マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

06.8.3    握り・大阪の流儀

2006-08-03 12:23:03 | Weblog

   
     

頑なに鮨は江戸前でなければならぬ、と思っていた時期もあったが、もうそういうのはしんどくなってきた。もういいや…回転でも。だが、好ましいのは江戸前という気持ちに揺るぎはない。江戸前とは寿司飯に合うように、あらかじめ魚を塩で締め、酢や醤油に漬け、煮たり蒸したり、下仕事を施してある種を握り、一瞬にして飯と魚を馴らす、ここに妙味がある。関西にありがちな鮮度だけの魚では身が活かっていてご飯には合わない。でもまぁ諦観といいますか、大阪には大阪のにぎりがある、と昨今思えるようになってきたぁ。

谷九にある「寿司八正」は、なりはごく普通の寿司屋。店内を見て判る通り、酒が過ぎるとひっくり返るような腰掛だ。長居には向かない。こういう庶民的な店が駅裏や新世界や大阪のそこら中にあった。でもこう大衆店見えて、魚も木津市場から仕入れる一級品、価格もそれなりに行くから、客は勘定の場で慌てたりする。
     
こちらのプレゼンテーションの仕方が懐かしい。醤油は客が刷毛で塗る、皿は積み重ねる…この大衆的スタイルを固持する。なんだか30年前の大阪のようで、ああ大阪の寿司もそれなりに歴史を刻んできたのだなぁと思わせるだけの重みがある。八正の話ではないが、今どき「ネタが大きい」ということを看板に商売している店があること自体、(魚だけに)コンサバティブというか。寿司は飯と魚のバランスであって、魚をモゴモゴと食いたいのならば造りを食えばいい話でね。
      
刷毛の醤油はどうかと思いながら今日まで来た。刷毛を醤油壷に戻すという事はですよ、二度漬けお断りの串カツ店のソースみたいになってくるではないか。店によってはワサビも溶かしてあって、鯉が暴れた後の古池の水みたいになり清潔感がなくてイヤだったが、まぁ今ではこれも許す…

寿司飯もタネも全体に大ぶりなところが昔風だ。淡路産の海胆はこぼれんばかり、自家製イクラ漬けはこぼしてある。ハモは炎で炙って梅肉、カワハギは肝を乗せてちり酢。寿司飯は大阪の古い店にありがちなのだが、酢が足りない。飯を漬け込んで発酵させる代わりに酢を使うのだから、きちっと酢飯にした方がスジというものではなかろうか。八正、いかにもオールドファッションな、古きよき大阪のにぎり寿司を守る店だ。このスタイルも、さらにこの先守り続ける事で価値が出てくるものと信じる。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

06.8.02   志ん朝さんの羽織

2006-08-03 02:01:01 | 芸能

           
                       

桂坊枝さんが独演会の際、亡くなった志ん朝師匠にゲスト出演をお願いし「オレでよけりゃいいよ」と受けてもらい、なんと大それたことしやがるんだ…と文枝師匠に怒られたという。「オレが気を使うぢゃないか」ということだろう。
高座がはねた後、「ねぇ坊枝、行くんだろ?」という調子で酒場を共にしたという。こういう席で志ん朝さんの素顔を見て、江戸っ子の機微に触れる愉しさったらないだろう。金の払いなんかも粋だったんだろうな。飲ませてもらったからぢゃないだろうが、上方の幕内の人間にはずい分と志ん朝ファンがいるらしい。

坊枝さんには形見分けの話がある。没後、矢来町の奥さんから電話があり、坊枝さんに羽織をお渡ししたいという。羽織なんてのは周囲の噺家たちが一番欲しがるものだ。「私なんかが…」と思ったけど頂けるものなら有難く頂きますという。届いてみると古今亭の家紋鬼蔦ではなく三遊亭の三つ組橘だったという。
はは~ん、古今亭のはみんな分けられた後に、これが残ったのだと考えた。では、なんで師匠の箪笥に三遊亭の羽織があるのか・・・ハタと思い当たった。分裂さわぎの際に行動を共にした、円生師匠の形見分けとして志ん朝さんに渡ったものに違いないという結論に達した。落語殿堂があるならば当然ガラスケースの中に陳列されるものである。円生~志ん朝の二人の名人を経て、どエライものが坊枝さんの手元に入った。好事家には高値の付くお宝にちがいない。「で、それはそのまんまとってあるの?」「いや、着てみたよ」
それでいっぺんに値崩れした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする