クラシック輸入盤・新譜情報/グッディーズ

コメントはメーカー案内書より抜粋です。お問い合わせ:goodies2@pc.highway.ne.jp

13-07 No.1

2013年07月04日 11時52分13秒 | Weblog
★☆ダイレクト・トランスファーCD-R DSDファイルの販売開始のお知らせ☆★
当シリーズは2009年より行なってまいりましたDSD録音マスターへの移行がほぼ
完了しましたので、これまで発売しました3000番台のタイトルすべてをDSDファ
イルで販売開始いたします。

販売メディア:USBフラッシュメモリー
(4GBを使用予定。1メモリーに1タイトルを収録。メモリーのメーカーの指定は
ご容赦下さい)
ファイル形式:DSDIFFまたはDSF(タイトルによってどちらかの形式になります)
付属品:DSDディスクに付属と同じフロント&バック・インレイ 各1枚
価格:1タイトル ¥2000

DSDファイルの再生はパソコンとUSB DACの組み合わせで行えます。
昨年よりメーカー数社が、DSDダイレクト再生に対応したリーゾナブルなDACの
発売を開始しました。当店のお薦めはKORGのDS-DAC-10です。昨年11月に限定
1000台がすぐに完売となりましたが、今年再生産の出荷が開始されるました。
当店HPに商品リンクがございますので、ご利用下さい。

DS-DAC-10の商品説明
http://www.korg.co.jp/Product/Audio/DS-DAC-10/index.html
商品リンク
http://hwm3.gyao.ne.jp/goodies/open.html

DSDディスクは受注製造販売となりますので、ご注文をいただいてから発送
までにお時間をいただきますこと、ご了承下さい。

===================================

★ダイレクト・トランスファー CD-R 2013年7月新譜 5点発売★
発売予定:2013年7月下旬 価格:各1枚 ¥1500(税込)
※セット販売ではありません。1枚づつお申し込みいただけます。

33CDR-3444
モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467
(カデンツァ: R.カザドシュ)
ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K.467
(カデンツァ: モーツァルト)
ロベール・カザドシュ(ピアノ)
シャルル・ミュンシュ指揮(K.467)
サー・ジョン・バルビローリ指揮(K.595)
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
米COLUMBIA ML4791
(1948年12月20日K.467&1941年11月3日K.595録音)
ピアノのロベール・カザドシュ(1899-1972)はパリの音楽一族に生まれ、パリ音
楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1913年に音楽院の一等賞、
1920年にディエメール賞を得た。1921年にピアニストのガブリエル・ロートと
結婚、二人は四手、2台ピアノでしばしば共演した。1935年からフォンテーヌブ
ローのアメリカ音楽院で教鞭をとり、同年トスカニーニの指揮でアメリカにデ
ビューした。1940年にアメリカに移住し、カーネギー・ホールでリサイタルを開
いた。ヴァイオリニストのジノ・フランチェスカッティ(1902-1991)とのデュオ
は評判を呼んだ。戦後にヨーロッパに戻り再びフォンテーヌブローのアメリカ
音楽院で教鞭をとった。ここに収録した第27番 K.595はカザドシュのアメリカ
での初録音。以降多くの録音をCOLUMBIAに残した。指揮者のシャルル・ミュン
シュ(1891-1968)はパリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリ
ンを学び、1928年-32年ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一
ヴァイオリンをつとめ、同時に指揮法を身につけた。1938年に母校の指揮科の
教授に就任、1949年にボストン交響楽団の正指揮者となり62年までつとめた。
指揮者のジョン・バルビローリ(1899-1970)はイギリス生まれ、1936年から43年
にニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者をつとめた。この録
音はその時代のもの。

33CDR-3445
モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503
(カデンツァ: R.カザドシュ)
ギャビー・カザドシュ(ピアノ)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
ラムルー管弦楽団
米 POLYDOR-VOX PL6520
(1949年8月24日、パリ、プレイエル音楽堂録音)(仏POLYDOR 566341/7と同一録音)
(初期LP特有のノイズあり)
ピアノのギャビー・カザドシュ(1901-1999)は、マルセイユ生まれ、旧姓ガブリ
エル・ロート。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)とマルグリット・
ロン(1874-1966)に師事、16歳で一等賞を得た。1921年にローベル・カザドシュ
と結婚し、デュオでの演奏会や録音も多かった。これはSPレコード最末期の
フランスPOLYDOR録音で、LPはアメリカだけで発売された。他の録音にピアノ
協奏曲第9番 K.271「ジュノム」があった。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-
1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経て、パリ音楽院管弦楽
団、ラムルー管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者
を歴任、母校の指揮科の教授もつとめた。SPレコードに多く聴ける。

