blog 福祉農園通信・龍神伝心

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作家村上春樹さんのスピーチ3

2011-06-11 | 龍神伝心

日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。

我慢することには長けているけれど、

感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。

そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。

でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、

そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、

あるいは黙認してきた我々自身をも、

糾弾しなくてはならないでしょう。

今回の事態は、

我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、

核爆弾を投下された経験を持つ国民です。

1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、

米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、

合わせて20万を超す人命が失われました。

死者のほとんどが非武装の一般市民でした。

しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、

生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、

時間をかけて亡くなっていったということです。

核爆弾がどれほど破壊的なものであり、

放射能がこの世界に、人間の身に、

どれほど深い傷跡を残すものかを、

我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。

ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。

どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、

経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、

その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。

そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、

我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。

その力の脅威にさらされているという点においては、

我々はすべて被害者でありますし、

その力を引き出したという点においては、

またその力の行使を防げなかったという点においては、

我々はすべて加害者でもあります。

  

 そして原爆投下から66年が経過した今、

福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、

周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。

それをいつどのようにして止められるのか、

まだ誰にもわかっていません。

これは我々日本人が歴史上体験する、

二度目の大きな核の被害ですが、

今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。

我々日本人自身がそのお膳立てをし、

自らの手で過ちを犯し、

我々自身の国土を損ない、

我々自身の生活を破壊しているのです。

  

 何故そんなことになったのか?

戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、

いったいどこに消えてしまったのでしょう?

我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、

何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

  

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。

つまり利益が上がるシステムであるわけです。

また日本政府は、とくにオイルショック以降、

原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。

電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、

原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、

日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。

国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、

世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。

既成事実がつくられてしまったわけです。

原子力発電に危惧を抱く人々に対しては

「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。

国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。

高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、

ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、

「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。

効率的であったはずの原子炉は、

今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、

無惨な状態に陥っています。

それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、

実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。

それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、

そのような「すり替え」を許してきた、

我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。

我々は電力会社を非難し、政府を非難します。

それは当然のことであり、必要なことです。

しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。

我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。

そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。

そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

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