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A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

まずは 音で虚無に色をつけようか!!~.es「void」(ドットエス「ヴォイド」)

2013年01月30日 00時31分43秒 | 素晴らしき変態音楽


2012年初頭の邂逅以来大阪のコンテンポラリー・ミュージック・ユニット.es(ドットエス)には煽られっぱなしである。"驚く"でも"感動"でも"刺激的"でもなく高速道路を走行中に後ろから真紅のポルシェにパッシングされるように"煽られる"のである。傍観者面して音楽蘊蓄を語っていていいのか。ロケンローで何もかも忘れて踊り狂えばいいのか。安穏とした毎日に満足していていいのか。それじゃあ反原発デモに参加しろとか社会に反逆の狼煙を上げろとかいうレベルの話ではない。この世に生を受けここに存在する「私」とは一体何者か。何のために息をしてメシを喰らって糞をしてあくせく働いて愛を交わして寝床につくのか。What Am I? Why Me? How Should I Exist?..... 様々な「?」(クエスチョン)を置き去りにしてただ存在する生命体でしかない「私」。I Am Iと開き直るしかないのか。.esの音に接する度(=旅)に究極の「?」を突きつけられる。

彼らの紹介は過去記事に記したので参照されたい。
→「オトデイロヲツクル
→「Resonance」。
→.esについてはコチラ
→現代美術ギャラリー「ギャラリーノマル」についてはコチラ
今の私にとっては.esのバイオ/プロフィールはあくまで付随情報に過ぎない。彼らの厳然とした「音=存在」の前では予備知識は無用である。心を空っぽ=voidにして彼らの音と対峙したい。

▼2012年10月7日無人セッション@ギャラリーノマル



"音(おと)とは、物の響きや人や鳥獣の声、物体の振動が空気などの振動(音波)として伝わって起す聴覚の内容、またはそのもととなる音波を指す。心理学的には聴覚的感覚を「音」と呼ぶため周波数が人間の可聴域にあるもののみを指すのに対し、物理学的には音波そのものを音と呼び超音波や低周波音も含める。"
(Wikipediaより)

フロイトやユングの精神分析に興味未満の憧れを持っていた私は大学で2年間の教養課程を終えると専攻課程に心理学科を選んだ。てっきり「夢判断」や「アイオーン」を紐解き性的一元論や自我と無意識について議論するのかと思ったら文系でありながら基礎実験に明け暮れる日々だった。学内外で被験者を募り実験用マウスやラビットの棲む獣臭い地下の暗室や無響室で一日中黙々と実験を繰り返しコンピューター(パソコンではない)にデータを打ち込む。当時はコンピューターのプログラムやインプットは特別な言語を使わねばならなずコンピューター言語講座にも通った。今更ネズミに餌と電気ショックを与えパブロフの犬を検証しても意味がないと思ったが基礎心理学とは過去の実験の追実験から始まると言われればやるしかない。

無響室とは音が一切反響しないように天井・床から四方の壁まで部屋中に体育用マットを貼り巡らした部屋である。そこで生まれて初めて無音の世界を体験した。全身をねっとりと包む空気の重みを感じ魂がフッと宙に浮く異次元体験だった。以来興味はサイコ(=精神世界)からトーン(=音)に移り何故空気の振動に過ぎない音波が音楽に聞こえたり雑音(=ノイズ)に聞こえたりするのか解明したくなった。ある日無響室の主の先輩の紹介で西武池袋線沿いの某大学で開催された日本音響学会聴覚研究会に出席した。そこで北海道大学の大学院生が発表した「メロディ認知スキーマについての研究ー終止音導出課程のシュミレーションー」という研究に心惹かれた。簡単に説明すると人がどういう音の並びを「メロディ」として判断するかを調べる実験だった。しかし未完の音列を聴かせそれを完結させる音程を選ばせるという実験法は被験者の音楽体験の差異に大きく左右されるものであり、それをもっと経験値に無関係な方法で実証してみようとしたのが私の卒業研究「終止音導出を手掛かりとしたメロディ認知における調性感の研究」である。難しい話は辞めるが100人余りの被験者に1ヶ月かけて3つの実験を行った結果を3日徹夜して100ページの論文に仕上げた。自分で書いたとは信じ難い微に入り細に入り詳細にして晦渋極まりない文章だが、結論は<調性感の高いメロディの要因は「そのメロディを通じて中心となる特定音高が心理的に存在すること」である>ということらしい。らしい、というのは今となっては何を意味していたのか全く忘れているからである。大学4年間の勉学が社会生活に何の糧にもなっていないことの証明である。ちなみにこの卒論は教授に高く評価され卒業パーティーで名指しで褒められたそうである。そうである、というのはパーティーの前日に30日間のヨーロッパ卒業旅行から帰国した私は時差ぼけで眠りこけ出席出来なかったからである。人生の晴れ舞台を逃さないためには海外旅行から一日早く帰国せよという教訓である。

延々と回想モードに入り記事の論旨をすっかり失念してしまったが、.esのサウンドには「音楽とは何なのか、楽音と噪音に違いはあるのか」という根源的な疑問への鍵が内包されているように思えてならない。最新作「void(ヴォイド)」は昨年7月ギャラリーノマルに於ける美術家今村源の同名の展覧会でのライヴ録音である。冒頭から吹き鳴らされるアルトのいななきが鋭い刃物になり「これが"音"だ!お前に判るか!」と挑戦状を叩き付ける。それに応えるために阿部薫や浦邊雅祥のレコードを引っ張り出す必要はない。音であろうがなかろうが確固として存在を主張する波動。残酷なまでの生々しさで再生機のウーハーから弾け出て拡散して行く音波。可聴範囲に留まらないが周波数測定器で計っても解明されない感情の渦。

▼2012年9月2日「美川俊治×.es」@難波ベアーズ



ライナーノーツで坂口卓也氏がiPS細胞を引き合いに「初期化される音」という文章を寄せている。その通り.esは学究的に分析してみたいという欲求が喚起される存在である。音楽の秘密とは?という疑問に答えられるのは灰野敬二だけかも知れないが、素人研究家の分析を待つまでもなく.esのCDを聴けば手掛かりの端緒くらいは掴めるかもしれない。「.esの秘密を知りたい」というのが今私が最も興味未満の憧れを抱くテーマなのである。

無に還る
あっちとこっちの
その隙間




.esの全音源を録音日順にインポートしてiTunesで再生していたら何故か直後に私が30数年前に多重録音した音源が流れ出した。一体何が起ったのか判らず暫く呆然としてしまった。
コメント
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