クラシック輸入盤・新譜情報/グッディーズ

コメントはメーカー案内書より抜粋です。お問い合わせ:goodies2@pc.highway.ne.jp

10-05 No.6

2010年05月08日 13時33分32秒 | Weblog
★ダイレクト・トランスファー CD-R DSD録音 再発売シリーズ★
2006年秋に発売を開始した当シリーズもおかげさまで約250タイトルを発売
する事ができましたが、2009年2月よりマスター制作にDSD録音を採用する事
にいたしました。これまでより更に生々しい音質をお届けする事が出来るよ
うになりましたのでご期待下さい。

今月は既発売分78CDR-1140から78CDR-1154の10タイトルと、再発が延期に
なっておりました78CDR-1108の全11点をDSD録音で再発売いたします。
商品番号は78CDR-3000番となり、下3桁は共通で使用いたします。従来の
78CDR-1000番台の商品は、当面は販売を継続いたします。
DSD録音による有料サンプラー(\300)も販売開始いたしましたので、ご注文
をお待ちしております。

※78CDR-1142~46の5タイトルは、DSD録音による再発は行なわず、従来商品
でシリーズを継続いたします。78CDR-3142~3146は欠番となります。

■製作者からのメッセージ
DSD録音になったグッディーズ・ダイレクト・トランスファーCDR!
従来のCDを高音質化するさまざまな試みが盛んな中で、「グッディーズ・オ
リジナル企画」のダイレクト・トランスファーCDRは、2009年2月発売新譜か
らDSD録音を採用することになりました。DSD録音によって、これまでのSP
復刻からさらに飛躍し、SPレコードの直接再生と区別がつかないところに
到達したと自負しています。DSD録音は従来の方式に較べて中音から低音にか
けての音の形が明瞭になり、高音は一皮剥けた感じです。LPとは比較にな
らない強大な音響勢力を持つSPレコードをカスタムメイドの直熱真空管
フォノイコライザーを使用し、またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最
も気を配り一切のノイズリダクションを使用していないのは従来通りです。
(新 忠篤)

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★ダイレクト・トランスファー CD-R DSD録音 再発売シリーズ★
2010年5月新譜 11タイトル
発売予定:2010年5月下旬 価格:各1枚 \1500(税込)
※セット販売ではありません。1枚づつお申し込みいただけます。

78CDR-3108
モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調 K.271a
モーツァルト(A.バッハマン編):
ディヴェルティメント第17番ニ長調 K.334からメヌエット
ドニーズ・ソリアノ(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮管弦楽団(協奏曲)
アンドレ・レルミット(ピアノ)(メヌエット)
仏 Pathe PAT143/6
(1939年3月14&15日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ドニーズ・ソリアノ(1916-2006)はパリ音楽院の名ヴァイオリン教授ジュール
・ブーシュリ(1878-1962)に師事したカイロに生まのフランスの女流ヴァイオ
リニスト。1932年16歳でパリ音楽院の一等賞を得た。1934年にはピアノのマグ
ダ・タリアフェロと録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番がディス
ク大賞を受賞した。ソリアノはソリストとしての活動の傍ら、ブーシュリ教
授の片腕として後進の指導にあたり、後に結婚してブーシュリ夫人になった。
ソリアノは2006年3月5日パリの病院で90歳の生涯を閉じた。指揮者のシャルル
・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれのフランスの指揮者、録音
当時パリ音楽院の指揮科の教授だった。モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲
第7番ニ長調 K.271a はモーツァルトが21歳の時に作曲されたと伝えられた曲
だがオリジナル楽譜は存在せず、19世紀中頃に作成された筆写譜に基づいた
楽譜が1927年に出版された。1932年に当時16歳だったユーディ・メニューイ
ン(1916-1999)によって初録音されたが現在ではモーツァルトの作品ではない
疑作に分類されている。ソリアーノの演奏はモーツァルト:ヴァイオリン協奏
曲第3番 K.216(指揮:ジュール・ブーシュリ)(78CDR-1031)とモーツァルト:
ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454(ピアノ:マグダ・タリアフェロ)
(78CDR-3027)が出ている。

