★ダイレクト・トランスファー CD-R DSD録音 再発売シリーズ★
2006年秋に発売を開始した当シリーズもおかげさまで約260タイトルを発売
する事ができましたが、2009年2月よりマスター制作にDSD録音を採用する事
にいたしました。これまでより更に生々しい音質をお届けする事が出来るよ
うになりましたのでご期待下さい。
今月はDSD録音再発売の最終月となり、既発売分78CDR-1167から78CDR-1178の
12点をDSD録音で再発売いたします。商品番号は78CDR-3000番となり、下3桁
は共通で使用いたします。従来の78CDR-1000番台の商品は、当面は販売を継
続いたします。
DSD録音による有料サンプラー(\300)も販売開始いたしましたので、ご注文
をお待ちしております。
■製作者からのメッセージ
DSD録音になったグッディーズ・ダイレクト・トランスファーCDR!
従来のCDを高音質化するさまざまな試みが盛んな中で、「グッディーズ・オ
リジナル企画」のダイレクト・トランスファーCDRは、2009年2月発売新譜か
らDSD録音を採用することになりました。DSD録音によって、これまでのSP
復刻からさらに飛躍し、SPレコードの直接再生と区別がつかないところに
到達したと自負しています。DSD録音は従来の方式に較べて中音から低音にか
けての音の形が明瞭になり、高音は一皮剥けた感じです。LPとは比較にな
らない強大な音響勢力を持つSPレコードをカスタムメイドの直熱真空管
フォノイコライザーを使用し、またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最
も気を配り一切のノイズリダクションを使用していないのは従来通りです。
(新 忠篤)
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★ダイレクト・トランスファー CD-R DSD録音 再発売シリーズ★
2010年7月新譜 12タイトル
発売予定:2010年7月下旬 価格:各1枚 \1500(税込)
※セット販売ではありません。1枚づつお申し込みいただけます。
78CDR-3167
フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番ハ短調作品15
シャイエ=リシェ四重奏団
セリニ・シャイエ=リシェ(ピアノ)
マリー・テレーズ・イボ(ヴァイオリン)
マリー・テレーズ・シャイエ(ヴィオラ)
ジャクリーヌ・アイヨーム(チェロ)
仏 COLUMBIA LFX647/40
(1941年10月23日&1942年4月24日パリ録音)
ピアニストのセリニー・シャイエ=リシェ(1884-1973)はフランスのリール生
まれのピアニスト。14歳(1898年)でパリ音楽院の一等賞を得た。1908年にヴァ
イオリニストのマルセル・シャイエと結婚。マルセル・シャイエはパリ音楽院
のジュール・ブーシュリ(1872-1962)教授や名奏者ジャック・ティボー(1880-
1953)と盟友だったが、1936年に惜しくも世を去った。セレニー・シャイエ=
リシェは1926年ヴァイオリンのジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に出会い、
1932年から1952年の間にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲やJ.S.
