折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

今年最初に読んだ本は、百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」

2013-01-18 | 読書
今年最初に読んだ本は、百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」。

この本を選んだのにはちょっとした経緯(いきさつ)がある。

昨年の暮れ、大学のサークル仲間の先輩のNさん、Hさんとの忘年会の席でこの本が話題になった。

Nさん曰く。

「本を読んで、泣くと言う体験はほとんどないのだが、この本には何度も涙したよ」

「いい本だった、お薦めするよ」と。

あのNさんが涙ながらに読み、かつ、「読んで見て」と薦めるとは、どんな本なのか俄然興味が湧き、年内に購入した(図書館では多数の人が順番待ちの状態)が、年末年始の慌ただしい雰囲気の中では読む気になれず、先週末から読みだして2日ほどで読み終え、さらに2回目を昨日読み終えた。

百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」(講談社)


一度読んだ本を間をおかずに読みなおすと言うことは滅多にない。
それだけ強烈なインパクトを持ち合わせた作品ということである。

さて、そのストーリーだが、

自分たちには実の祖父がいたことを知った姉弟が、特攻で死んだという祖父の戦友たちを訪ね歩き、10人から話を聞くうちに、だんだんと祖父の人物像が浮かび上がる。

最初の証言者の話は「臆病者」だったという最悪な話から始まるのだが、次々に証言者の話を聞いて行くうちに、祖父という人がどんな人間だったか、さまざまなエピソードをとおして明らかになっていく。

どのエピソードも涙なくしては読めない。

巻末の解説で今は亡き児玉 清さんが

デビュー作である本書「永遠の0(ゼロ)」と出逢えたときの喜びは筆舌に尽くし難い。それこそ嬉しいを何回重ねても足りないほど、清々しい感動で魂を浄化してくれる稀有な作家との出逢いに天を仰いで感謝の気持ちを表わしたものだ。(中略)なんと美わしい心の持ち主なのか。なんと美わしい心を描く見事な作家なのか。なんと爽やかな心か。涙の流れ落ちたあと、僕の心はきれいな水で洗われたかのごとく清々しさで満たされた。(以下略)

と書いているが、全く同感で、読んでいて幾度も流した涙が、魂を浄化してくれたのだ、これは『レクイエム』だと読み終ってしみじみと感じた次第である。

それにしてもなんと周到に組み立てられた物語の展開だろう!
最終章まで読んでも、追い求めてきた主人公の最後がどんなだったか、わからない。それがエピローグで明らかにされる。

最初、物語の巻頭に置かれたプロローグは一体何を意味するのかと感じた疑問が、エピローグでなるほどそういうことだったのかと氷解する。

このプロローグとエピローグが見事に一つにつながるくだりを読んで、思わず「ウーン」と唸ってしまったのは小生だけではあるまい。

ネットでこの本のことを検索していたら、沢山寄せられた感想の中に

この本は世代を問わず多くの人に読んでもらいたい

というのがあったが、小生も全く同じ感想を持った一人である。


また、同じくネットの中で著者 百田尚樹さんからのメッセージを見つけたので、ご参考までにご紹介したい。


現代に生きる人々の多くは「生きていること」は当然と思い、また「自分は誰のために生きているのか?」と問う機会などもほとんどありません。
六十数年前、私たちの父母や祖父母の時代はそうではありませんでした。
明日をも知れない戦火の中、すべての日本人が「私は誰のために生きているのか?」という問を自らに向け続け、自分と家族が「生きている」ことに深い感謝の気持ちを持っていました。それは「不幸な時代」でもあります。しかし、そういう問や感謝の気持ちさえ忘れてしまいがちな現代という時代も、ある意味「不幸な時代」かもしれません。
「永遠の0」を読んで下さった皆さんが、「自分の人生は誰のためにあるのか」という思いに至り、生きる喜びと素晴らしさに気付いてくれたなら、著者として、これほど嬉しいことはありません。


