クラシック輸入盤・新譜情報/グッディーズ

コメントはメーカー案内書より抜粋です。お問い合わせ:goodies2@pc.highway.ne.jp

21-03 No.2

2021年03月31日 17時38分54秒 | Weblog
★You Tubeで一部タイトルが試聴できます。
https://www.youtube.com/channel/UCMZSL60J-WC_7wzpo4_2EXg/

★ダイレクト・トランスファー CD-Rシリーズ 価格改定のご案内★
コロナ・ウィルスの影響で演奏会の中止など相次ぐ中、ご自宅でのCD鑑賞の時間
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CD-R:800円 プレスCD:1000円(税込み)

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★ダイレクト・トランスファー CD-R 2021年4月新譜 3点発売★
発売予定:2021年4月下旬発売予定 価格:各1枚 ¥800(税込み)
※セット販売ではありません。1枚づつお申し込みいただけます。

78CDR-3830 ※機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源
シューベルト:子守歌 作品98の2, D.498
1915-1937年録音
シューベルトは「子守歌」を四曲書いている。1815年に作曲した「子守歌」
Wiegenlied D.304(T.ケルナー詞)、1816年作曲の「子守歌」Wiegenlied
作品98の2,D.498の2(M.クラウディウス詞)、1817年作曲の「子守歌」
Schlaflied 作品24の2,D.527( マイルホーファー詞)、1826年?作曲の「子守歌」
Wiegenlied 作品105の2,D.867(J.G.ザイトル詞)である。今回取り上げるのは
二番目の作品98の2。なおこの曲の作詞者はM.クラウディウスとなっていたが、
最近の研究で作者不明とされた。また日本語歌詞「ねむれねむれ、母の胸に」
で始まる内藤濯訳がよく知られている。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型
カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

(1)エミー・デスティン(ソプラノ)
ワルター・B・ロジャース指揮 管弦楽団 (3:00)
Emmy Destinn(soprano) Walter B. Rodgers conducting orchestra
VICTOR 87214(U.S.)25cm片面盤
1915年1月13日録音(機械式録音) ドイツ語歌唱
エミー・デスティン(1878-1930)はプラハ生まれ。1898年20歳の時、ベルリン国
立歌劇場でデビューし大成功を収めた。その後ロンドンのコヴェント・ガーデ
ン、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のスーパー・スターになった。オー
ケストラを指揮するワルター・B・ロジャース(1865-1939)は軍楽隊のコルネッ
ト奏者出身。1904年にヴィクター・トーキング・マシン会社に入り、指揮者、
編曲者、作曲者として活躍した。

(2)三浦 環(ソプラノ) アルド・フランケッティ(ピアノ) (3:10)
Tamaki Miura(soprano) Aldo Franchetti(piano)
NIPPONOPHONE 5154(JP)(25cm盤)
1922年録音(機械式録音) (内藤 濯訳 日本語歌唱)
三浦 環(1884-1946)は日本人演奏家と初めて国際的名声をつかんだオペラ歌手。
東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)出身。1912年の初レコード録音は日本
での本格的なクラシック音楽の最初のレコードとされている。1914年医師の夫
と共にドイツ留学。第一次世界大戦(1914-1918)の勃発でイギリスに移動。翌
1915年イギリス・デビュー。同年渡米し各地で公演。1920年にヨーロッパのオ
ペラ劇場に客演。1922年に帰国した。1925年から再び海外で活動し1936年に帰
国して日本国内で活躍した。

(3)宮川美子(ソプラノ) 日本コロムビア交響楽団 (3:04)
Yoshiko Miyagawa(soprano) Nippon Columbia Symphony Orchestra
COLUMBIA 35216(JP)(25cm 両面盤)
1931年録音(電気録音) (内藤 濯訳 日本語歌唱)
宮川美子(1911-1995)はアメリカのサクラメント生まれ。1929年フランスに留学、
1931年パリのオペラ・コミック座でデビューし、宮川美子の「マダム・バタフ
ライ」が高く評価された。その年の8月に初めて日本を訪問し、全国で演奏会を
開いた。この録音は大中寅二編曲のオーケストラ伴奏でレコード会社も力を入
れた一枚だった。宮川は戦後の1946年に兄弟のいるアメリカに戻り、声楽の指
導者として活躍した。その後時々来日していたが、1995年アメリカのフロリダ
で死去した。

