付け加えることは何もない。佐々木がスロッビング・グリッスルに代表されるインダストリアル・ミュージックとの相似を語っているがその通りノイズと呼ぶにはクール過ぎテクノと呼ぶには不整脈過ぎアンビエントというには過激過ぎるサウンドにはインダストリアルというアナクロな呼称が相応しい。ただし当然ながら80年代へのノスタルジアではなく21世紀型新鋭コンセプチュアル音響であることは一聴して明白である。初回特典DVDには2度の「CASE OF TELEGRAPH」でのライヴ映像と「アルトー24時」の舞台が収録されているが藤田一郎監督により編集加工処理された作りはそれ自体一遍の映像作品といえよう。



Sound Contributionのクレジットに先日取り上げた大阪の即興ユニット.es(ドットエス)の名前もあり何らかの形で録音に参加しているものと思われる。.esは活動の初期からEP-4と繋がりがある。デビュー時から親交の深いフランス文学者鈴木創士はEP-4のオリジナル・キーボード奏者であり、佐藤薫とも音楽面以外でも深い交流がある。今年1月には鈴木(key)に加えEP-4のユン・ツボタジ(perc)、あふりらんぽのPIKA(ds)、Acid Mother Templeの田畑満(b)と共にZzzippsというユニット名でライヴを行った。この映像を観たとき余りのヤバさに即座に.esの橋本孝之にメッセージを送ったほどの衝撃だった。



EP-4 unit3はこの作品を携え2月3日青山CAYで開催される「CASE OF TELEGRAPH 2013」に出演する。欠席のBANANA-UGに代わりPARAの家口成樹がキーボードで参加、加えて千住宗臣(ds)とVJの斉藤洋平(ROKAPENIS)による特別編成である。

さらに24時間前にイベント"EP-4 presents「クラブ・レディオジェニク」"の開催が発表された。「1980年、京都の『クラブ・モダーン』で生まれたバンド "EP-4" が、一日かぎりのクラブを東京にオープンします」(佐藤薫)。
待望の本隊の新作も含め佐藤薫と京都新波倶楽部の活躍が楽しみだ。

制服肉体複製
進化したか
思索工房

この原稿を書いた日に丁度「JOJO広重のノイズ大学 代々木分校」トークショーが開催され、前から気になっていた非常階段とEP-4(佐藤薫)との交流について尋ねた。「あの辺(EP-4周辺)はカッコ良過ぎて全然付き合いはなかった。僕らは庶民派だし」(JOJO広重)とのこと。確かに5.21作戦での情宣活動を含めあらゆる展開を計画的に実践する策士・佐藤薫と無手勝流で本能の赴くままの表現行為を展開してきた非常階段とは水と油なのだろう。同じ関西でも棲む世界が違っていたようである。そうすると佐藤と広重が同じ場に立ったFREEDOMMUNE 0<ZERO>でのタコのステージは関西アンダーグラウンドの二つの流れが30年経って邂逅した奇蹟の瞬間だったと言えるかもしれない。


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