「苛酷な運命、壮絶な人生」の自伝~佐村河内守著「交響曲第一番」

2012-12-20 | 読書
図書館で本を探していると、1冊の本が目に止まった。

その本は「交響曲第一番」(佐村河内守著、講談社)。

今、クラシックの世界で大ブレーク中の音楽家佐村河内守(さむらごうちまもる)さんが書いた自伝である。

実は、話題のCD「交響曲第1番HIROSHIMA」を聴いたのだが、「よくわからない」というのが正直な感想である。そこで、同氏の音楽を理解する上でもこの本は役に立つだろう、と思って早速借りて来て読んだ。

以下は、いつものような会話形式の感想である。

 
佐村河内守著「交響曲第一番」(講談社)(左)、「交響曲第1番HIROSHIMA」のCDジャケット(右)

― 今、「話題の人」というので、ネットでその生い立ち、人となりを調べたが、改めて著者自身の口から語られると、想像を絶する人生だったことが生々しく伝わってきて、粛然たる気持ちになる。

― 偏頭痛、耳鳴り、全聾、頭鳴症、腱症炎、神経症、これだけの病気を一人で背負っているのだから、何とも苛酷であり、残酷であり、壮絶な人生だよね。

― 特に耳が全く聞こえないと言うことは、音楽家にとって致命的で、もっとも残酷だよね。

― 読んでいて、これはフィクションでない、事実なのだ、と何度も言い聞かせ、その都度、胸が塞がった。

― 著者がいる場所は、肉体的にも精神的にも我々が全く体験できない「闇」の世界。

― この本を読んだ人が、ネット上で「著者の苦しみは、体験したことのない者にはおよそ想像を絶するもので、軽々しいコメントなど寄せ付けない」と書いていたけど、本当にその通りで、書かれている内容に圧倒された。

― 最初は苛酷な試練を与えた神を激しく「呪詛」し、「激怒」する著者。
しかし、その試練を音楽に昇華してくれる力を与えてくれたのも神の力と悟る著者。
凡人の我々には、到底到達できない境地だ。

― 著者は、文中で「人は光の中にいると、小さな光は見つけにくい、闇に堕ちて初めて、小さな光に気づく。闇は圧倒的な暗さゆえに、小さな光にすら敏感になれる」と書いているが、本書を読み進んでいくと、この言葉の意味がよくわかる。とても印象的なフレーズだ。

― 著者は、「あとがき」で「精神、肉体、宿命の闇といま、向き合っているすべての人に本書を捧げます」と書いているが、我々にとってさえ大いなる励みになるのだから、ましてやこれらの人たちには、闇を照らし、導いてくれる大いなる光になるだろう。

― 本書は、明るく楽しいものではないが、読み終わった後に「希望」と「勇気」を与えてくれる凄い本である。


大作、力作、傑作~今年度最大の収穫 小説「光圀伝」

2012-12-09 | 読書
図書館で本を借りて読むようになってから、本屋さんではめったに本を買わなくなった。
しかし、この「光圀伝」は、数十人が予約待ちという状況ということもあり、久しぶりに身銭を切って購入した。

徳川光圀の生涯を膨大な資料を駆使して忠実に描き、パワーフルな人物を浮かび上がらせた歴史エンターテイメントである。

いつものようにその感想を会話風にまとめて見た。

冲方 丁著 「光圀伝」(角川書店)


― 750ページという大作であり、精魂こもった力作であり、語り継がれる傑作と言える作品だね

― 今年一番の収穫といってもいいんじゃない。

― ネットを見ていたら、ある書店員がこの本について「いくたび感動で心が震えただろうか」、「いくたび目頭が熱くなっただろうか」、「いくたび共に嘆いただろうか」、「いくたび胸塞がれる想いがしただろうか」とコメントしていたが、実に言い得て妙だと感心したよ