(4)関屋敏子(ソプラノ)
ナサニエル・シルクレット指揮 ヴィクター・サロン・オーケストラ (3:34)
Toshiko Sekiya(soprano)
Nathaniel Silkret conducting The Victor Salon Orchestra
VICTOR 13233(JP)(25cm 両面盤)
1932年ニューヨーク録音(電気録音) (内藤 濯訳 日本語歌唱)
関屋敏子(1904-1941)は大正・昭和時代前期に活躍したソプラノ歌手、作曲家。
8歳から三浦 環に師事。1937年イタリアに留学、スカラ座のオーディションに
受かり各地をまわる。帰国後オペラ、歌曲などの作曲・公演を行った。1941年
11月23日睡眠薬自殺を図った。伴奏指揮者のナサニル・シルクレット(1889-
1982)は作曲家、指揮者、ピアニスト、クラリネット奏者。1926年VICTOR社の
軽音楽部門の責任者となり多くの録音を残した。

(5)ロッテ・レーマン(ソプラノ) エルネ・バロー(ピアノ) (3:34)
Lotte Lehmann(soprano) Erno Balogh(piano)
VICTOR 1856(U.S.) 1937年3月13日録音(電気録音)(ドイツ語歌唱)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場、1914年にウィーン宮廷歌劇場にデビューした。1935年にナチス・ドイツの迫害を逃れアメリカに移住した。この録音はアメリカ時代のもの。ピアノのエルネ・バロー(1897-1989)はハンガリー生まれのアメリカのピアニスト、作曲家、教師。

(6)エリーザベト・シューマン(ソプラノ) ジェラルド・ムーア(ピアノ)(2:41)
Elisabeth Schumann(soprano) Gerald Moore(piano)
VICTOR 15168(U.S.)same as HMV DB3426(U.K.)
1937年11月29日録音(電気録音)(ドイツ語歌唱)
エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツ生まれの名ソプラノ。1909年
にハンブルク歌劇場でデビュー。1938年にアメリカに移住し1944年に市民権を
得た。彼女はオペラ、オペレッタ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを
誇った。


78CDR-3831
ドメニコ・スカルラッティ:ハープシコード・ソナタ集 第2巻(20曲)
(1)ソナタニ長調 L.206(K.490)
(2)ソナタロ短調 L.449(K.27)
(3)ソナタニ長調 L.213(K.400)
(4)ソナタハ長調 L.102(K.423)
(5)ソナタイ短調 L.138(K.109)
(6)ソナタヘ短調 L.382(K.69)
(7)ソナタヘ長調 L.520(K.276)
(8)ソナタニ短調 L.422(K.141)
(9)ソナタト短調 L.49(K.234)
(10)ソナタニ短調 L.423(K.32)
(11)ソナタニ長調 L.418(K.443)
(12)ソナタニ長調 L.14(K.492)
(13)ソナタニ長調 L.461(K.29)
(14)ソナタ変ロ長調 L.497(K.544)
(15)ソナタヘ長調 L.228(K.256)
(16)ソナタヘ短調 L.187(K.481)
(17)ソナタト長調 L.103(K.259)
(18)ソナタハ長調 L.255(K.515)
(19)ソナタニ長調 L.56(K.281)
(20)ソナタ変ロ長調 L.97(K.440)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB11205/11211
(1939年1月&1940年3月パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)によるドメニコ・スカルラッティ・ソナタ集
第1巻(78CDR-3260)の続編。第1巻の5年後の録音。録音時パリは戦火に見舞われ
Track1の演奏中に爆弾の破裂音が入っている。ランドフスカはワルソー生まれ。
1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二段鍵盤と七個
のペダルを有する自分用のハープシコードをパリのプレイエル社に特別注文し
生涯この楽器を使用した。ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)は生涯500曲
を越えるハープシコード曲を作曲した。L.はロンゴによる整理番号、K.はカー
クパトリックによる整理番号で便宜のために両方を記した。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型
カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3832
エネスコ:
ヴァイオリン・ソナタ第3番イ短調作品25「ルーマニアの民俗様式で」
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
セリニー・シャイエ=リシェ(ピアノ)
仏 COLUMBIA GFX 121/3
1948年パリ録音
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)が作曲した最後のヴァイオリン・ソナタ。
1926年11月に完成し、同年に他界したルーマニア出身のヴァイオリニスト、フ
ランツ・クナイゼル(1865-1926)に献呈された。エネスコはルーマニア出身。
1894年13歳でパリ音楽院に入りヴァイオリンをマルタン・マルシック(1848-
1924)、和声と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1928)、ジュール・マスネ
(1842-1914)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)に師事し、1899年にヴァイオ
リンで一等賞を得た。1902年にベルリンでデビュー、1910年にピアニストのエ
ドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ
全曲演奏会を開いた。録音の数は多くなかったが、それらはいずれもレコード
史上に輝く傑作と言われている。ピアノのセリニー・シャイエ=リシェ(1884-
1973)はパリ音楽院でラウル・ピュニョ(1852-1914)に師事し、1898年14歳で
一等賞を得た。彼女は1932年から1952年の間にベートーヴェンのヴァイオリン
・ソナタの全曲演奏会を何度も開いた。エネスコとシャイエ=リシェの演奏は
本シリーズですべて出そろった。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型
カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