バッハのヴァイオリン・ソナタ全曲の演奏会を開いた。シャイエ=リシェは
また女性メンバーのピアノ五重奏団を組織して話題を呼んだ。この録音はそ
のメンバーによるもので第2次大戦下のパリで録音された。マルグリット・ロ
ンとジャック・ティボーによるフォーレ:ピアノ四重奏曲第2番(78CDR-3152)
と対をなす名録音である。
78CDR-3168
ドビュッシー:弦楽四重奏曲ト短調作品10
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミュ・ドローベル(チェロ)
日本COLUMBIA J7992/5(仏 COLUMBIA D15085/8と同一録音)
(1928年6月10日パリ録音)
史上最高の弦楽四重奏団だったカペー弦楽四重奏団のリーダー、リュシアン・
カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。
享年55歳。カペーはパリ音楽院でJ.-P.モラン(1822-1894)に師事し1893年に
一等賞を得て、その年に弦楽四重奏団を組織した。録音時のメンバーは1918
年からのもの。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏
会をパリで開催していた。カペーは1928年4月にフランス・コロンビアに録音
を始めた、そしてその年の10月までの6ヶ月間に弦楽四重奏曲11曲とピアノ五
重奏曲1曲の録音をした。SP盤10インチが7枚、12インチが44枚である。ま
るでカペーが自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。80年前の
録音ながら、この稀有な四重奏団の音色がダイレクト・トランスファーで見
事にとらえられている。
78CDR-3169
グノー:ファウストのバレエ音楽
ヌビア人の奴隷の踊り
昔の踊り
アダージョ
クレオパトラの踊り
トロイ人の娘の踊り
鏡のヴァリエーション
ヘレネの踊り(終曲)
アナトール・フィストラーリ指揮
ナショナル交響楽団
英 DECCA AK1339/40
(1945年9月6日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
アナトール・フィストラーリ(1907-1995)はロシアのキエフ生まれ。神童とう
たわれ8歳の時チャイコフスキーの「悲愴」交響曲を指揮した。その後パリに
デビュー、1931年にシャリアピンがグランド・ロシア・オペラの首席指揮者
に任命した。1937年にはモンテカルロのロシア・バレエの指揮者になり、アメ
リカ公演も行った。第2次世界大戦中にロンドン・フィルの指揮者をつとめ、
イギリスの市民権を得た。フィストラーリはバレエ音楽の権威者で、LP時
代にチャイコフスキーの「白鳥の湖」「胡桃割り人形」の名録音をデッカに
残した。このファウストのバレエ音楽は大戦直後のもの。フィストラーリは
SP時代にもデッカに多くの録音をしていた。ffrr録音。
78CDR-3170
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調作品27-2「月光」
ベートーヴェン=バウアー編:ガヴォット ヘ長調
ハロルド・バウアー(ピアノ)
米 VICTROLA 6591/2
(1926年6月14日&7月13日アメリカ, ニュージャージー州キャムデン録音)
ハロルド・バウアー(1873-1951)はロンドン生まれ。父親はドイツ人でヴァイ
オリン奏者、母親はイギリス人。父親の手ほどきでヴァイオリンを学び、1883
年にロンドンでヴァイオリニストとしてデビューし、9年間に渡ってイギリス
国内で演奏活動をした。1892年、19歳の時にパリに行き、大ピアニスト、パデ
レフスキ(1860-1941)にすすめられてピアノに転じた。第1次世界大戦(1914-18)
以前には、主にパリで活動し、ティボーやカザルスとトリオ演奏会を開いたこ
ともある。1917にアメリカに渡りニューヨークに在住し、ベートーヴェン協会
を創立した。この「月光」ソナタは電気録音の最初期のもので、バウアーの
特質がよく表れた名演奏とされたもの。現在では忘れられた存在の名ピアニス
トの演奏に耳を傾けたい。バウアーはこのシリーズでベートーヴェン:ピアノ
・ソナタ第23番「熱情」(78CDR-3177)が出ている。
78CDR-3171
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69
ピエール・フルニエ(チェロ)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB9123/5
(1947年6月6日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。幼少より母親の
手ほどきでピアノを学んだが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロ
に転向。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー。ヴィオリンのガブ
リエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目され
た。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から1949年までパリ音楽院教授を
つとめた。1942年にヴァイリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのトリオ、
ヴィオラのプリムローズを加えた四重奏で活動。さらに1945年にはカザルスが
