blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

2011年6月12日 見学者あり

2011-06-13 | 農作業

久々の農園案内

第3農園まで案内すると早速 農作業を始めた

農園は初めての人だったが経験者ばかりで段取りよく動いてくれた

作業内容

トマト、ナスの芽かき、誘引、稲わらマルチ、除草作業
レタスの撤去、キャベツの収穫、ジャガイモの収穫、芝刈作業

今回の見学者、大学の先生やコンサルタント、
精神障害者のケアースタッフ等全員が社会人、多士済々
それぞれ、楽しみな出会いになった。

キュウリ - 福祉農園 野菜の 日記 - Yahoo!ブログ


2011年6月11日 大震災から3ヶ月

2011-06-12 | 農作業

[作業内容]
・農機具(三角鍬)、ほうきの補修
・シャッター小屋の整理

本日作業は13時すぎに切り上げました。

雨が降っていましたので、普段やらない作業を中心に。
また、先日の代表のメールも踏まえながらながら、
あるいは震災から3ヶ月という節目も踏まえながら、
どう農園を続けていくか、
 

安全を考えていくか、について話をしました。
早く作業をきり上げた後、
代表と石井さんと共に、
場所を変えて引き続き今後の農園について話をしました。
3ヶ月経って尚不安定で油断できない状況である中、
農園を続けると決断した我々が、
ではどうやって確実に続けていくのか。
放射能時代というフェーズにおいていかに
情報を収集し考えて動いていくか。
私はひたすら黙って話を聞く事ばかりでしたが、
ただ20年30年先まで範囲に含めて構想していたことに、
やはり放射能と根深く付き合っていかなければならないと思うばかりでした。
by 諒

福祉農園の土壌は黒ボク土 
黒ボク土は一般に当てはまるCECの高さ
→セシウムを土壌鉱物に吸着させ、
植物への移行を抑止する腐植の多さ
→同様にセシウムの植物移行を抑止する。 
地下の(汚染されていない)有機物の多さ
→外部からのバイオマスを入れなくても、それが貯金となる。
→天地返しによる農業土木的方法も使える。
※もちろんストックなので補充が必要ですが。
などを考えると福祉農園は周辺台地部の土壌に比べて、
対放射能の中で農業をしやすい環境にあると思われました。
土壌中の粘土及び腐植などは、マイナスに荷電しており、
陽イオンを引き付ける力がある。
そのため、陽イオン(カルシウム、マグネシウム、カリウム、
ナトリウム、アンモニウム、水素など)を吸着し保持する。
一般的に、この容量が大きいほど養分の保持力が大きいといわれ、
肥沃土の高い土壌である。
土壌ごとの値
砂丘未熟土:数cmol(+)・kg-1程度
灰色低地土:10~20cmol(+)・kg-1程度  
黒ボク土:20~50cmol(+)・kg-1程度
褐色森林土:20cmol(+)・kg-1程度
ラテライト:数cmol(+)・kg-1以下
単位:以前は、meq/100gが使われていたが、
現在はSI基本単位とSI接頭辞により表すことになったため、
cmol(+)・kg-1となった。
石灰の施用: 石灰の施用は、土壌pHが低い場合に行われるが、
CECの値が大きい場合には多量に施用しないとなかなかpHが上がらないが、
CECが低い場合には少量でpHが上昇するので注意が必要である。
CEC(Cation Exchange Capacity)=陽イオン交換容量とは、
一定量の土壌が保持できる陽イオンの量。
Cation【名詞:化学】 カチオン,陽イオン


代表からのメール
震災後、
タイから帰国した事務局長などと


サバイバルキャンプ2011の開催に関して
中止も含めて検討した。
放射能土壌汚染への懸念。
東電福島原発の動向を見ながら開催に踏み切った。


6月4日のプレキャンプの勉強会で


今後予想される余震や本震、それによる社会混乱。
放射能土壌汚染や福島第1原発の事態に対する検討をしないのは何故か。
「想定外のこと」は検討する必要がないと云うことなのか。
想定外の事態を乗り越える力を発揮することが出来るかが
サバイバルキャンプを行う意味だと思ってきた。
大地震も大津波も、原発の事故も想定されていた、
政治家・役人・学者・経済人ように
それを「想定外」として責任逃れをすることは私たちには出来ない。

