【バルセロナ共同】
9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。
(原文のまま)
「非現実的な夢想家として」
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。
サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。
長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。
どうしてそんなに時間がかかったかというと、
たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、
女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。
それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。
この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、
もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、
もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。
地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1・8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、
その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。
場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。
39メートルといえば、
普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。
海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、
そのうちの九千人近くが行方不明のままです。
堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、
未だに遺体も見つかっていません。
おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。
そのことを思うと、
もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。
生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、
家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。
根こそぎ消え失せた集落もあります。
生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、
どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。
日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。
毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。
各地で活発な火山活動があります。
そしてもちろん地震があります。
日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、
危なっかしいかっこうで位置しています。
我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、
地震については予測がつきません。
ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、
別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。
おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、
マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、
多くの学者が予測しています。
それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。
もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、
それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、
正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、
東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。
人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。