78CDR-3140
ヴィヴァルディ=ダンドロー編:
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品3-9 「調和の幻想」より
フォーレ:子守歌作品16
ドニーズ・ソリアノ(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮管弦楽団
仏 PATHE PAT154/5
(1939年9月5日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ドニーズ・ソリアノ(1916-2006)はパリ音楽院の名ヴァイオリン教授ジュール
・ブーシュリ(1878-1962)に師事したカイロに生まのフランスの女流ヴァイオ
リニスト。1932年16歳でパリ音楽院の一等賞を得た。1934年にはピアノのマグ
ダ・タリアフェロと録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番がディスク
大賞を受賞した。ソリアノはソリストとしての活動の傍ら、ブーシュリ教授の
片腕として後進の指導にあたり、後に結婚してブーシュリ夫人になった。ソリ
アノは2006年3月5日パリの病院で90歳の生涯を閉じた。指揮者のシャルル・
ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれのフランスの指揮者、録音当
時パリ音楽院の指揮科の教授だった。ソリアノの演奏はモーツァルト:ヴァイ
オリン協奏曲第3番 K.216(指揮:ジュール・ブーシュリ)(78CDR-3031)、ヴァイ
オリン協奏曲第7番 K.271a(78CDR-3108)、とモーツァルト:ヴァイオリン・ソ
ナタ第40番変ロ長調 K.454(ピアノ:マグダ・タリアフェロ)(78CDR-3027)、
ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(ピアノ:エーヌ・ピニャリ)
(78CDR-3047)、フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番作品13(ピアノ:マグダ・
タリアフェロ)(78CDR-3135)、アーン:ヴァイオリン・ソナタ ハ長調&ロマン
ス イ長調(78CDR-3244)が出ている。

78CDR-3141
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:ヨアヒム)
オシー・レナルディ(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
英 DECCA AK2055/59
(1948年9月13-15日アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール録音)
オシー・レナルディ(1920-1953)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。11歳
で演奏旅行をするほどの技量を持っていた。13歳の時にウィーンで正式デビュ
ー。1937年にアメリカに渡り大戦前夜を過ごした。1941年米国陸軍に入隊、
2年後に除隊しステージに立った。レナルディが最も評判をとったのはカーネ
ギー・ホールの演奏会で弾いたパガニーニの12の奇想曲だった。このデッカ
録音は1948年9月のアムステルダムで行われた。録音時レナルディは28歳だっ
た。レナルディは1953年自動車事故で世を去った。享年33歳。シャルル・ミュ
ンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれのフランスの名指揮者。1949年か
ら1962年までボストン交響楽団の首席指揮者をつとめた。ffrr録音。

78CDR-3147
サラサーテ:アンダルシアのロマンス作品22-1
ザルジツキ:マズルカ ト長調作品26
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
ジークフリート・シュルツェ(ピアノ)
伊 ODEON N6667
(1929年6月10-11日ロンドン録音)
この「アンダルシアのロマンス」は電気録音初期のものながらフーベルマンの
小品レコードの代表盤だった。ヴァイオリンを自在に操り聴き手を自らの世界
に引き込んでいく魔術的な演奏である。ブロニスワフ・フーベルマン(1882-
1947)ポーランド出身のヴァイオリニスト。1892年10歳の時に大ヴァイオリニ
スト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリン・デビュー。3年後の
1895年13歳の時に名ソプラノ、アデリナ・パッティ(1843-1919)に招かれウィ
ーンでの「パッティ告別演奏会」で演奏した。このシリーズにはラロ:スペイ
ン交響曲(78CDR-3040)、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3077)、
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3021)、ベートーヴェン:ヴァ
イオリン協奏曲(78CDR-3128)、J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番(78CDR-
3328)、ベートーヴェン:クイロイツェル・ソナタ(78CDR-3006)が出ている。