だだわらす子のひとり言


作家村上春樹さんのスピーチ 1

2011-06-11 | 龍神伝心

【バルセロナ共同】

9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。

(原文のまま)

 「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。

サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。

長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。

どうしてそんなに時間がかかったかというと、

たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、

女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。

それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。

この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、

もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、

もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。

地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1・8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、

その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。

場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。

39メートルといえば、

普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。

海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、

そのうちの九千人近くが行方不明のままです。

堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、

未だに遺体も見つかっていません。

おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。

そのことを思うと、

もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。

生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、

家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。

根こそぎ消え失せた集落もあります。

生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、

どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。

日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。

毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。

各地で活発な火山活動があります。

そしてもちろん地震があります。

日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、

危なっかしいかっこうで位置しています。

我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、

地震については予測がつきません。

ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、

別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。

おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、

マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、

多くの学者が予測しています。

それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。

もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、

それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、

正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、

東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。

人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。

『6.11脱原発100万人アクション』完全ライブ中継プロジェクト


作家村上春樹さんのスピーチ 2

2011-06-11 | 龍神伝心

 なぜか?

あなたはそう尋ねるかもしれません。

どうしてそんな恐ろしい場所で、

それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?

恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。

いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、

ということです。

この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、

すべてはとどまることなく変移し続ける。

永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。

これは仏教から来ている世界観ですが、

この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、

日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、

古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、

いわばあきらめの世界観です。

人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。

しかし日本人はそのようなあきらめの中に、

むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、

夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。
それも集団的に、習慣的に、

そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。

桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、

その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

  

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、

ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。

我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。

そしてそれらがただ美しいばかりでなく、

目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、

鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。

美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、

果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。

しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、

ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、

被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。

あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、

普段から地震に馴れている我々でさえ、

その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。

無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、

復興に向けて立ち上がっていくでしょう。

それについて、僕はあまり心配してはいません。

我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。

いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。

壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、

我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。

どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。

少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。

ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。

好むと好まざるとにかかわらず、

そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、

簡単には修復できないものごとについてです。

それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。

それらはかたちを持つ物体ではありません。

いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。

機械が用意され、人手が集まり、

資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

  

 僕が語っているのは、

具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、

福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、

少なくとも三基は、修復されないまま、

いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。

メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、

おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。

風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、

原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。

畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。

そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。

その被害は日本ばかりではなく、

まことに申し訳ないのですが、

近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、

その原因はほぼ明らかです。

原子力発電所を建設した人々が、

これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。

何人かの専門家は、

かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、

安全基準の見直しを求めていたのですが、

電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。

なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、

大金を投資するのは、

営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、

原子力政策を推し進めるために、

その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、

もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。

その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、

土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。

我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

『6.11脱原発100万人アクション』完全ライブ中継プロジェクト


作家村上春樹さんのスピーチ3

2011-06-11 | 龍神伝心

日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。

我慢することには長けているけれど、

感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。

そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。

でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、

そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、

あるいは黙認してきた我々自身をも、

糾弾しなくてはならないでしょう。

今回の事態は、

我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、

核爆弾を投下された経験を持つ国民です。

1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、

米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、

合わせて20万を超す人命が失われました。

死者のほとんどが非武装の一般市民でした。

しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、

生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、

時間をかけて亡くなっていったということです。

核爆弾がどれほど破壊的なものであり、

放射能がこの世界に、人間の身に、

どれほど深い傷跡を残すものかを、

我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。

ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。

どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、

経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、

その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。

そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、

我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。

その力の脅威にさらされているという点においては、

我々はすべて被害者でありますし、

その力を引き出したという点においては、

またその力の行使を防げなかったという点においては、

我々はすべて加害者でもあります。

  

 そして原爆投下から66年が経過した今、

福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、

周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。

それをいつどのようにして止められるのか、

まだ誰にもわかっていません。

これは我々日本人が歴史上体験する、

二度目の大きな核の被害ですが、

今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。

我々日本人自身がそのお膳立てをし、

自らの手で過ちを犯し、

我々自身の国土を損ない、

我々自身の生活を破壊しているのです。

  

 何故そんなことになったのか?

戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、

いったいどこに消えてしまったのでしょう?

