野へ山へ

2004年~

青森旅行 1(青い森鉄道、他)

2019年02月12日 | 日々

まずは青い森鉄道に乗りました。


青森駅から八戸方面へ向かう。
車両の先頭に立ち、吹雪の中を走る青い森鉄道を体感しました。
ワンマンカーで、若い女性の運転手さんでした。
往く手は雪で覆われ、線路も枕木も見えません。写真左下の木みたいなものは
フロントガラスに付いた雪です。


青森駅は吹雪でしたが、トンネルを抜ける毎に積雪が少なくなり、お天気が良くなりました。


八戸(はちのへ)で下車。
☆本当は遠藤先輩(学生時代のワンゲルの先輩)が住む、三戸(さんのへ)駅か、
県境である目時(めとき)駅まで行きたかったのですが、
青森へ戻る時間を考慮すると、八戸までがいっぱいいっぱいでした。


フラットな先頭車両の顔面に鼻が出来ていました。


青い森鉄道のマーク


青森ー八戸間は所要時間が1時間30分くらいで、片道2、280円でした。
土日祝ならフリー切符があったのですが・・・


JR/青い森鉄道 八戸駅
初めて訪れた八戸。
青森よりお天気が良く、雪もぐっと少なかったです。
駅周辺数キロ範囲をぶらぶらとあてなく散策しました。


行き当たりばったりの旅は、的を外しているかもしれませんが、
それはそれで楽しいものです。
小さな食堂に入り、定食を食べました。
お店を切り盛りしている奥様が、
「夕べ一晩で70cm、積もったよ。どうして?こんな寒い時に、
青森来たの?でも今が一番いい時だけどね。」と
青森弁で温かい会話をして下さいました。
数時間、街を散策し、再び青い森鉄道で青森へ。


荒涼とした雪原の風景、ホームが雪で埋まっている様な駅、
学生が頻繁に乗り降りする区間、思わず下車したくなった浅虫温泉駅・・・
冬景色の車窓からは目が離せませんでした。


青森駅到着。
またいつか乗車し、その時はきっと終点まで乗りたいと思います。


ノートレースのホーム
改札を出たものの、夕飯には早いので、港の方へ行きました。


岸壁に『青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸』が停留されていました。
昭和63年3月に廃止になった青函連絡船ですが、
私は学生時代に乗船したことがあり、とても懐かしかったです。
それは北海道合宿で、重いキスリングを背負って、二等船内に重い気持ちで乗船した、
遥か遠い思い出です。


閉館時間だったので、帰るまでに必ず訪れようと決めました。


就航当時は、青森駅から線路が船の中へ桟橋で延びており、電車ごと乗船していたのですね、
今考えればすごいシステムだなぁ・・と改めて驚きました。


ここの場所へ来るまで、積雪はお腹まであり、ツボ足ラッセルでした。
でもサラサラの雪なので、服も靴もまったく濡れなかったです。


夕飯は青森の郷土料理とお酒に浸りました。
外は極寒でしたが・・・青森の人々は皆温かく、男女ともお酒が強く・・
女の人は老若とも肌がおきれいでした。


夜の街
メイン道路は融雪していましたが、中の通りに入るとびっしり雪道で。
雪国の夜の裏通りを歩きたかったので、酔い覚ましも兼ねて歩き回りました。


青森の夜は静かに更けていきます。

2018.2.8(金)~
 青森旅行1
行程:伊丹空港=青森空港=(バス)=青森駅=(青い森鉄道)=八戸=青森駅

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