抜けたカザルス・トリオに加わりヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトー
と演奏活動をした。1954年初来日。その後何度も日本を訪れた。ピアノのアル
トゥール・シュナーベル(1882-1951)はオーストリアの大ピアニスト。ウィー
ンで高名なレシェティツキーに師事した。EMIにベートーヴェンのピアノ協奏
曲全曲を2回、ピアノ・ソナタ全曲を1回録音した。
78CDR-3172
シューベルト:幻想曲ハ長調作品159, D.934
レーガー:ヴァイオリン・ソナタ第5番嬰ヘ短調作品84より第2楽章
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
米 RCA VICTOR 7562/4(英 HIS MASTER'S VOICE DB1521/3と同一録音)
(1931年5月6日ロンドン、小クイーンズ・ホール)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。2歳からヴァ
イオリンを始め1902年ケルン音楽院でウィリー・ヘスやブラム・エルデリンク
に師事した。16歳の時に大作曲家マックス・レーガーに注目された。1912年、
20歳の時ウィーンのコンツェルトフェライン(ウィーン交響楽団)のソロ・ヴァ
イオリンに抜擢された。1918年ベルリン高等音楽院のヴァイオリン教授に任命
され、弦楽四重奏団も組織した。1927年以降スイスのバーゼルに住居をかまえ、
若きユーディ・メニューインを指導したこともある。ナチの台頭でユダヤ系の
ピアニスト、ルドルフ・ゼルキン(1903-1991)と共にドイツを去り、アメリカ
に移住した。ゼルキンは1920年にアドルフ・ブッシュのデュオ相手に抜擢され、
後にブッシュの娘イレーネと結婚した。1951年マールボロ音楽学校と音楽祭を
創設、主宰した。このダイレクト・トランスファーにはノイズが少ないアメリ
カVICTOR盤を使用した。
78CDR-3173
ショーソン:協奏曲ニ長調作品21
フォーレ:子守歌作品16
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
弦楽四重奏団(イスナール、ヴルフマン、ブランパン、アイゼンベルグ)(1-9)
日本 VICTOR DB1649/53 (英 HIS MASTER'S VOICE DB1649/53 と同一録音)
(1931年7月1-2日パリ、プレイエル音楽堂録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)のヴァイオリン、アルフレッド・コルトー
(1877-1962)のピアノと弦楽四重奏によるショーソンの協奏曲ニ長調。作曲者
のショーソンはパリ音楽院でジュール・マスネ(1842-1912)に師事した。フラ
ンスのエスプリにあふれた作風を完成した人。ヴァイオリン曲の「詩曲」がよ
く知られているが、このティボーとコルトーによる協奏曲は、フランスの音
楽家の至芸を聴くことができる名演。これまで良い復刻がなかったこのSP
にダイレクト・トランスファーでチャレンジした。
78CDR-3174
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:ヨアヒム)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ劇場管弦楽団
独 GRAMMOPHON 68308/12
(1941年4月ベルリン録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-94)はイタリアの女流ヴァイオリニスト。こ
の録音はデ・ヴィトーのレコードデビュー。1941年第2次世界大戦下のベルリ
ンでポリドール・レーベルに行われた。この時デ・ヴィトーは34歳だった。
初々しく、輝かしいヴァイオリンは戦後のEMIへの再録音とはかなり異なる。
指揮者のパウル・ファン・ケンペン (1893-1955)はオランダの指揮者。17歳
でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団にヴァイオリニストとして入
団。1916年以降ドイツで活躍。1932年にオーバーハウゼンで指揮者としてデ
ビュー。1934年から1942年の8年間ドレスデン・フィルハーモニーの首席指揮
者を務めた。戦後はオランダに戻ったが第2次大戦中ナチ政権下のドイツで活
躍したことで1949年まで指揮活動が制限された。1949年からオランダのヒル
ファーサムの放送管弦楽団を指揮している。録音はSP期にはドレスデン・
フィル、LPになってベルリン・フィルやアムステルダム・コンセルトヘボ
ウ管弦楽団がある。1955年、62歳で他界した。なお第10面は原盤不良による
ダビングで他の面に較べて音質が劣る。
78CDR-3175
ラロ:チェロ協奏曲ニ短調
モーリス・マレシャル(チェロ)
フィリップ・ゴーベール指揮
管弦楽団
日 COLUMBIA J8133/5(仏 Columbia LFX282/4と同一録音)
(1932年6月5-6日パリ、アルベール・スタジオ録音)
モーリス・マレシャル(1892-1964)はフランスの名チェリスト。パリ音楽院で
チェロをジュール・レブに、室内楽をルフェーブルに、指揮法をポール・デュ
カに学び、1911年一等賞を得た。マレシャルは第1次世界大戦(1914-18)に従軍、
戦後の1919年にコンセール・ラムルーにソリストとデビューした。以来世界中
を楽旅し、日本にも何度か来訪した。日本コロムビアに日本録音をしたことも
ある。フィリップ・ゴーベール(1879-1941)はフランスのフルート奏者で指揮
者。1914年パリ音楽院のフルート科で一等賞を得た後、1905年第2回のローマ
賞を得た。フルート独奏者としてフランスの一流オーケストラの首席を務め、
1919年パリ音楽院管弦楽団の指揮者となり1938年でその任にあった。SP時代
にレコード録音も多い。
78CDR-3176
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
マックス・ロスタル(ヴァイオリン)
フランツ・オズボーン(ピアノ)
英 DECCA AK2356/9
(1949年12月19-20日ロンドン、デッカ・スタジオ録音)
ヴァイオリンのマックス・ロスタル(1905-1991)はオーストリア生まれ。ウィ
ーンでアルノルト・ロゼー(1863-1964)に、ベルリンではカール・フレッシュ
(1873-1944)に師事した。1930-33年にベルリン高等音楽院のヴァイリン科教
授、1934-58年にはロンドンのギルドホール音楽学校の教授を務め、アマデウ
ス弦楽四重奏団のメンバー育成にたずさわった。1957-82年にはケルン音楽院、
1957-85年にはスイスのベルン音楽院の教授を務めた。弟子にエディット・パ
イネマン(1937-)やイゴール・オジム(1931-)がいる。SPレコード末期の英
デッカにベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ集(第1番と第3番以外)の録音
をした。ピアノのフランツ・オズボーンはレオニード・クロイツァー(1884-
1953)のドイツ時代の弟子の一人。英デッカのffrr録音。
78CDR-3177
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」
ハロルド・バウアー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB1293/4(米 VICTOR 6697/8と同一録音)
(1927年5月10日アメリカ録音)
ハロルド・バウアー(1873-1951)はロンドン生まれ。父親はドイツ人でヴァイ
オリン奏者、母親はイギリス人。父親の手ほどきでヴァイオリンを学び、1883
年にロンドンでヴァイオリニストとしてデビューし、9年間に渡ってイギリス
国内で演奏活動をした。1892年、19歳の時にパリに行き、大ピアニスト、パデ
レフスキ(1860-1941)にすすめられてピアノに転じた。第1次世界大戦(1914-
18)以前には、主にパリで活動し、ティボーやカザルスとトリオ演奏会を開い
たこともある。1917にアメリカに渡りニューヨークに在住し、ベートーヴェン
協会を創立した。この「熱情」はソナタは電気録音の最初期のもの。バウアー
の特質がよく表れた名演奏とされたもの。現在では忘れられた存在の名ピアニ
ストの演奏に耳を傾けたい。バウアーはこのシリーズでベートーヴェン:ピア
ノ・ソナタ第14番「月光」(78CDR-3170)が出ている。
78CDR-3178
機械式録音
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 BWV 1004 より
「シャコンヌ」
イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
英 HIS MASTER'S VOICE D875/6
(1924年4月7日録音)
この曲の初録音。イゾルデ・メンゲス(1893-1976)は20世紀の前半に最も精力
的に活動したイギリスの女流ヴァイオリン奏者。1910年、17歳で名ヴァイオリ
ン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事するためにロシアのザンクト
ペテルブルグに向かった。アウアーには通算3年師事し教授の最もお気に入り
の弟子になった。1913年、20歳でロンドンにデビューした。その時のプログ
ラムはチャイコフスキーの協奏曲、ラロのスペイン交響曲に加えて、ベート
ーヴェンとブラームスの協奏曲の縮刷版だった。1916年から1919年には北米
公演を行いアメリカのメジャーオーケストラのほとんどと共演し名声を高め
た。レコード録音は機械式録音時代に、世界最初の録音になるベートーヴェ
ン:ヴァイオリン協奏曲、電気初期のベートーヴェン:「クロイツエル・ソナ
タ」、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番及び第3番がHIS MASTER'S
VOICEにあり、室内楽はデッカに録音していた。この「シャコンヌ」の楽譜
の隅々まで行き届いた柔和な表情は、女流ヴァイオリニストならではのもの
で、マイクロフォンを使わない録音がヴァイオリンの音を素直にひろいあげ
ている。
2006年秋に発売を開始した当シリーズもおかげさまで約260タイトルを発売
する事ができましたが、2009年2月よりマスター制作にDSD録音を採用する事
にいたしました。これまでより更に生々しい音質をお届けする事が出来るよ
うになりましたのでご期待下さい。
今月はDSD録音再発売の最終月となり、既発売分78CDR-1167から78CDR-1178の
12点をDSD録音で再発売いたします。商品番号は78CDR-3000番となり、下3桁
は共通で使用いたします。従来の78CDR-1000番台の商品は、当面は販売を継
続いたします。
DSD録音による有料サンプラー(\300)も販売開始いたしましたので、ご注文
をお待ちしております。
■製作者からのメッセージ
DSD録音になったグッディーズ・ダイレクト・トランスファーCDR!