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21-03 No.1

2021年03月02日 12時11分01秒 | Weblog
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★ダイレクト・トランスファー CD-R 2021年3月新譜 3点発売★
発売予定:2021年3月下旬発売予定 価格:各1枚 ¥800(税込み)
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78CDR-3827
機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源
1916-1936年録音

B.フリース:モーツァルトの子守歌

ベルンハルト・フリース(1770頃ベルリン生まれ-?)は医師でアマチュア作曲家
だった。この人の曲がモーツァルトの作品と間違われケッヒェル番号 K.350が
つけれていたのが、ケッヒェル第6版の番号改正のとき、フリートリッヒ・ヴェ
ルヘルム・ゴッター(1746-1797)作詞、ベルンハルト・フリース作曲ということ
になった。最近ヨハン・フリートリッヒ・アントン・フライシュマン(1776-
1798)の作曲という研究発表があった。日本語歌詞は堀内敬三(1897-1983)のも
のがよく知られている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用
MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。

(1)エミー・デスティン(ソプラノ)
IRCC 5012-A(U.S.) 1916年4月21日 キャムデン録音(機械式録音)ドイツ語歌唱
エミー・デスティン(1878-1930)はプラハ生まれ。1898年ベルリン国立歌劇場で
デビュー。その後ワーグナー未亡人の招きでバイロイト音楽祭、ロンドンのコ
ヴェントガーデン歌劇場、ニューヨークのメロポリタン歌劇場に出演スーパー
スターになった。
デスティンの録音はSUPRAPHON から1999年にThe Complete Destinn(214曲収録)
12CDsetが出ている。
(2)アルマ・グルック(ソプラノ)
VICTROLA 64590(U.S.) 1916年2月17日 キャムデン録音(機械式録音)英語歌唱
アルマ・グルック(1884-1938)ルーマニアのブカレスト生まれ。早期にアメリカ
に移住。メトロポリタン歌劇場で成功を収めた。ロシア出身の名ヴァイオリン
奏者エフレム・ジンバリスト(1889-1985)夫人となり、息子にエレム・ジンバリ
スト・ジュニア、孫にステファニー・ジンバリストがいる。
(3)フリーダ・ヘンペル(ソプラノ)
HMV DA577-A(U.K.) 1923 年6月4日 イギリス録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱フリーダ・ヘンペル(1885-1955)はライプヅィヒ生まれ。ベルリン
のシュテルン音楽院で学び、1905年にデビューした。ベルリン宮廷歌劇場、
ニューヨークのメロポリタン歌劇場に所属した。ヘンペルは1912年にの曲をベ
ルリンで録音していた(独 GRAMMOPHON 76 042)。機械式録音時代に二度の録音
は珍しい。
(4)ジークリッド・オネーギン(コントラルト)
BRUNSWICK 15070-B(U.S.) 1923年12月31日 アメリカ録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱ジークリッド・オネーギン(1889-1943)はストックホルム生まれ。
15歳の時ミュンヘンで声楽を学び、1911年にシュトゥットガルト歌劇場で「カ
ルメン」でオペラデビュー。この時の相手役ホセはエンリコ・カルーソだった。
その後ロシアの貴族で音楽家のエフゲニー・オネーギンと結婚しオネーギン姓
に改めた。
(5)マリア・クレンコ(ソプラノ)
COLUMBIA 2046-M(U.S.) 1925年4月12日録音(電気録音)
ドイツ語歌唱マリア・クレンコはロシア帝国のトムスク生まれ。モスクワ音楽
院で声楽を学び、1914年ハリコフ歌劇場でデビュー。その後ボリショイ歌劇場
でソリストをつとめた。フランスに移住してからヨーロッパ各国のオペラ劇場、
さらにミューヨークのメトロポリタン歌劇場にも出演した。米 COLUMBIA に多
くの録音を残した。これはクレンコの初録音。
(6)エリーザベト・シューマン(ソプラノ)
ローランス・コリンウッド指揮 管弦楽団
Elisabeth Schumann(soprano) Lawrence Collingwood conducting Orchestra
HMV E555(U.K.) 1930年2月17-18日 ロンドン録音(電気録音)
ドイツ語歌唱エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツ生まれのソプラノ。
1909年にハンブルク歌劇場でデビュー。ヨーロッパ各地のオペラ劇場に出演し
た。1938年アメリカに移住し1944年市民権を得た。モーヅァルト、シューマン、
シューベルトの歌曲の録音を残した。
(7)エルナ・ベルガー(ソプラノ) ハンス・アルトマン(ピアノ)
Erna Berger(soprano) Hans Altmann(piano)
POLYDOR 47068(Germany) 1936年6月16日 ベルリン録音 ドイツ語歌唱
エルナ・ベルガー(1900-1990)はドレスデン生まれ。第1次世界大戦後一家は南
米に移住し、1923年に生地のドレスデンに戻った。1925年にドレスデン歌劇場
でデビュー、その後ヨーロッパ、アメリカの歌劇場に出演した。戦後間もなく
来日しビクターに録音した。