78CDR-3148
クライスラー:グラーヴェ ハ長調(W.F.バッハのスタイルによる)
スーク:ウン・ポコ・トリステ/「4 つの小品」作品17より第3曲
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(ピアノ)
独 ELECTROLA DB4577
(1938年ベルリン録音)
ジネット・ヌヴー19歳の初録音盤。ジネット・ヌヴー(1919-1949)はジョルジュ
・エネスコ(1881-1955)にヴァイオリンの手ほどきを受けた後、11歳でパリ音
楽院のジュール・ブーシュリ(1877-1962)のクラスに入り、8カ月後に一等賞を
得た。この8カ月という短期間はヌヴー受賞の50年前にヴィエニャフスキ(1835
-1880)が打ち立てた記録と同じだった。その後ベルリンでカール・フレッシュ
(1873-1944)のもとで研鑽を積んだ。1935年ワルシャワで開かれたヴィエニャ
フスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し、180人の競争者に勝ち抜
き優勝した。その時の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラ
フ(1908-1974)だった。ヌヴーは1949年アメリカに向かう航空機事故で30歳の
生涯を閉じた。このシリーズでシベリウス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3017)、
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3003)、スーク:4つの小品(78CDR-3063)、
R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3076)が出ている。

78CDR-3149
ラヴェル:ハバネラ形式の小品
フォーレ:ドリー第1番「子守歌」作品56
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
タッソ・ヤノプーロ(ピアノ)
仏 DISQUE GRAMOPHONE DA4999
(1944年5月28日パリ、プルーズ・スタジオ録音)
ティボーの小品SP盤の中で最も入手が難しい稀少盤。第2次世界大戦下のパ
リでの録音。ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフラン
スの大ヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院のマルタン・
マルシック(1848-1924)に師事し、1896年16歳で一等賞を得た。生活のために
カフェのコンセール・ルージュで弾いていたところを指揮者のエドゥアール・
コロンヌ(1838-1910)に見いだされて楽員に採用された。そのとき、ティボー
の親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)も
コロンヌの楽員になった。1905年にピアノのアルフレッド・コルトー(1877-
1962)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とトリオを結成し1930年頃ま
で活動した。ティボーは1923年と1936年に来日、1953年の3度目の来日のとき、
乗っていたエール・フランス機がアルプスの支峰スメ山に激突して死亡した。
享年72歳。このシリーズでティボーの演奏が多く出ている。

78CDR-3150
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン作品20
イダ・ヘンデル(ヴァイオリン)
アイヴァー・ニュートン(ピアノ)
英 DECCA K1842
(1947年6月14日ロンドン、ウェスト・ハムステッド、デッカ・スタジオ録音)
現在も第一線で活躍するイダ・ヘンデルの21歳の録音。彼女は15歳で同じ
「ツィゴイネルワイゼン」(英DECCA K940、ピアノ= アデーラ・コフスカ1940
年8月9日録音)を弾いてレコードデビューした。イダ・ヘンデル(1924.12.15-)
はポーランド生まれ。1935年ワルシャワ音楽院で金メダルとフーベルマン賞を
得た。同年開かれたヴィエニャフスキ国際コンクールでジネット・ヌヴー
(16歳)、ダヴィド・オイストラフ(27歳)に次いで第3位に入賞、その時10歳
だった。その後カール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。ヘンデル一家は
1939年祖国ポーランドを離れロンドンに移住し、1940年に市民権を得た。その
年英デッカと契約し初録音を行った。第2次世界大戦中であったにも関わらず
50枚近い録音を行いデッカ社の看板アーティストになった。その後EMIに移籍
し、一時レコード録音から遠ざかった時期があったが、ステレオ時代にEMIに
復帰した。現在も積極的に演奏活動をしている。