従来のCDを高音質化するさまざまな試みが盛んな中で、「グッディーズ・オ
リジナル企画」のダイレクト・トランスファーCDRは、2009年2月発売新譜か
らDSD録音を採用することになりました。DSD録音によって、これまでのSP
復刻からさらに飛躍し、SPレコードの直接再生と区別がつかないところに
到達したと自負しています。DSD録音は従来の方式に較べて中音から低音にか
けての音の形が明瞭になり、高音は一皮剥けた感じです。LPとは比較にな
らない強大な音響勢力を持つSPレコードをカスタムメイドの直熱真空管
フォノイコライザーを使用し、またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最
も気を配り一切のノイズリダクションを使用していないのは従来通りです。
(新 忠篤)
==================================
★ダイレクト・トランスファー CD-R DSD録音 再発売シリーズ★
2010年7月新譜 12タイトル
発売予定:2010年7月下旬 価格:各1枚 \1500(税込)
※セット販売ではありません。1枚づつお申し込みいただけます。
78CDR-3167
フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番ハ短調作品15
シャイエ=リシェ四重奏団
セリニ・シャイエ=リシェ(ピアノ)
マリー・テレーズ・イボ(ヴァイオリン)
マリー・テレーズ・シャイエ(ヴィオラ)
ジャクリーヌ・アイヨーム(チェロ)
仏 COLUMBIA LFX647/40
(1941年10月23日&1942年4月24日パリ録音)
ピアニストのセリニー・シャイエ=リシェ(1884-1973)はフランスのリール生
まれのピアニスト。14歳(1898年)でパリ音楽院の一等賞を得た。1908年にヴァ
イオリニストのマルセル・シャイエと結婚。マルセル・シャイエはパリ音楽院
のジュール・ブーシュリ(1872-1962)教授や名奏者ジャック・ティボー(1880-
1953)と盟友だったが、1936年に惜しくも世を去った。セレニー・シャイエ=
リシェは1926年ヴァイオリンのジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に出会い、
1932年から1952年の間にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲やJ.S.
バッハのヴァイオリン・ソナタ全曲の演奏会を開いた。シャイエ=リシェは
また女性メンバーのピアノ五重奏団を組織して話題を呼んだ。この録音はそ
のメンバーによるもので第2次大戦下のパリで録音された。マルグリット・ロ
ンとジャック・ティボーによるフォーレ:ピアノ四重奏曲第2番(78CDR-3152)
と対をなす名録音である。
78CDR-3168
ドビュッシー:弦楽四重奏曲ト短調作品10
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミュ・ドローベル(チェロ)
日本COLUMBIA J7992/5(仏 COLUMBIA D15085/8と同一録音)
(1928年6月10日パリ録音)
史上最高の弦楽四重奏団だったカペー弦楽四重奏団のリーダー、リュシアン・
カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。
享年55歳。カペーはパリ音楽院でJ.-P.モラン(1822-1894)に師事し1893年に
一等賞を得て、その年に弦楽四重奏団を組織した。録音時のメンバーは1918
年からのもの。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏
会をパリで開催していた。カペーは1928年4月にフランス・コロンビアに録音
を始めた、そしてその年の10月までの6ヶ月間に弦楽四重奏曲11曲とピアノ五
重奏曲1曲の録音をした。SP盤10インチが7枚、12インチが44枚である。ま
るでカペーが自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。80年前の
録音ながら、この稀有な四重奏団の音色がダイレクト・トランスファーで見
事にとらえられている。
78CDR-3169
グノー:ファウストのバレエ音楽
ヌビア人の奴隷の踊り
昔の踊り
アダージョ
クレオパトラの踊り
トロイ人の娘の踊り
鏡のヴァリエーション
ヘレネの踊り(終曲)
アナトール・フィストラーリ指揮
ナショナル交響楽団
英 DECCA AK1339/40
(1945年9月6日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
アナトール・フィストラーリ(1907-1995)はロシアのキエフ生まれ。神童とう
たわれ8歳の時チャイコフスキーの「悲愴」交響曲を指揮した。その後パリに
デビュー、1931年にシャリアピンがグランド・ロシア・オペラの首席指揮者
に任命した。1937年にはモンテカルロのロシア・バレエの指揮者になり、アメ
リカ公演も行った。第2次世界大戦中にロンドン・フィルの指揮者をつとめ、
イギリスの市民権を得た。フィストラーリはバレエ音楽の権威者で、LP時
代にチャイコフスキーの「白鳥の湖」「胡桃割り人形」の名録音をデッカに
残した。このファウストのバレエ音楽は大戦直後のもの。フィストラーリは
SP時代にもデッカに多くの録音をしていた。ffrr録音。
78CDR-3170
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調作品27-2「月光」
ベートーヴェン=バウアー編:ガヴォット ヘ長調
ハロルド・バウアー(ピアノ)
米 VICTROLA 6591/2
(1926年6月14日&7月13日アメリカ, ニュージャージー州キャムデン録音)
ハロルド・バウアー(1873-1951)はロンドン生まれ。父親はドイツ人でヴァイ
オリン奏者、母親はイギリス人。父親の手ほどきでヴァイオリンを学び、1883
年にロンドンでヴァイオリニストとしてデビューし、9年間に渡ってイギリス
国内で演奏活動をした。1892年、19歳の時にパリに行き、大ピアニスト、パデ
レフスキ(1860-1941)にすすめられてピアノに転じた。第1次世界大戦(1914-18)
以前には、主にパリで活動し、ティボーやカザルスとトリオ演奏会を開いたこ
ともある。1917にアメリカに渡りニューヨークに在住し、ベートーヴェン協会
を創立した。この「月光」ソナタは電気録音の最初期のもので、バウアーの
特質がよく表れた名演奏とされたもの。現在では忘れられた存在の名ピアニス
トの演奏に耳を傾けたい。バウアーはこのシリーズでベートーヴェン:ピアノ
・ソナタ第23番「熱情」(78CDR-3177)が出ている。
78CDR-3171
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69
ピエール・フルニエ(チェロ)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB9123/5
(1947年6月6日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。幼少より母親の
手ほどきでピアノを学んだが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロ
に転向。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー。ヴィオリンのガブ
リエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目され
た。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から1949年までパリ音楽院教授を