78CDR-3828
モーツァルト:
セレナード第13番ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」
セレナード第10番変ロ長調 K.361(370a)「グラン・パルティータ」(抜粋)
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
英 HMV EJ326/7(K.525)
英 HMV DB4401/2(K.361)
1928年8月30日(K.525)& 1931年頃(K.361)ベルリン録音
レオ・ブレッヒ(1871-1958)はドイツのユダヤ系指揮者。ベルリン高等音楽院で
ピアノと作曲を修め、1893年にアーヘン市立歌劇場の指揮者になった。1899年
プラハ・ドイツ歌劇場に転出、オイゲン・ダルベルトの歌劇「低地」を初演し
た。1906年にベルリン国立歌劇場の指揮者に任命され、1913年に総監督に昇進、
以降シャルロッテンブルク歌劇場(現ベルリン・ドイツ・オペラ)、ベルリン・
フォルクスオーパー、ウィーン・フォルクスオーパーの指揮者を歴任。その後
ベルリン国立歌劇場に復帰し、1937年までに2846回の公演を指揮した。1937年
にラトヴィアのリガ国立歌劇場の音楽監督に転出、1940年にラトヴィアがソビ
エト連邦に占拠されると、モスクワやレニングラードに客演して大成功を収め、
モスクワ音楽院の院長を要請された。ブレッヒはこれを断りリガに戻ったが、
1941年ドイツ軍がリガに侵攻したとき、親しかったナチスの文芸部員の仲介で
秘密りにスエーデンに亡命、かねてから要請されていたストックホルム王立歌
劇場の楽長に就任した。戦後の1949年にドイツに帰国、シャルロッテンブルク
歌劇場の音楽監督に就任した。ブレッヒは1926-7年にフリッツ・クライスラー
(1875-1962)と共演したベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスのヴァ
イオリン協奏曲の録音で名前が知られているが、その波瀾の生涯はほとんど知
られていなかった。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用
MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3829
J.S.バッハ
フーガの技法 BWV1080(弦楽四重奏版)
ロート弦楽四重奏団
(フェリ・ロート(vn)イェネ・アンタル(vn)フェレンツ・モルナール(va)
ジャーノシュ・ショルツ(vc))
米 COLUMBIA 68257/66SD
1934年10月21-23&25日、11月1-2&16日、12月4、6、14&21日ニューヨーク録音
「フーガの技法」は1740年代バッハが50歳代半ば頃作曲をはじめたが、途中で
作曲者自身の視力低下のため未完のまま作曲が中断された。また演奏する楽器
指定はなく、一般的な鍵盤楽器で演奏されることが多い。ここではアメリカの
作曲家ロイ・ハリス(1989-1979)とメアリー・D・ハーター・ノートン(1894-
1985)による弦楽四重奏版で演奏される。ロート弦楽四重奏団はオーストリア・
ハンガリー帝国出身のヴァイオリニスト、フェリ・ロート(1899-1967)によって
1922年に設立された。全員ハンガリー出身者で構成され、1928年アメリカにわ
たり活躍、レコード録音も多い。この「フーガの技法」は代表盤。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用
MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。

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