<09.04.17>
「ちりも積もれば山となる」古くから言われている言葉である。
私はこの言葉を、いろいろ振り返って見ては全くその通りだなあと思うことがたくさんある。
一番身近なことは、やはりお金である。
ああ~、若い時から少しずつでも貯金をしていたらなあ~、今頃お金に苦労せんでも良かったのになあ・・・・、いつも「たられば」でため息が出る。
「ちりつも・・・・」の基本は、少しずつ辛抱強く続けることである。
これは、理屈では十分承知しているが、ついつい欲が出て少しずつが一度に多くを望んでしまい、途中で疲れてきて断念に至り、結果何も蓄積がないまま、となってしまうことが殆どの我が体験である。
日記などを永く続けている人の話をきくと、やはり一日一日のことを簡潔(簡単)に記録するつもりで書いていった結果、5年~10年あるいはそれ以上続いているということである。
日記では永く続くことが話題の中心になるが、一方ではこの日記に織り込まれた、日々の出来事や想いの蓄積は当の本人にとって大変な宝ものであることに違いない。
次回はこの日々の日記を「仕事の日誌」という観点から見てみよう。
<夕映えの鉄路列車来たらず>
「ちりも積もれば山となる」古くから言われている言葉である。
私はこの言葉を、いろいろ振り返って見ては全くその通りだなあと思うことがたくさんある。
一番身近なことは、やはりお金である。
ああ~、若い時から少しずつでも貯金をしていたらなあ~、今頃お金に苦労せんでも良かったのになあ・・・・、いつも「たられば」でため息が出る。
「ちりつも・・・・」の基本は、少しずつ辛抱強く続けることである。
これは、理屈では十分承知しているが、ついつい欲が出て少しずつが一度に多くを望んでしまい、途中で疲れてきて断念に至り、結果何も蓄積がないまま、となってしまうことが殆どの我が体験である。
日記などを永く続けている人の話をきくと、やはり一日一日のことを簡潔(簡単)に記録するつもりで書いていった結果、5年~10年あるいはそれ以上続いているということである。
日記では永く続くことが話題の中心になるが、一方ではこの日記に織り込まれた、日々の出来事や想いの蓄積は当の本人にとって大変な宝ものであることに違いない。
次回はこの日々の日記を「仕事の日誌」という観点から見てみよう。
<夕映えの鉄路列車来たらず>