つとめた。1942年にヴァイリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのトリオ、
ヴィオラのプリムローズを加えた四重奏で活動。さらに1945年にはカザルスが
抜けたカザルス・トリオに加わりヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトー
と演奏活動をした。1954年初来日。その後何度も日本を訪れた。ピアノのアル
トゥール・シュナーベル(1882-1951)はオーストリアの大ピアニスト。ウィー
ンで高名なレシェティツキーに師事した。EMIにベートーヴェンのピアノ協奏
曲全曲を2回、ピアノ・ソナタ全曲を1回録音した。
78CDR-3172
シューベルト:幻想曲ハ長調作品159, D.934
レーガー:ヴァイオリン・ソナタ第5番嬰ヘ短調作品84より第2楽章
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
米 RCA VICTOR 7562/4(英 HIS MASTER'S VOICE DB1521/3と同一録音)
(1931年5月6日ロンドン、小クイーンズ・ホール)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。2歳からヴァ
イオリンを始め1902年ケルン音楽院でウィリー・ヘスやブラム・エルデリンク
に師事した。16歳の時に大作曲家マックス・レーガーに注目された。1912年、
20歳の時ウィーンのコンツェルトフェライン(ウィーン交響楽団)のソロ・ヴァ
イオリンに抜擢された。1918年ベルリン高等音楽院のヴァイオリン教授に任命
され、弦楽四重奏団も組織した。1927年以降スイスのバーゼルに住居をかまえ、
若きユーディ・メニューインを指導したこともある。ナチの台頭でユダヤ系の
ピアニスト、ルドルフ・ゼルキン(1903-1991)と共にドイツを去り、アメリカ
に移住した。ゼルキンは1920年にアドルフ・ブッシュのデュオ相手に抜擢され、
後にブッシュの娘イレーネと結婚した。1951年マールボロ音楽学校と音楽祭を
創設、主宰した。このダイレクト・トランスファーにはノイズが少ないアメリ
カVICTOR盤を使用した。
78CDR-3173
ショーソン:協奏曲ニ長調作品21
フォーレ:子守歌作品16
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
弦楽四重奏団(イスナール、ヴルフマン、ブランパン、アイゼンベルグ)(1-9)
日本 VICTOR DB1649/53 (英 HIS MASTER'S VOICE DB1649/53 と同一録音)
(1931年7月1-2日パリ、プレイエル音楽堂録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)のヴァイオリン、アルフレッド・コルトー
(1877-1962)のピアノと弦楽四重奏によるショーソンの協奏曲ニ長調。作曲者
のショーソンはパリ音楽院でジュール・マスネ(1842-1912)に師事した。フラ
ンスのエスプリにあふれた作風を完成した人。ヴァイオリン曲の「詩曲」がよ
く知られているが、このティボーとコルトーによる協奏曲は、フランスの音
楽家の至芸を聴くことができる名演。これまで良い復刻がなかったこのSP
にダイレクト・トランスファーでチャレンジした。
78CDR-3174
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:ヨアヒム)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ劇場管弦楽団
独 GRAMMOPHON 68308/12
(1941年4月ベルリン録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-94)はイタリアの女流ヴァイオリニスト。こ
の録音はデ・ヴィトーのレコードデビュー。1941年第2次世界大戦下のベルリ
ンでポリドール・レーベルに行われた。この時デ・ヴィトーは34歳だった。
初々しく、輝かしいヴァイオリンは戦後のEMIへの再録音とはかなり異なる。
指揮者のパウル・ファン・ケンペン (1893-1955)はオランダの指揮者。17歳
でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団にヴァイオリニストとして入
団。1916年以降ドイツで活躍。1932年にオーバーハウゼンで指揮者としてデ
ビュー。1934年から1942年の8年間ドレスデン・フィルハーモニーの首席指揮
者を務めた。戦後はオランダに戻ったが第2次大戦中ナチ政権下のドイツで活
躍したことで1949年まで指揮活動が制限された。1949年からオランダのヒル
ファーサムの放送管弦楽団を指揮している。録音はSP期にはドレスデン・
フィル、LPになってベルリン・フィルやアムステルダム・コンセルトヘボ
ウ管弦楽団がある。1955年、62歳で他界した。なお第10面は原盤不良による
ダビングで他の面に較べて音質が劣る。
78CDR-3175
ラロ:チェロ協奏曲ニ短調
モーリス・マレシャル(チェロ)
フィリップ・ゴーベール指揮
管弦楽団
日 COLUMBIA J8133/5(仏 Columbia LFX282/4と同一録音)
