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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

自分なりに

2016年10月13日 10時27分55秒 | 思考試行

才能溢れる人と同じになりたいといっても、それは無理である。憧れて、そうなりたいと思うのはいいとも思うけれども、とことんとなれば、弊害があるかもしれない。

そこそこ自分を甘やかしながら、ときおりは頑張りながらいくしかないのではないか。

いま、俳句に少しハマっているが、なかなか進歩は得られず、作句には相変わらず苦労している。だが、いい指導書があり、昨今は、ちょっとしたブームになっていて、俳句仲間の進歩も早い。刺激をうけながら、生活の彩りとなっている。

生活といえば、老後の生活について、スエーデンの例が報道されていた。日本と全然違う豊かな暮らしぶりに、唖然とする。

政府の違いによって、これだけ差がうまれるのだ。いかに、生活に政治が重要であるかを思い知らされる。真剣に庶民のくらしに思いをいたせば、こうなるのだという説得力のある実例である。


放送大学での「心理学」人気

2016年10月12日 08時44分15秒 | 思考試行

単位認定テストの際に実感したのだが、心理学コースの受験生の多いこと。人を助けたいという動機か、今流の自分を知りたいということか、圧倒的な人気がある。

この人気は、世の中の実情から心理的な不安の多い状況を示しているのかもしれないが、一方では、心理学自身の進歩、進化、があげられるのではないかと思われる。

心理と教育コースを受けていて、次々と新しい知見を経験させてもらっている。なるほど感が強い。人気がある理由があるのである。面白いし、役に立ちそうなのである。

どうしても偏見に陥ったり、不安になったりするのは、なぜなんだろう、そうした疑問にまともに挑戦しているし、引きこもりや、社会的に不適応になってしまった人などへの具体的な対処など、とても困難に思われることにも挑戦している。

人気があるはずである。その方法も、特殊な技術、考え、大先生が登場しないのである。まさに科学的なのである。放送大学の心理学は、おすすめである。


心理学の成果

2016年10月11日 08時44分12秒 | 思考試行

心理学での成果は、着実に現れている。いま、テキストの読み込みを始めて以来、そう実感できる。フロイトの、わけのわからない無意識の世界について、夢からの分析の話などは、まともには受け取れない気がするけれども、ただ、新しい心理学の成果として、自動機械のように、人が動いているところがあって、すなわち自分という世界、物体がすべて意識下だけで展開されていないという話は、理解できる。

これは、発見とも言える。自分の行動や発言が、すべて自分の意識下のもとで動いているつもりが、そうではないというのは、驚きでもある。いままで、積み重ねてきたモノが、行動について省力化した形で、機能しているというのは説得力がある。

少なくとも、それを知っているかどうかで、自身の行動を見る目が変わる。点検の機会ともなるだろう。こういうことがあるから、放送大学を続けてこられたのかもしれない。普通に生活をしていると気付かない発見の機会が与えられることがあるのだ。

いま、引越しの準備をしているけれども、今までと、違うことをしているなかで、結構示唆を受けることが多い。


心理学の効用

2016年10月10日 11時54分27秒 | 思考試行

こころの問題は、他者もそうだが、自身のことについても関心があって、昨今人気のある分野である。心理学のコースを放送大学でとりはじめて、早くも2年目にむかっている。

あと、8単位ほどで卒業のところまで来てしまった。心理学の分野も進歩が著しく、さまざまな神経症などから解放される実績がどんどん出てきている。

自分自身のことは、自分でわかっているつもりでも、そうはいかない実態をしり、そのことが、余計な心理的迷走から免れる実感もあった。

もう少し、勉強を深めて、現実的な世の中に貢献していきたい気持ちさえ生まれつつある。

他のコースとは違う感覚がある。放送大学のコースはあと、情報コースを残すだけとなったが、これは、卒業後どうするかは未定であるけれども、どちらかといえば、心理コースをさらに極めていきたいと思っている。

とりわけ、認知行動療法は、刺激的であった。なぜそうなるのかというより、あらゆる方面からいろいろやってみるという手法が説得力があり、現実的で、これならやれそうという実感があった。

あと半年で、どこまでいけるか楽しみである。


匿名だからといって

2016年10月09日 09時07分47秒 | 思考試行

いい加減なことを言っていいということではない。と、思っている。でなければ、制限なく、勝手気ままに発言していいのだがら、歯止めなく、落ちていくことになる。

そうであれば、こんな文章を書き散らす意味はなく、害毒を流しているだけである。

世の中どんどん変わっていくなかで、時代の変化に応じて、人類は適応しているのだろうか。とても、合目的的に進んでいるとは思えない現状がある。

各国の国の指導者のレベルが心配になるほど、滅茶苦茶である。その心境の根底には、単に「平和に暮らしたいだけ」なのか、それとも、他者を支配せずにはおれないと考えているのか、いずれにしても、全体社会のことを真剣に考えなくては、困るのだが、そうは思えない。