― 確かに、終わりが近づき、「読み終えたくない」「ずっと読んでいたい」と、そう思う作品は久々だね。
 
― 徳川御三家の当主の義直、頼宣を始め、保科正之、宮本武蔵、沢庵和尚、山鹿素行、林羅山の四男の読耕斎等々、実に登場人物が多彩だ。

― 確かに、魅力的な人物がいっぱい登場するが、中でも光圀の兄の「頼重」、奥方の「泰姫」、親友の「林読耕斎」の描き方が実に個性的、魅力的で印象が強い。

― この物語は人との出会いを通しての親子愛、兄弟愛、夫婦愛、同志愛、子弟愛の物語と言えるのだろうね。

― 光圀は73歳の人生を通じて、これらさまざまな愛を享受できた稀有な人と言えるだろう。

― 73歳と言えば、当時としては超長生きな部類に入る。それだけに、その間に大切な人、愛しい人、敬愛する人たちの死を看取ることになる。このあたりのくだりは哀切極まりなく、読んでいて胸が詰まる。

― 出会いとその後の関わりが濃密に描かれているだけに余計にジンとくる。

― 物語は「幼年期」、「青年期」、「藩主になって以降」に分けられるが、意気盛んな『傾奇者』として暴れ回る中で、宮本武蔵や沢庵和尚、山鹿素行、林読耕斎と言った人たちと交遊する「青年期」が一際光彩を放っていて、ページをめくるのがもどかしいくらいだ。

― それに比べると、後半の水戸藩主となってからは物語の進行がやや単調になって前半に比べると輝きがスローダウンする。

― それにしても、750ページを一気に読ませる著者の筆力は実に凄いね。

― 義妹が瑞竜町に住んでいて、その昔一度だけ水戸徳川家の菩提所に案内してもらったことがあった。その時は、ただ漠然と「ここがそうなのか」と思っただけだったが、この本を読んだらもう一度ぜひ行って見たいと思ったよ。



元会長、90歳卒寿翁の金言~岸本新一著「成功の鍵は、『真似』のなかにこそある」

2012-10-31 | 読書
宅急便で書籍小包が届いた。

その表書きを見て驚いた。

そこには小生が勤めていた会社の元会長の個性的な字が踊っていた。

懐かしさで思わず胸がいっぱいになった。

中には元会長が9月に上梓した「成功の鍵は、『真似』のなかにこそある」というタイトルの1冊の本が入っていた。

その内容は、「90歳、卒寿翁の金言90」とサブタイトルにあるように、現在、齢(よわい)90を数え、今なお元気な元会長がこれまでの90年におよぶ人生経験から得たビジネスや人生に役立つヒントを、年齢と同数の(10章)90項目にわたって書いたものとなっている。

岸本新一著「成功の鍵は、『真似』のなかにこそある」(幻冬舎ルネッサンス)


元会長には、小生の在職時代に社内報にこまめに寄稿いただいたり、新聞記者とのアポイントに懇切丁寧に応じていただいたり、海外で社債を発行した際は、ロンドンに随行させていただいたりと仕事上で色々とお手数を煩わせ、また、ありがたいことに、随分と目をかけていただいた。

しかし、リタイア後は年賀状のやり取りをさせていただく程度で、疎遠になっていた。
それだけに、わざわざ小生にまで上梓した本を送っていただいて申し訳なく、恐縮してしまった次第である。


人間、「話すことは得意だが、書く方は苦手」、またその逆に「書くのは得手だが喋りの方はどうも」と両方とも得意という人は少ないのではないかと思えるのだが、小生の知る元会長は「書くことも、話すことも得意」という二刀流の達人であった。

