戸隠神社奥社参道。戸隠観光協会のパンフレットにあった写真。小さいのはほぼ同じ場
所から撮った私のもの。
時刻こそ違え、こんな写真を撮ることができない。経験、粘り、時間を苦にしない自由、
機材とそれを使いこなす能力、表現力、センス等私には足らないものだらけです。
写したいものは何かを明確にしなさい。一枚にあれもこれもと欲張ると平凡なものにな
ってしまいます。それを忠実に守って撮影しているが、較べてみれば度が過ぎて品格が
ない。
観光協会の写真を見てみよう。
① 撮影者は杉並木の高さと参道の奥行きを強調したかったのか。→ 表現力
② 樹間に刺しこむ朝の光を取り入れようと、朝早くから待機していただろう。
→ 時間を苦にしない自由
③ 随身門の通り抜けの空間を参道正面に置かず、少しずらして写している。
→ センス、これだけで品格が増す。
④ 随身門を画面の下に配置することで、並木の高さが際立つ → これもセンス
この夏、昔と変わってなと実感した事がある。
アブラゼミの声を耳にすることが無くなった。代わって街中でもミンミ
ンゼミの鳴き声が目立つようになったこと。我が住む街ではかってはセ
ミといえばアブラそして立秋を過ぎたあたりからツクツクボウシが混じ
るのが普通だった。ツクツクは独特の鳴き声で去り行く夏と待ち焦がれ
る秋を象徴していた。ミンミンやヒグラシはもっと山へ行かないと耳に
することはなかった。
ところがこの夏、街中で聞かれるセミはミンミンばかり。アブラはどこ
に消えてしまったのか? よく知られているようにセミの地下生活は数
年に及ぶ。ということはこの異変はすでに数年前に始まっていたという
ことか。
子供の頃夏休みの遊びのひとつが蝉取りだった。普通の子供でもアブラ
は簡単に捕まえられる。ツクツクは小さくて敏捷、普通の子供には捕れ
なかった。偶に捕ろうものなら仲間内では大将。夕方セミの幼虫が地下
から地上に出てくるところを捕まえて家のスダレや蚊帳に留まらせてお
くと、翌朝にはぶよぶよの羽を折りたたんだ姿で脱皮する。当時の大抵
の小学生は夏休み中に絵入りでその様子を観察し記録して宿題の成果と
した。99%以上の子供たちはそれで宿題終わりとなって2学期の秋を
迎えるわけだが、まれにこうした生物の観察を大学の先生顔負けに詳細
に行い、更に研鑽を重ねてその分野の大家になってしまうケースがある。
私の友人にもひとりいる。好きなことをやって飯を食える境遇を妬んだ
ものだったが。
セミの鳴き声は数ある俳句の季語の中でいちばん季節感を感じる。
閑かさや 岩にしみいる 蝉の声 松尾芭蕉
みちのくや 出羽に出でても 蝉の声 正岡子規
月ながら 雨いくたびや 油蝉 萩原秋櫻子
あかつきの 蝉とききつつ 又ねむる 山口誓子
いちはやく 日暮るる蝉の 鳴きにけり 飯田蛇笏
以上の出典元は https://wabisabi-nihon.com/archives/22643
暮れてなお 命のかぎり 蝉しぐれ 中曽根康弘
原稿用紙1枚に情景説明されたものを、はるかに凌駕する僅かの文字の
組み合わせ。俳句の凄さ、素晴らしさ。
ほんのひとときの猛暑からの精神的逃避。
増田悦佐著「奇跡の日本史」副題「花づな列島の恵みを言祝ぐ」という
本を読んでいる。
日本史で習う徳川幕府の「鎖国政策」は否定的に教えられることが多い。
しかし、鎖国真っただ中の1700年後半、飢饉で苦しむことはあった
が大きな戦争はなく、日本は平和だった。伊能忠敬が徒歩で測量して歩
いたのもこの頃。一方フランスではフランス革命が勃発した。その残虐
さは日本では考えられない。鎖国であったがゆえに、ユーラシア大陸の
ヨーロッパとは反対側に位置する地理的条件も加わって平和が保たれて
いた・・・
最近の天候は刺激的だが、それでも世界と比較すれば穏やかな気候、穏
やかな国民なんだなと思い至る。
【革命という盛大な殺し合いを経ないでも政治社会を変えられるというこ
とは、何ものにも代えがたい日本人の持つ美点であって、革命なしで近
代的な市場経済が確立されたことの有利さはまさに筆舌に尽くしきれな
い。】
著者はこうも言う。「日本のいい加減な政治風土は、すばらしい。」
本書 第6章 革命が革命にならないいい加減な政治風土 から
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