我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、

何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

  

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。

つまり利益が上がるシステムであるわけです。

また日本政府は、とくにオイルショック以降、

原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。

電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、

原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、

日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。

国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、

世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。

既成事実がつくられてしまったわけです。

原子力発電に危惧を抱く人々に対しては

「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。

国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。

高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、

ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、

「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。

効率的であったはずの原子炉は、

今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、

無惨な状態に陥っています。

それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、

実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。

それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、

そのような「すり替え」を許してきた、

我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。

我々は電力会社を非難し、政府を非難します。

それは当然のことであり、必要なことです。

しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。

我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。

そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。

そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

  1. 『6.11脱原発100万人アクション』完全ライブ中継プロジェクト

作家村上春樹さんのスピーチ 4

2011-06-11 | 龍神伝心

ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、

原爆開発の中心になった人ですが、

彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。

そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、

言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、

この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。

それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、

社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、

国家レベルで追求すべきだったのです。

たとえ世界中が

「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。
それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、

我々は原爆体験によって植え付けられた、

核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。

核を使わないエネルギーの開発を、

日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、

我々の集合的責任の取り方となったはずです。

日本にはそのような骨太の倫理と規範が、

そして社会的メッセージが必要だった。

それは我々日本人が世界に真に貢献できる、

大きな機会となったはずです。

しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、

その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、

我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。

またそれを克服することによって、人の精神がより強く、

深いものになる場合もあります。

我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、

それを専門とする人々の仕事になります。

しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、

それは我々全員の仕事になります。

我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、

彼らが受けた痛みや、

負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、

その作業に取りかかります。

それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。

晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、

土地を耕し、種を蒔くように、

みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。

一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、

言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。

我々は新しい倫理や規範と、

新しい言葉とを連結させなくてはなりません。

そして生き生きとした新しい物語を、

そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。

それは我々が共有できる物語であるはずです。

それは畑の種蒔き歌のように、

人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。

我々はかつて、まさにそのようにして、

戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。

その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、

我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。

生まれた生命はただ移ろい、

やがて例外なく滅びていきます。

大きな自然の力の前では、人は無力です。

そのような儚さの認識は、

日本文化の基本的イデアのひとつになっています。

しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、

そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、

それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、

そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、

このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。

我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。

依って立つ文化も異なっています。

しかしなおかつそれと同時に、

我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、

世界市民同士でもあります。だからこそ、

日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、

人々の手に取られることにもなるのです。

僕はそのように、

同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。

夢を見ることは小説家の仕事です。

しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。

その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、

多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、

力強く生き続け、

豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。

]我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、

あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、

そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、

どんなに素敵だろうと思います。

それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、

悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、

再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。

我々は夢を見ることを恐れてはなりません。

そして我々の足取りを、

「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。

我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。

人はいつか死んで、消えていきます。

しかしhumanityは残ります。

それはいつまでも受け継がれていくものです。

我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、

地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に

、義援金として寄付させていただきたいと思います。

そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、

ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。

そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、

深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)

 『6.11脱原発100万人アクション』完全ライブ中継プロジェクト


 6月5日 サバイバルキャンプ2011 プレキャンプ2日目

2011-06-10 | 農作業


キャプテンが朝から来てぺんぎん村のタマネギの収穫をしていた   
 
前日収穫したタマネギを芝生広場を広げ乾燥、そして小屋につるす 
 
 
 
40人以上の人が集い
共に汗をかき共に語りあった
2日間を振り返って作業取り纏め
 
  
 
 ビギナー | 白いきりん
 
  残ったメンバーで昼食を楽しむ
 

2011年6月4日 共に汗をかき共に食らい共に語る

2011-06-10 | 農作業

共に汗をかき共に食らい共に語る  
 共に汗をかき共に食らい共に語る
埼玉大学の夜間に通いながら働いている方のお話を聞いたりすることは、とても貴重な体験だと考えています。
自分とは異なった環境で生きてきた人々の考え方は、自分とはやはり異なっていて、
全然違うと思ったり、共感できないと感じたりしますが、そういった考え方もあるのだな、
と新しい視点も見えてきて、新たな発見をすることができます。
こういった柔軟な思考を持つことは、これから生きていく上で重要だと考えます。
地震がおきたときの対応も、自分自身で柔軟な考え方が出来れば、その時々の対応が出来ると思います。
これからの課題は、そういったさまざまなお話をお聞きするために、自分から積極的に話しかけ、
何がしかの話題について真剣に話し、それを吸収することだと思います。
今回の反省点としては、勉強会でも言いましたが、やはり体力がないので、
夏までに体力をつけることが先決だなと思いました。サバキャンでは、課題も視野に入れて、頑張りたいと思います。