78CDR-3151
ベートーヴェン:ロマンス ヘ長調作品50
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
アルベルト・エレーデ指揮
フィルハーモニア管弦楽団
英 HIS MASTER'S VOICE DB6727
(1948年5月8日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
歌心にあふれたヴァイオリンの女神、デ・ヴィトー最高の名演。ジョコンダ・
デ・ヴィトー(1907-1994)はイタリアのヴァイオリニスト。マルティナ・フラ
ンカに生まれ、ペザロ音楽院でレミー・プリンチーペ(1889-1977)に師事、
1923年16歳でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾いてローマにデビュ
ーした。1932年ウィーン国際ヴァイオリン・コンクールで一等賞を得た。
1934年から1945年にローマ音楽院教授、1945年から1958年サンタ・チェチーリ
ア音楽アカデミー教授を務めた。1945年第1回エディンバラ音楽祭に招かれ、
これが縁でEMIの専属となり、SPレコード末期からLPレコード、初期のス
テレオLPに名演を残した。1962年に引退し1994年にローマで死去。享年87歳。
このシリーズではJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR
-3019)、J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番(78CDR-3052)、モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3113)、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
(78CDR-3174)、ヴィターリ=レスピーギ編:シャコンヌ(78CDR-3241)が出ている。

78CDR-3152
フォーレ:ピアノ四重奏曲第2番ト短調作品45
マルグリット・ロン(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
モーリス・ヴィユー(ヴィオラ)
ピエール・フルニエ(チェロ)
仏 DISQUE GRAMOPHONE DB5103/5
(1940年5月10日パリ、アルベール・スタジオ録音)
20世紀のフランスの巨匠4人が一堂に会した夢の顔合わせである。ピアノのマ
ルグリット・ロン(1874-1966)、ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-
1953)、ヴィオラのモーリス・ヴィユー(1884-1966)、チェロのピエール・フル
ニエ(1906-1986)はいずれもパリ音楽院出身で、全員一等賞を得た抜きんでた
音楽家。この録音が行われた1940年5月10日はドイツ軍がベルギー、オランダ、
ルクセンブルグのベネルックス3国に侵攻し無差別攻撃をした日だった。この
ニュースは録音中の演奏家達に知らされた。ティボーの長男ロジェがベルギー
方面に従軍していることを全員知っていたので、悲痛な気分で演奏に没頭した
という。そして録音の翌々日の5月13日にロジェが戦死した報せがティボーの
もとにとどいた。この演奏は完璧な完成度を持った希有の名演奏である。

78CDR-3153
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K466
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
独 GRAMMOPHON 69274/7
(1941年ドレスデン録音)
ドイツの名ピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)の壮年期の演奏で
第2次世界大戦中の録音である。指揮者のパウル・ファン・ケンペン(1893-
1955)はオランダの指揮者。戦中戦後を通じてドイツで活躍しレコード録音も
多かった。だがファン・ケンペンは大戦中に祖国を離れ、敵国ドイツで活動し
たことをオランダ人は許さず、戦後ボイコット運動が起こり不遇のうちに世
を去った。ケンプ=ケンペンのコンビによるSP録音はベートーヴェン:ピア
ノ協奏曲第3番(78CDR-3112)、ピアノ協奏曲第4番(78CDR-1120)がこのシリー
ズで発売されている。

78CDR-3154
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調作品104
*この盤は元録音の第4面において収録途中から回転数の変動がありますが、修
正は行わずそのまま収録しています。ご了承をお願いいたします。
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
ミヒャエル・タウベ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
米 DECCA 25300/304(英PARLOPHON P.E.10856/8 と同一録音)
(1928年-1930 年ベルリン録音)
チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生ま
れ。ライプツィヒの音楽院で名教授ユリウス・クレンゲル(1859-1933)に師事
した。1929年ベルリン高等音楽院の教授になり斎藤秀雄(1902-1974)も教えた。
ナチスを逃れて一時スイスの居を構えたが、1938年アメリカに移住した。フィ
ラデルフィアのカーティス音楽院で教える一方、ヴァイオリンのハイフェッ
ツ、ピアノのルービンシュタインと "百万ドル・トリオ" を結成して活躍し
た。1942年に40歳の若さでニューヨークで死去した。指揮者のミヒャエル・
タウベ(1890-1972)は、1924年にベルリン国立歌劇場に入りブルーノ・ワルタ
ー(1876-1962)のアシスタントを務め1935年にイスラエル・フィルの育成に尽
力した。フォイアマンはこのシリーズでベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番
(78CDR-3045)、シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ(78CDR-3161)が出ている。

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