(1932年6月5-6日パリ、アルベール・スタジオ録音)
モーリス・マレシャル(1892-1964)はフランスの名チェリスト。パリ音楽院で
チェロをジュール・レブに、室内楽をルフェーブルに、指揮法をポール・デュ
カに学び、1911年一等賞を得た。マレシャルは第1次世界大戦(1914-18)に従軍、
戦後の1919年にコンセール・ラムルーにソリストとデビューした。以来世界中
を楽旅し、日本にも何度か来訪した。日本コロムビアに日本録音をしたことも
ある。フィリップ・ゴーベール(1879-1941)はフランスのフルート奏者で指揮
者。1914年パリ音楽院のフルート科で一等賞を得た後、1905年第2回のローマ
賞を得た。フルート独奏者としてフランスの一流オーケストラの首席を務め、
1919年パリ音楽院管弦楽団の指揮者となり1938年でその任にあった。SP時代
にレコード録音も多い。
78CDR-3176
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
マックス・ロスタル(ヴァイオリン)
フランツ・オズボーン(ピアノ)
英 DECCA AK2356/9
(1949年12月19-20日ロンドン、デッカ・スタジオ録音)
ヴァイオリンのマックス・ロスタル(1905-1991)はオーストリア生まれ。ウィ
ーンでアルノルト・ロゼー(1863-1964)に、ベルリンではカール・フレッシュ
(1873-1944)に師事した。1930-33年にベルリン高等音楽院のヴァイリン科教
授、1934-58年にはロンドンのギルドホール音楽学校の教授を務め、アマデウ
ス弦楽四重奏団のメンバー育成にたずさわった。1957-82年にはケルン音楽院、
1957-85年にはスイスのベルン音楽院の教授を務めた。弟子にエディット・パ
イネマン(1937-)やイゴール・オジム(1931-)がいる。SPレコード末期の英
デッカにベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ集(第1番と第3番以外)の録音
をした。ピアノのフランツ・オズボーンはレオニード・クロイツァー(1884-
1953)のドイツ時代の弟子の一人。英デッカのffrr録音。
78CDR-3177
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」
ハロルド・バウアー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB1293/4(米 VICTOR 6697/8と同一録音)
(1927年5月10日アメリカ録音)
ハロルド・バウアー(1873-1951)はロンドン生まれ。父親はドイツ人でヴァイ
オリン奏者、母親はイギリス人。父親の手ほどきでヴァイオリンを学び、1883
年にロンドンでヴァイオリニストとしてデビューし、9年間に渡ってイギリス
国内で演奏活動をした。1892年、19歳の時にパリに行き、大ピアニスト、パデ
レフスキ(1860-1941)にすすめられてピアノに転じた。第1次世界大戦(1914-
18)以前には、主にパリで活動し、ティボーやカザルスとトリオ演奏会を開い
たこともある。1917にアメリカに渡りニューヨークに在住し、ベートーヴェン
協会を創立した。この「熱情」はソナタは電気録音の最初期のもの。バウアー
の特質がよく表れた名演奏とされたもの。現在では忘れられた存在の名ピアニ
ストの演奏に耳を傾けたい。バウアーはこのシリーズでベートーヴェン:ピア
ノ・ソナタ第14番「月光」(78CDR-3170)が出ている。
78CDR-3178
機械式録音
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 BWV 1004 より
「シャコンヌ」
イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
英 HIS MASTER'S VOICE D875/6
(1924年4月7日録音)
この曲の初録音。イゾルデ・メンゲス(1893-1976)は20世紀の前半に最も精力
的に活動したイギリスの女流ヴァイオリン奏者。1910年、17歳で名ヴァイオリ
ン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事するためにロシアのザンクト
ペテルブルグに向かった。アウアーには通算3年師事し教授の最もお気に入り
の弟子になった。1913年、20歳でロンドンにデビューした。その時のプログ
ラムはチャイコフスキーの協奏曲、ラロのスペイン交響曲に加えて、ベート
ーヴェンとブラームスの協奏曲の縮刷版だった。1916年から1919年には北米
公演を行いアメリカのメジャーオーケストラのほとんどと共演し名声を高め
た。レコード録音は機械式録音時代に、世界最初の録音になるベートーヴェ
ン:ヴァイオリン協奏曲、電気初期のベートーヴェン:「クロイツエル・ソナ
タ」、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番及び第3番がHIS MASTER'S
VOICEにあり、室内楽はデッカに録音していた。この「シャコンヌ」の楽譜
の隅々まで行き届いた柔和な表情は、女流ヴァイオリニストならではのもの
で、マイクロフォンを使わない録音がヴァイオリンの音を素直にひろいあげ
ている。