桂坊枝さんが独演会の際、亡くなった志ん朝師匠にゲスト出演をお願いし「オレでよけりゃいいよ」と受けてもらい、なんと大それたことしやがるんだ…と文枝師匠に怒られたという。「オレが気を使うぢゃないか」ということだろう。
高座がはねた後、「ねぇ坊枝、行くんだろ?」という調子で酒場を共にしたという。こういう席で志ん朝さんの素顔を見て、江戸っ子の機微に触れる愉しさったらないだろう。金の払いなんかも粋だったんだろうな。飲ませてもらったからぢゃないだろうが、上方の幕内の人間にはずい分と志ん朝ファンがいるらしい。
坊枝さんには形見分けの話がある。没後、矢来町の奥さんから電話があり、坊枝さんに羽織をお渡ししたいという。羽織なんてのは周囲の噺家たちが一番欲しがるものだ。「私なんかが…」と思ったけど頂けるものなら有難く頂きますという。届いてみると古今亭の家紋鬼蔦ではなく三遊亭の三つ組橘だったという。
はは~ん、古今亭のはみんな分けられた後に、これが残ったのだと考えた。では、なんで師匠の箪笥に三遊亭の羽織があるのか・・・ハタと思い当たった。分裂さわぎの際に行動を共にした、円生師匠の形見分けとして志ん朝さんに渡ったものに違いないという結論に達した。落語殿堂があるならば当然ガラスケースの中に陳列されるものである。円生~志ん朝の二人の名人を経て、どエライものが坊枝さんの手元に入った。好事家には高値の付くお宝にちがいない。「で、それはそのまんまとってあるの?」「いや、着てみたよ」
それでいっぺんに値崩れした。
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