6月4日~5日 サバイバルキャンプ2011のためのトレーニングキャンプ開催

2011-06-09 | 農作業

先ずはテントの設営


【作業内容】
第1農園
○玉ねぎ、にんにく収穫、乾燥、保存、跡地に堆肥いれ、
耕運、ナス支柱たて、誘引、オクラ、ツルムラサキ植え付け
今泉さんとの境界線除草
○ハーブ園除草、大豆の植え付け、畑の除草○芝刈り


第3農園
○玉ねぎ、にんにく収穫→芝生広場へ
跡地に堆肥いれ、耕運、、白オクラ、大豆、
冬瓜(一部かぼちゃ疑惑)、ほうれん草の植え付け、除草作業
○ジャガイモ試し掘り、にんじん間引き、除草
○ロータリークラブの手伝い by南美









2011年3月18日 風の学校 ジャガイモの植え付け - blog 福祉農園通信・龍神伝心


2011年6月11日 パーゴラの解体作業 そして田の代掻き作業

2011-06-09 | 農作業

農園西側のパーゴラが3月11日の震災によりせり上がり傾き、
その後の余震や強風で倒壊の危機に瀕していた。
6月2日県と話し合って解体撤去することになり本日、解体撤去作業を行う。





午後、地元の厚沢さんが来園

地元南部領辻自治会有志が運営するボランティア水田へ
援農へ行くことに


援農の中身は来週、行わる田植えに備えて田の代掻き作業


6月5日(日)緊急講演会 土壌浄化・エネルギー自給の可能性を探る

2011-06-03 | 農作業

 ◇◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆◇
     NPO 日本有機農業研究会・青年部主催

     緊急講演会「チェルノブイリからみた福島第一原発震災
            ~土壌浄化・エネルギー自給の可能性を探る~」

     講師: 河田昌東さん(「チェルノブイリ救援・中部」理事)
 ◆◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆

   福島第一原発事故により大気中に放出された大量の放射性物質により、
大気、水、そして大地が汚染されました。
地球環境への影響は計り知れず、特に農業者にとって、
何としてもこれ以上の土壌汚染は避けたい状況です。
河田 さんは、「チェルノブイリ救援・中部」理事として、
1990年からチェルノブイリ原発事故で大きな被害を受けたウクライナで、
現地の団体と協力して被災者の救援に取り組んでいます。
2006年からは、医療・物資支援に加えて、土壌から放射能を吸収、
農業復興による地域再生をめざす「菜の花プロジェクト」を開始しています。
   当講演会では、
第一部でチェルノブイリと福島原発事故の比較について解説していただき、
第二部で「チェルノブイリ救援・中部」が実践している
土壌浄化やエネルギー自給についてお聞きします。
放射能汚染下でどう生きるか…。
今後、中長期的に私たちができることを学び、考えていきたいと思います。
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   【日時】6月5日(日)13:00~17:00
   〈プログラム〉
   受付開始 12:30
   第一部 「福島原発震災とチェルノブイリ」13:00~14:45
   第二部 「放射能汚染下でどう生きるか」 15:00~17:00
   閉会    17:00

 【会場】國學院大學 渋谷キャンパス 学術メディアセンター 常磐松ホール
       
http://www.kokugakuin.ac.jp/guide/access_shibuya.html
   ・渋谷駅東口から徒歩13分
   ・渋谷駅(JR埼京線)新南口から徒歩10分
   ・都営バス(渋谷駅東口バスターミナル54番のりば「学03日赤医療センター行」)「国学院大学前」下車

 【定員】200名
 【参加費】1,000円(一部を義援金として寄付させていただきます)
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  お申し込み:日本有機農業研究会 事務局
   (直接、当日でもけっこうです)
 TEL 03-3818-3078
 FAX 03-3818-3417
 E-mail seinenbu@joaa.net
 HP  http://www.joaa.net/
 ◆主催 NPO法人日本有機農業研究会・青年部
 ◇協力 渋谷・環境と文化の会
脱原発でともに楽しく生きる=食べる世界を - blog 福祉農園通信・龍神伝心