78CDR-3446
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491
(カデンツァ: J.N.フンメル)
キャスリーン・ロング(ピアノ)
エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
英 DECCA AK2075/8 (ffrr録音)
(1948年9月20-21日アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール録音)
キャスリーン・ロング(1896-1968)はロンドン郊外に生まれたイギリスのピアニ
スト。神童として名を馳せ8歳で公開演奏会で弾いた。1915年にロンドンのエオ
リアン・ホールでデビューし、1920年から1964年まで母校のロンドン王立アカデ
ミー音楽院で教鞭をとった。指揮者のエドゥアルト・ファン・ベイヌム(1901-
1959)はオランダの指揮者。アムステルダム音楽院出身。1931年にウィレム・メ
ンゲルベルク(1871-1951)の招きでアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
の次席指揮者となり、1938年からメンゲルベルクと共に首席指揮者、1945年から
メンゲルベルクの後をついで音楽監督兼終身指揮者に就任した。1959年に心臓発
作で倒れ、57歳の若さで急逝した。デッカとフィリップスに多くの名演がある。
トラック(4)で聴けるカデンツアを作曲したフンメル(1778-1837)はハンガリー
出身、ウィーンでモーツァルト家に 2年間住み込んでピアノを学んだ。1787年ピ
アニストとしてデビュー、ヨーロッパ各地を演奏旅行した。ハイドン、サリエ
リ、ベートーヴェンとも親交があった。作品はピアノ協奏曲を含むピアノ曲、
室内楽曲、ピアノ教則本もあらわした。

78CDR-3447
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
ジョージ・マルコム(ハープシコード)
英 HMV DB9676/7
(1951年8月30日録音)
ヴァイオリンのジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)はイタリアの女流奏者。
11歳でペサロ音楽院に入り、レミ・プリンチーペ(1899-1977)に師事した。1932
年にウィーン国際ヴァイオリン・コンクールで一等賞をとった。1935年にイタリ
アPARLOPHONEにバッハのブランデンブルク協奏曲第5番を録音したのが初レコー
ディング(78CDR-3275)。1941年にベルリンでブラームスのヴァイオリン協奏曲
をドイツPOLYDOR に録音した(78CDR-3174)。第2次大戦後の1948年ロンドンにデ
ビューしEMI のアーティストになった。EMIの初録音はバッハのシャコンヌ
(78CDR-3019)で、他にもSPレコードではヴィターリのシャコンヌ(78CDR-3241)、
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3113)、バッハのヴァイオリン
協奏曲第2番(78CDR-3052)がある。ハープシコードのジョージ・マルコム(1917-
1997)はイギリスの奏者。オクスフォード大学とロンドンの王立音楽アカデミー
で学び、ウェストミンスター寺院の音楽司祭をつとめたこともある。レコード
録音も多い。

78CDR-3448
J.S.バッハ:
「シャコンヌ」-無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004 より
ゾフィー=カルメン・グラマッテ(ヴァイオリン)
米 DECCA G-25820/1(独ODEON 0-6977/8と同一録音)
(1935年11月22&27日録音)
"幻のレコード" の登場。ヴァイオリンのゾフィー=カルメン・グラマッテ
(1899-1974)はモスクワ生まれ、ロシア革命で祖国を離れ、パリ音楽院に入りア
ルフレド・ブリュンとギヨーム・レミにヴァイオリンを、ゾフィ・シュネー
(1847-c.1934)にピアノを、ヴァンサン・ダンディ(1851-1931)とカミーユ・シュ
ヴィヤール(1859-1923)に作曲を学んだ。卒業後演奏家として活動、1925年には
ピアニストのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)と楽旅した記録がある。
1920年に画家のヴァルター・グラマッテと結婚したが、1929年に夫と死別した。
1934年に芸術史家でジャーナリストのフェルディナント・エックハルトと再婚、
ウィーンに住み、やがて演奏家としての活動をやめ作曲に専念した。1953年二
人はカナダのウィニペッグに移住した。グラマッテは1974年に旅行先のシュトッ
トガルトで事故死。享年72歳。没後にエックハルト=グラマッテ・ファウンデ
ーションが設立された。作曲家として多数の作品を残し、6曲のピアノ・ソナタ
はピアニストのマルカンドレ・アムランによって全曲録音された。現在ではヴァ
イオリニストとしてのレコード録音があることは忘れ去られてしまった。他に
自作自演のヴァイオリン協奏曲イ短調(独ODEON 0973/6)のSPがあった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする