1980年代のいわゆる「宝島」世代には「佐藤薫」という名前は特別な思い入れのある存在だった。EP-4での活動や様々なバンドのプロデュース、執筆活動、FM番組での世界各国の自主制作盤や辺境音楽の紹介などサブカル系ファンの絶大な支持を誇っていた。ポストモダンの時代、吉本隆明、中沢新一などの論者と並び懐かしい響きのするカリスマ的存在だった。1990年代に入り忽然とシーンから姿を消してしまったこともあり存在自体が歴史から抹殺されたような時期もあった。2004年灰野敬二、工藤冬里、大友良英、白石民夫が出演した新宿裏窓1周年記念イベントで「出演してほしいアーティストは?」というアンケートに迷わず「佐藤薫」と書き込んだことを覚えている。
手元に一本のカセットテープがある。ケースの中に「出演:ゲルニカ,EP-4他 57.6.22 \1500」と書かれた渋谷La MAMAのチケットが入っている。カバーは雑誌から切り抜いた佐藤氏の写真。裏には「ロックン・ロールのビジュアル・エイジ---シスターM、EP-4、ゲルニカ」とある。当時私がライヴ録音したものである。安いカセットなので劣化のため音が聴くに堪えないのが残念だが、ライヴの模様はうっすら覚えている。La MAMAの狭い空間にぎっしりの観衆。ステージ上はキーボードやシンセ、パーカッション、大きなエフェクター・ボックスが林立していた。ゲルニカとEP-4のどっちが先だったかは覚えていないが、個人的には初めて観る戸川純ちゃんの妖艶なパフォーマンスに心奪われた(ゲルニカのカセットも残っている)。EP-4の方は無機質なファンク・ビートに乗せて佐藤氏が時折エフェクト・ヴォイスを聴かせるだけで殆ど後ろ向きで踊っていた覚えがある。当時はEVA-1とか4-Dとか似た名前のバンドがいてEP-4とゴッチャになっているのだが、インディーからリリースされたクリア・ヴィニールの「Multilevel Holarchy」というライヴ音源を切り貼りしたアルバムが好きでよく聴いていた。他のアルバムやカセットブックも聴いてた筈だが、端正なダンスビートには余りのめり込まなかった。有名な「5.21」ステッカー作戦は印象にない(フリクションの黒い亀の甲みたいなステッカーが街中に貼られたことは覚えているのだが)。佐藤氏はミュージシャンというよりオーガナイザー/策略家という印象の方が強い。
3年程前に佐藤氏が表舞台に現れEP-4やプロデュース音源のCD再発が始まったときは余りに突然で懐かしさに胸がドキドキしたものだ。それがまさかの復活ライヴ、それも伝説の5月21日にやるという。オリジナル・メンバーに加えタバタミツル(G)、 ジム・オルーク(G)、千住宗臣(Dr)、高井康生(G) にゲスト・プレイヤーとして 恒松正敏(G)、中村達也(Dr) が参加。DJ : 菊地成孔、MOODMAN。
特典のCDを貰い入場し地下のホールへ階段を下りる。ホールはギュウギュウではないものの後ろまで満員。意外に前の方に余裕があり、ステージ下手の前から5列目あたりを確保。往年のファンの年配者の姿が目立つ。開演時間になりSEが大きくなったのでいよいよ佐藤氏の登場かと会場がどよめくが、1時間そのままアブストラクトな音楽が流れ続ける。途中でこれが菊地氏とMOODMAN氏のDJタイムだと気が付いた。複数のバンドが出るイベントではセットチェンジの合間にDJタイムがあるのだが、ワンマンなので最初の1時間がDJという訳だ。ビーフハートと電子音をミックスしたり面白いプレイだったが、観客の多くは佐藤氏が早く現れないかと焦れている様子。1時間たつと突然会場の一角が白い光に照らされてPAからガーッというノイズが放出される。伊東篤宏氏のOPTRON演奏だ。これは告知されていなかったサプライズ。佐藤氏と伊東氏の対談がwebDICEに掲載されていて興味深いのでぜひご一読を。リズムマシーンにOPTRONという新機軸で10分程演奏したところでいよいよメンバーがステージに登場。佐藤薫(エフェクト・ヴォイス他)、BANANA UG(Key)、佐久間コウ(B)、ユン・ツボタジ(Perc)のオリジナル・メンバーとジム・オルーク(G)、千住宗臣(Dr)、高井康生(G)の7人。OPTRONのノイズに重ねてタイトなファンク・リズムが繰り出され、バスドラとベースの太い音に否応なく身体が反応する。 そうそう、このクールなファンクネスこそEP-4だよね。佐藤氏は勿体ぶって(?)1曲目は歌わず後ろ向きで指揮をするような素振りをする。30年前とルックスと雰囲気が殆ど変わっていないのに感動する。2曲目以降はトレードマークのエフェクト・ヴォイスを披露。観客も声援で応える。観ているうちに30年前の個人的な出来事を思い出したので、また回顧話になるが書いておきたい。