脱原発でともに楽しく生きる=食べる世界を

2011-06-02 | 農作業

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AJF・JVC・HFW・明治学院大学国際平和研究所共催
連続公開セミナー「飢餓を考えるヒント」
2011年度 第2回 脱原発でともに楽しく生きる=食べる世界を

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未曾有の福島での原発事故により、
日本と世界における食と農の安全と安心が、
生命の再生産の危機として登場してきています。

日時 :6月16日(木)18:30~20:30(開場18:15)
会場 :明治学院大学 白金校舎 本館10階大会議場

参加費 :一般 500円
(共催団体会員、明治学院大学在籍者は無料)
http://www.meijigakuin.ac.jp/access/shirokane/
最寄駅は、JR品川駅・目黒駅よりバスで約10分、東京メトロ白金高輪駅、白
金台駅、高輪台駅より各徒歩約7分
資料代:一般 500円(共催団体会員、明治学院大学在籍者は無料)
*事前申込み歓迎

今回のセミナーでは、
日本、ヨーロッパおよび「南」の視点から
人々が自然とともに資源を取り合わないで
共に生きていく農と食の条件とは何かを考えます。

■日本からの問題提起
 大江正章さん(コモンズ代表)
脱成長の道を実現するためには、
第一次産業をないがしろにしてきた戦後日本の構造
と私たちの暮らし方の見直しが不可欠である。
それは、農と食の新たな結びつきのもとに、
作る人と食べる人が支え合って、
本当の意味での豊かで幸せな地域と生き方を創りだしていくことである。
日本各地の具体的な動きに即して、その未来を論じていきたい。

■ヨーロッパからの問題提起
 マルク・アンベールさん
(経済学者、フランス・レンヌ大学教授、日仏会館内フランス現代日本研究センター長)
福島事故は常により多くの生産と消費を夢見てきた従来の経済政治システムの破たんを意味する。
有機農業運動を実例に、
「分かち合い」社会の構想がヨーロッパでは現実に政治課題になっている。
いまや世界の価値観は欲望充足量よりも、
静謐さの充ち満ちたシンプルで共に楽しくいられる食や人生の質を追求することではないか?

■アフリカを中心として「南」からの問題提起
 勝俣誠さん(明治学院大学教授、エコロ・エコノミスト)
超先進国日本での福島事故は、いままで通りの「北」でいいのか?
 「南」に学ぶことはないのか?
 といったグローバル化時代の南北問題の新たな課題を
わたしたちに示唆している。万人が安全で安心し
て食べれる世界とはどんな世界なのか「南」から問うてみたい。

■コメンテーター
日刊紙「ワルファジリ」副編集長 ンゴム・バニックさん (西アフリカから)

日時 :6月16日(木)18:30~20:30(開場18:15)
会場 :明治学院大学 白金校舎 本館10階大会議場

参加費 :一般 500円
(共催団体会員、明治学院大学在籍者は無料)
http://www.meijigakuin.ac.jp/access/shirokane/
最寄駅は、JR品川駅・目黒駅よりバスで約10分、東京メトロ白金高輪駅、白
金台駅、高輪台駅より各徒歩約7分
資料代:一般 500円(共催団体会員、明治学院大学在籍者は無料)
*事前申込み歓迎

お申込み・お問合せ:
(特活)ハンガー・フリー・ワールド
担当:儘田(ママダ)  hfwoffice@hungerfree.net

「6月16日セミナー参加」とタイトルして、以下をお知らせ下さい。
 1)参加者名:
 2)ご連絡先:
 3)共催団体の関係:AJF会員、HFW会員、JVC会員、
           明治学院大学在籍(学生・院生・教職員)、その他
 4)質問など:

共催: (特活)アフリカ日本協議会(AJF)
     〒110-0015 東京都台東区東上野1-20-6 丸幸ビル2F
     URL: http://www.ajf.gr.jp/
    (特活)ハンガー・フリー・ワールド(HFW)
     〒102-0072 千代田区飯田橋4-8-13 山商ビル7F
     URL: http://www.hungerfree.net
    (特活)日本国際ボランティアセンター(JVC)
     〒110-0015 東京都台東区東上野1-20-6 丸幸ビル6F
     URL: http://www.ngo-jvc.net/
    明治学院大学国際平和研究所(PRIME)
     URL: http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime
           〒108-8636 港区白金台1-2-37
後援 :日仏会館フランス事務所
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