特に、アメリカの大統領選挙で、トランプ候補の発言を聞くたびに、どうして、こんな人が支持率が高いのかと訝るばかりである。アメリカ国民の民度に嘆かわしく思う。


どこまでやるか

2016年10月08日 10時21分32秒 | 思考試行

中国はかつて支配したところは、すべていつかは「とりかえす」つもりのようだ。尖閣はもちろんのこと、沖縄もその視野に入っているという。

どこまで、支配地域を広げたいのだろうか。ハワイ以西は中国、以東はアメリカでどうか、と習近平は言ったそうだが、これは、本気なのだろうか。

そうなると、日本は、どういう立場をとるのが正しいだろう。中国は、国情をみても、すっきりと「正義」が通っているとは思えない。

貧富の格差があり、賄賂がはびこり、不公正不公平の実態が聞こえてくる。こんな国が国際的に力をもち、自国のために、本格的に動きだすとなると、不具合がますます増えることだろう。

放っておくと、ますます事態が深刻になるとすれば、どこから対処すればいいのか、領海を侵犯したとたんに自衛手段を行使する。艦船であれば、撃沈する。

となれば、相手はどうするだろうか。応戦し、戦争となるかもしれない。だが、それは、やむを得ない。どこまでも侵犯してくる相手には、そうするより手段はない。で、それで、正しいだろうか。


思い通りにはいかないけれど

2016年10月07日 09時06分04秒 | 思考試行

境遇は思い通りにはいかないし、人もまた本当には縛れない。ただ、自分自身は、何かに誰かに縛られている。それを気にしながら生きている。

気にしないで、行動すれば、トラブルが目に見えているということになるが、そうは言っても、自分を殺しすぎれば、どこかで破綻しそうな気もする。

となれば、騙し騙し、自己コントロールをしながら、発散もしなければならない。外からの力が強すぎると思えば、これは払わなければならないし、闘うことも必要である。

闘うことを恐れていてはいけないこともある。それは、他者との関係だけではなく、自分との闘いということも含まれる。

言葉は闘いであるが、単純なケンカを意味しない。自己を抑えることも、また、鍛えることも闘いの一種かもしれない。さまざまな闘いの形態がある。

そうは言いつつ、のんびりと脱力することも覚えておくべきだろう。かくて、強かに、生きていくところに、人生の醍醐味があるのではないだろうか。


日本の国の行先

2016年10月06日 10時35分51秒 | 思考試行

割り切って、他国のことは関係ない、ぐらいの考えでいるのが自然なのだろうか。それとも、日本は、自分の国のことだけ考えていては具合が悪いと思うべきなのか。

稲田防衛大臣の考え方は、民主党政権時代の発言を、問題にされて質問を受けている。要するに子育てにまわす金を防衛に、という発言を質されているのだが、当時の管、鳩山氏の言動をとらえて、日本の防衛を危機にさらしたと反撃する。

核についても、閣僚になってからは、発言を変えている。だが、本音のところは、変えているとは思えない。口でどう言おうと、本心は別、というのは、いまの政権のやり方であり、言葉は言葉としての機能をなくしつつある。

言葉でどう言おうが、結局は、選挙で多数をとりさえすればいいのであって、議論しているフリをしているだけのように見える。

国民は、注意していないと、いつの間にか、主権を国にとられ、公益の名のもとに、大事なものを奪われる可能性が高い。とりわけ憲法をめぐって、本音を出してきているから、よくよく見ておかなければならない。