30年前おそらくぎゃてい関連だと思うがある青年と知り合った。多分私より3つくらい年上だったのだろう、もう名前は覚えていないその彼と意気投合し新宿ゴールデン街の文芸バーによく飲みに行った。彼は特に音楽活動をしていた訳ではなかった。大阪か京都出身だったと記憶している。「夜想」や「パピエ・コレ」といったサブカル誌と関係があったようで、一緒に編集部に遊びに行ってグラスを回したりした。彼は「CAMP」というユニットを作ることを計画していた。デレク・ベイリーのCOMPANYと、キッチュの同意語のキャンプをかけたものだという。それに参加して欲しいから大学のバンド・サークルを今すぐ辞めるよう迫られた。私がブリティッシュ・ビートをやりたい、というと、メンバーは自分が見つけてやるから大学バンドなんか辞めちまえ、あんなの意味がないから、と言う。その後いきさつは忘れたが自然に疎遠になってしまったが、今思えば彼は佐藤薫か(痙攣しない 笑)山崎春美になりたかったのではないか、と思う。
そんな思い出に浸りながら絶え間ないダンス・ビートに身を委ねていた。後半にタバタミツル(G)と初期メンバーで現在はフランス文学者/翻訳家として活動する鈴木創 士(Key)が参加。ふたりが引っ込むと恒松正敏(G)と中村達也(Dr)がジョイン。MCは一切なく佐藤氏は曲の合間に椅子に座り休んだりしている。1時間半の演奏が終わり、アンコールに応え出演者全員に加え菊地成孔(Sax)が登場。分裂というバンドの曲を延々とセッション、大ダンス大会で盛り上がり終演。
Twitterの情報によるとセットリストはEM/5・21/dB/Similar/Moonlight/E-Power~Frump~Zoy/Coconut/Robothood Process/Mineraloid/安全な核廃棄物と同居しよう(分裂)。
[7/17追記:BLOG「EP-4-dark」より]
2012/05/21 set list
0 intermission
1 5.21
2 dead body
3 Similar
4 MOONLIGHT
5 E-POWER
6 Frump Jump(Zoyのエンディングだった)
7 Coconut
8 Robothood Process
9 (初聴でした)
encore
1 安全な核廃棄物と同居しよう
イメージ的に30年前と全く変わっていないのが嬉しかったし、千住氏、高井氏をはじめとするサポート陣のバックアップも素晴らしかった。併設のカフェでは70~80年代ニューウェイヴ・アーティストの30年後を記録した写真集「THUS WE LIVE BIT BY BIT」の写真展をやっていた。何とも言えずノスタルジックな郷愁を感じさせる写真ばかりだが、あの時代を作った人たちのその後を見るのも悪くないかもしれない。
EP-4
80年代
ノーリターン
インターネット時代の今こそ佐藤氏のようなオーガナイザーがどのような策略を展開して行くのか今後の活動が楽しみである。
それにしても長いな~今日のブログw
分裂の名前がこんなところで見れるとは感慨深いです。北海道で療養中とのお話の高橋ヨーカイさんは知っているんでしょうか。
早速のコメントありがとうございました。「ココ、ココ!」の部分は観客の大合唱でした。
分裂ってヨーカイさんのバンドだったのですか!坂田さんの細胞分裂じゃないんですね(笑
いつもたいへん貴重な情報をご提供いただきありがとうございます。さっそくDLしてみます。
今後ともよろしくお願いします。
のライブが懐かしいです。先日のサディー
サッズと同様の感動を感じました。当時の無機質な佐藤薫が実にいい意味で人間臭く感じました。