珍らしい鳥「シメ」が今年も現れた。 スズメより大きくヒヨドリほど。
こんな題名をつけると、後がなかなか大変です。 黒岩重吾の小説で読んだ聖武天皇しか知らず。 かの天皇の御世に全国に国分寺を建立したとある。
多くの国分寺はもはや痕跡はないが、今でも地名にその名を残している(例えば東京国分寺市や国分などなど) 上野国すなわち現群馬県には、関越道脇に建物こそ残っていないが広大な国分寺跡が保存されている。 何度も行ったことはあるが、写真を撮ったのは初めて。 古代の天皇の政治力は大和を遠く離れたこの地まで及び、壮大な大伽藍が人々の信仰を集めたことだろう。
関越道を100mほど西に入ると案内板がその場所を示す。
野球場が10個ほど取れる広場が拡がり、遺構が残っている。 大講堂の基壇、柱を支えた基礎石が当時のまま残る。
近寄ってみると、自然石に何のためなのか明らかに人の手で加工が加えられているのがわかる。
築地塀が広場の南側に当時の工法で150mほど復元されている。 セメントの無かった時代に土を固めて塀としたと案内版にあり、 アップすると付き固められた土の性質と板枠とでいくつもの層になっている。
人目を引く七重の塔の基壇。 高さ60mあまりの塔を支えた基礎石が整然と残る。
七重の塔の基壇と復元図。 1300年も前に良くぞこれほどの建築物を立てる技術があったものだと感心する。
この国分寺は建立後150年ほど経過した頃、 平将門の乱の際に破壊されその後1000年もの間朽ち果てていたという。 将門は天皇の中央集権的政治に始めて反旗を翻した坂東武者の魁で魅力的な武将だが、由緒ある建築物を破壊した行為は残念。
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