日本の暗部・・・東京都で噴出

2016年10月05日 11時49分57秒 | 思考試行

拭いきれない疑惑、すっきりしない支配構造、裏社会の存在、とんでもない信念。日本のアイデンティティの不思議。

世界は、結局のところ、それぞれのセクトが、自分の権益で動きながら、他者とのせめぎあいの中で生きているという具合だろうか。

そればかりではなく、明らかに、人道的な動きもあり、現実にそういう行動もあるのだが、他方では、武器を持ちあい紛争は続いているのである。

新しい武器が開発、製造され、公然と核実験を行い、核兵器を持ったと自慢し、ミサイル実験で、現実の力を誇示するのである。

一方では、自分は、これらの力をもちながら、他者には持つなといい、根底には、明らかな「何をぬかしとんねん」の実態があって、矛盾だらけで、世界は進んでいる。

人間個々は、やるべきこと、やりたいことをやりながら、組織となり、集団となり、国となれば、どうにもならないようなこととなる。すっきりしないものでんなあ。


またも快挙ノーベル賞受賞

2016年10月04日 10時57分09秒 | 思考試行

日本の実力というか、毎年のノーベル賞の受賞が続いている。基礎研究のさかんな時期があって、その頃の成果だと言われている。

だとすれば、いまのような短期的な成果追及のものの見方をしているようでは、こんごは期待できないようにも思われる。

受賞を受けた途端にそんなことを言うのはいかにも変だが、先へ先へと思いはすすむ。地球上は、楽観を許さない現象が起こっているし、人間界も、なんだか低レベルで、存続さえ怪しく思える昨今である。

せっかくの技術、知見を生かして、世の中が、人類の存続可能となるような仕組みの方向へと進歩していってほしいものである。

人のやらないことの注目して研究してきた大隅教授の姿勢は、一方では、その研究に注目して寄り添ってくる研究者の後押しを受けている。栄誉はひとりのようだが、実は違う。

研究の世界は、あと、さき、が問題となるけれども、栄誉を受けようが受けまいが、それは主要なことではない。それでも、受賞は清々しく嬉しい話である。


車の顔から

2016年10月03日 10時34分46秒 | 思考試行

車の顔といっても、ライトの目の具合が大きいのだが、最近の車の目は、吊り上がっていて、強面(こわもて)のイメージがある。

これも時代の影響なのか、のんびりムードの顔から精悍な顔になったり、時代の好みに左右されているのかもしれない。

世の中、対決ムードが高まってきているせいか、のんびりとしているわけにはいかないとなっているのか、新しい車がみんな眉をあげて、精悍な表情だと、来るべき時代が、あまりいいものとは思えなくなってくる。

昨日、近くの長居公園に行ったが、サッカー場から試合があるのだろう絶え間ない応援の歓声、太鼓だろうか、鳴り物の音が流れてくる。

確かにサッカーは、休みなしに選手は走り回っているし、絶え間のない応援がなければ、力が出ないかもしれない。観客をそれがわかっているようで、だからサポーターなんだと思う。みんな、頑張っているのだ。

がんばることは、悪いことではないとは思うが、もう少し、のんびりいくのもいいのではないかとも思う。

 


学生俳句のエネルギー

2016年10月02日 10時02分03秒 | 思考試行

昨日から今朝にかけて、学生の俳句大会を、テレビで前後編あわせて見た。さまざまな趣向の元、対戦が行われ、一人の勝者を決める。

夏目漱石の坊ちゃん、吾輩は猫である、の作品にちなみながら、いろんな対戦がおこなわれる。最後までみてしまった。午前3時をまわっていた。去年の準優勝者が、今年優勝した。

順当というより、そこには、さまざまなドラマが展開されていて、見ごたえがあった。

感心したのは、作句力も大したものであるが、それぞれ参加者は初対面であるだろうに、なんとも言えない親近感をおたがいがもっていることである。

心情を表現する訓練ができているからか、俳人としての魅力が感じられる。対抗心をむきだしにしながらも、勝敗にこだわりながらも、それは、真剣な対決ではない遊びのこころに満ちているのである。

俳句をやることの良さがよくよく出ていた。表現のためには、こころを開かなければならない。それが各人できているのである。こころを開くことこそ、俳句の最大の効用である。

この大きな刺激をうけて、さて、これから一句一遊にむけての作品をモノしてみようか。


トランプは論戦に負けているのに強い?とは

2016年10月01日 11時40分51秒 | 思考試行

準備不足とも言われているが、直接対決のテレビ対戦では、トランプが負けていたとの評判である。ところが、ネットではトランプの方が勝っているとの数字がでているという。

どんなに論戦で負けても、理屈が通らなくとも、私は、トランプがええねんと言われてしまえば、どうしようもない。

無茶苦茶が通るということは、ままあることであり、誠実で問題がないのに、中傷、デマの類で支持されないこともある。そして、危惧されていた通りのことが起こったりするのである。

フィリッピンの大統領が、麻薬撲滅にむけて、殺人を認めた。これはインパクトがあり、刑務所が満杯になるほどの自首が出ている。口封じの殺人もあると言われている。

時代が遡ったような野蛮さである。アメリカもそうならないとは限らない。個人レベルで、低レベルの常識があって、それがまかり通るとすれば、時代が遡ることとなる。

ナチスの例がある。ヒットラーは、民主的な手続きの元生まれたのである。民主主義の危ういところである。