すぐ先がセナド広場というところまで来て撮った路地の写真。比較的高級なレストランを何軒か見かけた。ところが、小生はといえば、少し前にいかにもマイナーな老夫婦が営む小汚い大衆食堂に入って、客は小生だけのなか、カレー味のうどん(けっしてカレーうどんではない)のようなものを食べてしまっていた。今、写真を見ていて「ポルトガル調の路地」とつぶやいた。そういえば、今回もポルトガル料理を食べなかったな。
路地には小さなインターネット・カフェがあった。中国で会社はともかく自宅にネット環境を持っている人はまだ希少なようだ。個人とメールを交換しようと思っても、大抵、土日は音信不通になる。中国語でインターネット・カフェは「網吧」と書くのだろう。
教会の名を知らない。地図で見ると、もしかすると「聖ジョセフ修道院」か、その脇にあるお堂、あるいはもっとセナド広場寄りの「聖奥斯定堂」かもしれない。ともかく中に入って、これだけ印象の良い教会はなかった。小生はキリスト教徒ではないから、教会へ入ると何か犯罪者のようなバツの悪い気分になるが、ここはしばらく座っていたいといった気分になれた。オルガンの伴奏による賛美歌の練習が隅っこで始まって、地元の若者がポルトガル語で合唱する。そのまた何と朗々と奇麗な響きだったことか。耳を傾けながら、ここマカオならばキリスト教徒になってもいいと、ご当地的改宗を考えた。
今回、マカオで見た範囲では、これが一番面白かったし、示唆的であった。犬のWC、つまり犬専用の公衆トイレである。トイレといっても犬様用。実際は、この標識の下、ビルの角地といった場所の赤レンガで囲って砂を入れただけの1メートル四方にも満たない用地である。ただこれはマカオ社会の先進性を示すものと考えたい。ニッポンでは、自動販売機の設置を許しても、犬のトイレは近隣住民が強硬に嫌がるであろう。しかし、公園などには可能なのだから、一考の価値あり。
丘の上に見えるのはペンニャ教会(Penha Church、西望洋山聖堂、1622年建造)だ。丘を登って行ってみたかったが、もう夕暮れも迫る時間帯で、閉館しているかなと断念した。この西湾湖に沿って丘の教会とマカオ・タワーが両サイドに見える遊歩道には、平日の夕方を散策にすごす市民が三々五々と歩いていた。
このマカオ・タワー(338㍍)は、新東京タワー(610㍍)よりは恰好が好いですね。その新東京タワーは名称の候補が決まって、中に「ゆめみやぐら」というのがあった。これがいいですね。一等でしょう。しかし、高い塔(の建築)に人間が憧れるのはなぜなのでしょうか。やはり天上に行きたい(昇天したい)からでしょう。小生の作品ではトソツテンとして象徴している憧憬です。
そうした天への憧れを持つ人間が、塔のまわりで沐浴したり洗濯したら罰金を取りますぞとマカオの役所は通告している。ポルトガル語併記なのは、通りの名などマカオの全ての公式表記で徹底されているようです。
そうした天への憧れを持つ人間が、塔のまわりで沐浴したり洗濯したら罰金を取りますぞとマカオの役所は通告している。ポルトガル語併記なのは、通りの名などマカオの全ての公式表記で徹底されているようです。
マカオには、こうしたアパート群に囲まれた一角に小さな公園がたくさんある。公園には老人と子供がいる。老人はベンチに静止している。子供は遊戯施設をつかって活発に動いている。子供の姿は万国共通だが、ベンチに悠然と座って死ぬまでの時をやりすごせる点ではマカオの老人の方がニッポンの老人よりも上等に扱われている。
写真の犬はブルドックでいいのだろうか。まあ、いずれにしてもブルドックもどきであろう。最近、人気が復活してきたのだろうか、ニッポンでも見かけるようになった。マカオで見かけたのはこれ一匹。西湾湖(あるいは南湾湖?)からリスボア方面を撮った。
マカオに地震はないのだろうか? まあ、互いに寄りかかって倒壊はまぬがれるかもしれないが、崩壊はありえる。それにしてもペンシルビルというのであろうか、真ん中のはとんでもなく細長いビルである。エレベーターはあるのだろうな、当然と思ってしまう。