前述のように社内報の会長専用のコラムに、毎月寄稿いただいたほか、新聞記者から要望があれば気軽に投稿に応じられていた。

また、朝の朝礼では「5分間スピーチ」という時間があって、そこで毎回会長の含蓄に富み、かつ簡潔明瞭なお話に全員が耳をそばだてて聞き入っていたものだ。

さて、その上梓された本だが、見開き2ページで一つの話を完結させるという、簡にして要を得た書き方のスタイルが実に「岸本流」で面目躍如である。

著者が本文に入る前の「はじめ」のところで、

「中には今日的ではない、古めかしいものもあることを、あらかじめおことわりしておきたい」

と断りを入れているように、そう言う所が若干あるとしても、啓発される内容の多い、珠玉の1冊である。

特に最終章の第10章は、実に含蓄に富んだお話しで、これから歳を重ねて行く小生にとって、一つの羅針盤の役目を果たしてくれるように感じた次第である。

著者が本文の「おわり」のところで、節目の年齢として

還暦の60歳、古希の70歳、喜寿の77歳、傘寿の80歳、米寿の88歳、卒寿の90歳、白寿の99歳、茶寿の108歳、皇寿の111歳、福禄寿123歳、黄金受の131歳、成寿の144歳

という数え方を紹介し、

成寿を目指し、あわよくばギネスを狙おうというけしからぬ思いにかられておる今日この頃です。

と書いている。

その心意気たるや青春を謳歌する若者のようである。

これからも、また遥かな人生の旅路に挑もうと決心している元気印の卒寿(同書「はじめ」より引用)の元会長の今後ますますのご精進をお祈りする次第である。

人間の哀しい性(さが)に心揺さぶられる~葉室 麟著「千鳥舞う」

2012-10-23 | 読書
だいぶ秋めいてきた。

秋と言えば、本を読んだり、音楽を聴いたりするのにもってこいの季節である。

そんな訳で、出かけない時は日がな本を読み、音楽を聴いて過ごしている。

そこで丁度読み終わったばかりの「千鳥舞う」という本の感想をいつものように会話風に紹介したい。

作者はこのところ小生が傾倒している葉室 麟(先般直木賞を受賞)さんである。

「千鳥舞う」葉室 麟著(徳間書店)

主人公は博多の女絵師(春香・本名里緒)。
彼女は江戸から来た妻子持ちの狩野派の絵師(杉岡外記)と不義密通のかどにより、男は江戸へ追放の上破門、彼女も師から破門される。
それから三年。
女絵師は破門が許され博多の豪商から博多八景の屏風絵の依頼を受ける。
そして、この主人公が博多八景を描きながら出会う人々の物語に触発され、下絵にその思いを込めて屏風絵を完成させていく。
主人公が描く「博多八景」には、誰もが切なさを胸に納め、懸命に自らの道を求めて歩んでいる人たちの『哀しみ』がこめられていた。

― 葉室作品、ほとんど読みつくして新作を待ち望んでいた。

― 期待に違わず、心揺さぶられて一気呵成に読み終えた。

― 博多八景を小題とする8短篇と二人の運命的な馴れ初めを描いた序、そして、二人の恋の結末を描いた結の2編を配した構成、構想が何ともすばらしい。

― 10編ともそれぞれ味わい深くて、まさに珠玉の作品と呼ぶにふさわしい。

― 不覚にも涙が出てしまうことが何回かあった。歳のせいで涙もろくなっているのかも知れないが・・・・。

― 許されるべくもない、男と女の情愛。親子の悲しい愛。叶わない愛。もどかしく、狂おしいまでの様々な愛が描かれていて、身につまされる。

― 許されることのない想いを自分の胸に押し込めて、つらい日々を生きていく人々の姿は哀れでもあり、愛おしくもある。

― 人間の哀しい性(さが)を暖かく、深い愛情を込めて描いていて、心が震える。

― 作者の人への思いやり、やさしさを感じさせる作品。作者の清廉な心が現れている。

― この手のテーマを現代小説で描くのは中々むずかしい。

― 時代小説ならではの味わいというべきか。

― こう言う小説を書ける作家は、得難い存在だね。

― まさに「読書の秋」にふさわし作品で、多くの人に読んでほしい、お勧めの作品である。